イラクの首都で衝突が起き30名以上が亡くなった。アメリカの影響力が薄れつつあるイラクでも結局議会制民主主義が崩壊しかけている。今回の中心人物はシーア派のサドル師という人物である。議会・政府が腐敗しているため、話し合いによる議会制民主主義から脱却しサドル師による救済を求める人たちが多いようだ。結局サドル師が支持者たちに「反乱をやめるように」と要請したことで騒ぎは落ち着いた。内外に向けてサドル師の影響力を誇示した形である。
最初のニュースは時事通信などがつたえている。首相官邸に人が集まったそうだ。サドル師という人が「政界を引退する」と表明したのがきっかけのようだ。シーア派の中の混乱らしいのだが事情がよくわからない。
この後the palaceに人々が集まったというニュースが英語でちらほらと流れていた。大統領宮殿ではなく「政府宮殿」と日本語では訳されていた。
この問題が出る前の8月1日にはサドル師が国会解散を要求したというニュースがあった。もともとサドル師の一派は国会で最大会派だった。だが単独で政権を維持できるほどは強くないため連立を組む必要があった。妥協を嫌うサドル師の一派は「だったら国会を辞めてやる」として一斉に議員辞職し議場の外から「選挙をやり直せ」と要求している。
Newsweekにはもっと細かい解説記事が出ている。少しだけ事情がわかる。
イスラム教にはスンニ派という多数派とシーア派という少数派がいる。このうちシーア派はイランに信徒が多い。このためシーア派=イラン寄りとみられることが多い。ところがこのサドル師の一派はシーア派の親イラン派と対立していた。
アラブ圏全体ではスンニ派の方が多数派だがイラクではシーア派の方が数が多い。このため民主的に票を割り振るとシーア派が実権を握ってしまう。このシーア派がスンニ派とクルド勢力に役割を分配する構成が生まれていた。民主主義は均一な市民階層を前提としているため利権構造や宗派対立のあるアラブ圏では民主主義そのものが成立しないのだ。
しかしこのシーア派の内部からサドル師一派が躍進しバランスが崩れた。サドル師一派は腐敗する政府に失望する市民に「イラク・ナショナリズム」を訴えた上で直接スンニ派やクルド人と手を組んで親イラン派を排除しようとしたわけである。
日経新聞の2018年の記事によるとサドル師の父はシーア派聖職者最高位の大アヤトラだったムハンマド・サーディク・サドル師で1999年に他の2人の息子と共に暗殺されたそうである。理由はフセイン政権に不服従だったためである。つまり、サドル師は反フセイン勢力のプリンスとして扱われている。しかしながら単独で多数派を取ることもできない。ついに業を煮やしてイラクの民主主義を破壊し始めた。だが政府腐敗に憤る市民たちの中にはおそらくサドル師のリーダーシップに期待している人たちがいるのだろう。
ここにもウクライナの戦争の影がさしている。ウクライナ産の小麦の輸出が滞ったことで新興国では軒並み小麦の値段が上がった。小麦の不作とパンの値上がりがアラブの春の原因になったこともあり「また同じようなことが起こるのではないか」という懸念があった。イラクでも小麦やパンの値段が上がるとイラク南部でもデモが起きた。ウクライナ侵攻前と比べると小麦の値段が3倍に上がったそうだ。
たとえ親イラン派政府が腐敗していたとしても生活の困窮がなければ一般市民は政治には興味を持たなかったかもしれない。生活困窮を背景に「強いリーダーシップ」に頼りたい市民たちが独裁者を生み出すというのはもはやおきまりのコースといって良い。
サドル師は議会制民主主義には期待していないようだ。サドル派は議会を去りサドル師は政治家を引退した。つまり「政治は問題が解決できない」ということが支持者たちに示された。サドル師は他の政党にも「政党をたたむように」と呼びかけている。おそらくサドル師の目的は「自分たちの思い通りにならないのだったら民主主義そのものを壊してしまえ」というものだったことになる。
BBCによるとサドル師は平和旅団と呼ばれる民兵組織を今でも保持しているようだ。今回暴動を起こした人々との関係は不明である。BBCが出しているビデオを見るとアメリカの議会襲撃事件を彷彿とさせる。襲撃者たちはお祭り騒ぎで官邸内のプールで泳ぎ回っている。だが邸内の歓声とは対照的に外では警察隊とのもみ合いが続いておりその中から死者が出たのだろう。
アメリカ人は「自分たちは民主主義の擁護者である」という気持ちがあるため議会襲撃に強いショックを受けた。トランプ前大統領の型破りな「独裁」に期待する人は多いが「民主主義の本家にして守護者」という自意識がかろうじてアメリカを独裁から守っている。バイデン大統領は9月1日のプライムタイムに「米国の権利と自由を脅かしているとして共和党批判を展開する計画」なのだそうだ。危機に瀕している民主主義を守れというアピールがアメリカ人に対して有効であることがわかる。
だがイラク人にそのような自意識はない。
結局この暴動はサドル師が戦闘終結を「要請」したことで終了した。死者は30人以上になる。サドル師はイラク内外に強い影響力を誇示することができた上に「慈悲深い宗教指導者」としての自己演出に成功したことになる。外から議会をコントロールできるようになればサドル師がわざわざ議会でちまちまと多数派調整する必要などないということになる。
同じシーア派が多いイラン政府は影響が波及することを恐れたのか航空便を全てキャンセルした。サドル師は親イランではないが反イランというわけでもないようだ。今後の両国の関係にも注目が集まる。
アラブ圏で民主主義が問題を解決できなかったことは明らかだが、この問題は専制主義国がそそのかしたわけではない。市民から自発的に起こった運動である。このために西側のメディアは戸惑い気味にこの問題を伝えるのみである。