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河野太郎大臣が説明する日本の行政からフロッピーディスクがなくならないわけ

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河野太郎大臣がフロッピーディスクへの宣戦布告をなぜか英語で発表しそれをBBCが伝えている。皮肉なことに日本国民はBBCの日本語訳でこれを知ることになった。BBCは日本でポケベルがなくなったのは2019年で最後の利用者は高齢の女性だったと結んでおり「古いテクノロジーから脱却できない日本」が際立つ構成になっている。これを受けたハフポストは「世界は日本の行政文化に厳しい目を向けている」という記事を書いている。

この中に日本の行政がフロッピーディスクがなくならない理由が説明されている。「行政手続きにフロッピーディスクやCD-ROM、MD(ミニディスク)といった記録媒体での提出などを求める規定が約1900条項残っている。」そうだ。

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この規定が法律で書かれているのかあるいは省令や通達によるものなのかは気になるところだ。いずれにせよ「規定にハードコーディングされている」ことが問題のようだ。ハードコーディングとはプログラミングの用語である。プログラムに具体的な数字や文字列などを直接書き込んでしまうと、後からの改修が面倒になる。いちいち該当箇所を目視で確認しプログラムをいちいち書き換えなければならなくなるからである。日本では媒体規定がハードコーディングされているため誰もそれを覆すことができなくなっていることになる。

これを解決する方法はいくつかある。

  1. 全ての規定を洗い出して一つひとつ変えて行くこと
  2. 現場が適切な方法で媒体を選ぶこと
  3. これらの規定が参照できる法律を作り「適宜定める」と決めること

1は恐ろしく手間がかかるため、できれば2か3を選びたいところだ。だが現場が権限を移譲されても自分の判断で適切な手段を選ばないという人が多いのではないかと思う。例えばコロナの全数把握撤廃の時には「都道府県が判断すると混乱するので国が一律に基準を決めてほしい」と責任を押し戻す動きがあった。権限移譲を渋る上に移譲された方も責任は取りたくないと考えるのが日本文化である。

となると残るのは3だが「全部を一律に決めてしまうと不具合が生じるケース」が出てくるため却って現場が混乱しかねないという問題が出てくる。

結局のところ「全ての規定を洗い出して一つひとつ変えて行くこと」になる。こうすれば誰も責任は取らなくて済む上に調整も必要がなくなる。ただし一つ問題が出てくる。今度はオンラインが古いテクノロジーになった場合に同じことをやり直す必要が出てくるのだ。

日本から古いテクノロジーがなくならないのはこのためなのだが、一事が万事この調子なので人々はこの古さに慣れてしまう。例えばファックスの場合「ファックスでできないことはやらない」という思考方法になる。ファックスで情報を受け渡してもらい「それを全てコンピュータシステムに入力し直す」という発想方法になってしまうのである。

不便さを従順に受け止めているとも言える。

さらに病状が悪化すると「規則は規則だから」と言い出す人が現れる。そればかりか「なぜフロッピーディスクが素晴らしいのか」と解説する人が現れ、最後にはこれが日本の伝統であると主張する人が出てくる。単にその時に場当たり式に決まったものが「伝統」に格上げされ不便さに耐えることを強制されてしまうのだ。

ただ日本人は周囲の目に敏感だ。SNS(世間)や国際社会から厳しい目を向けられているから変えなければならないという論調の記事がいくつかみつかる。ITMediaの記事では「河野大臣の指摘にSNSが唖然」というような捉え方をされている。またハフポストは外国から指摘されて恥ずかしいというような総括になっている。

この問題をきっかけに日本から時代遅れの古い制度や習慣が残り続ける原因について考えることも可能なのだが、おそらく「今では外国から恥とみなされるフロッピーディスク討伐」というレベルで捉えられてしまうのかもしれない。ただ、フロッピーディスク討伐の方が仕事としては楽である。

河野太郎大臣はフロッピーディスクの旧弊さを指摘しただけで満足してしまい、指示された官僚たちは「これだけの規約を修正すればオシゴトは終わりですね」と応じてしまうといった具合に処理される。マインドセットのような面倒なことは誰か他の人がやればいい。

河野太郎大臣の歩いた後には脱ぎ捨てた靴下のような改革の残骸が点々と残る。黙って拾い上げて洗濯カゴに入れて最後まで仕上げようとする人はいない。黙って仕事をしても誰にも評価してもらえないのは目に見えている。

もちろん何もやらないよりはマシなのだが、こうして日本にはいつまでも時代遅れの習慣が残り続けるのだろうということがよくわかる。

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