AFPが短く「南アフリカでズールーの新しい王様が即位した」という記事を書いている。南アフリカは共和制国家だが主要民族のズールーには行政権のない王がいる。ズールーは主に南アフリカの東部に広がっている。
とはいえ、これだけでは内容がよくわからないのでネット検索したところルワンダ語のBBCの記事が見つかった。機械翻訳だがかなりきれいな翻訳ができるため今回は機械翻訳を元に読んでいる。南アフリカとルワンダは離れているがどちらも同じバントゥー系のようである。バントゥー人がアフリカ南部に広がっていることがわかる。
ズールー族の新しい王ミスズル・カ・ズヴェリチーニ王が即位した。行政執行権はないが南アフリカの人口のうち5分の1にあたる1100万人のズールー人から支持されている。AFPは戴冠式が執り行われたがその裏では相続騒ぎが起きていたと書いている。
グッドウィル・ズヴェリチーニ王が亡くなった時、王には6人の妻と28人の子供がいた。執権として選ばれたのが3番目の妻マントフォンビ・ドラミニ・ズールー女王だった。マントフォンビ女王はエスワニティの先代国王ソブーザ2世の娘であり、兄は現国王ムスワティ3世であるため他の妻よりも格が高かったようだ。
しかしマントフォンビ女王は執権に指名されて一ヶ月で亡くなってしまう。この時の記事もAFPに出ている。この記事にはグッドウィル王の死因は糖尿病の合併症であると書かれている。一方で女王には毒殺疑惑もあったようだ。
その後、王室は三つの派閥に分かれてそれぞれの王を支持し法廷闘争に突入する。ズールーが軍隊を持っていればまた違った騒ぎが起きていたのだろうが、現在のズールーは独立した王国ではない。
南アフリカ大統領はミスズル・カ・ズヴェリチーニを次の王であると公式に認めたものの相続をめぐり法廷闘争に発展したようだ。南アフリカ大統領の認可はthe Traditional and Khoi-San Leadership Act, 2019とよばれる法律に基づいている。
この即位式の一週間前にはシマカデ、ブザバジの両王子がそれぞれ「王として確認された」と宣言していたが裁判所は相続を認めなかったため相続が確定した。ルワンダ語の記事には「年間490 万ドルの税金」という記述もある。行政権がないとは言えある程度は南アフリカに認知されていることがわかる。
ではなぜ、このような法廷闘争が行われたのか。ルワンダ語の記事は明確には書いていないが血統の問題があったようだ。ミスズル・カ・ズヴェリチーニは母が隣国のエスワニティ系だ。100%ズールー人だと認められないから支持できないと主張する人たちがいるのだろう。
隣国エスワニティの元の名前はスワジランドという。イギリスはズールー統治の観点から敵対勢力であるスワジに肩入れしてきた。ズールー王国がなくなるとスワジランドを南アフリカに組み入れようとした。保護国化したものの内政的には王政が維持された。このためスワジランドは南アフリカとは独立した王国として現在も続いている。このようにスワジとズールーはライバル関係にある。
一方でスワジとズールーには共通点もある。王はたくさんの女性と関係を結び大勢の子供を作る。そして筆頭の妃が執権となって次の王を決めるのだ。
エスワニティでは2015年に大勢の「王の花嫁候補」が交通事故死するという痛ましい事件が起きていたとAFPが伝えている。大勢の女性に踊りを踊らせて王がお気に入りの王様を選ぶというしくみになっているそうだ。ムスワティ3世は2013年に14人目の妻を選んでいたと記事には書かれている。
14人というと多いような気がするが、エスワニティの先代のソブーザ二世には70人の妃がおり子供の数は210名だったと産経新聞には書かれている。独立した主権国家だけあって、ズールーの6人とは格が違う。