終戦記念の日が終わった。旧来通りの「戦争は繰り返しません」という終戦特集もあるのだがこれまでとは違った角度の分析も見られるようになった。中でも興味深かったのが読売新聞の北海道分割計画の話だ。「ソ連軍、北海道全体の占領を検討…対馬や済州島にも野心」として記事になっている。ウクライナ侵攻が進みリアリティを持って北海道処理が考えられるようになったという事情がある。だが、それだけでは少しもったいないなという気もする。
読売新聞が指摘するような内容はこれまでも語られてきた。
これまでであれば第二次世界大戦については日本が悪かったのだからあまり深いことは考えないとするのが普通の対応方法だったのだが、ロシアのウクライナ侵攻を目のあたりにした今となっては「北海道にもこういう可能性があったのだろうな」というリアリティが感じられる。西側と対立し経済を犠牲にしてでも土地を手に入れたいという深い執着心がロシア人にはある。一度手に入れた土地は決して諦められないうえにできるならそれ以上のものが欲しいという気持ちが強いようだ。さらに経済も彼らにとっては潜在的には他国と対決するための武器になっている。天然ガスパイプラインの件からロシアが他国より常に優位に立っていないと安心ができないということもわかる。
経済を犠牲にしても土地を手に入れたいという気持ちが強い一方で、使える資源は全て使って相手よりも経済的に有利な立場に立ちたいと考える気持ちは日本人には理解しがたい。
ソ連軍は連合国で日本を分割しソ連は北海道を「担当する」という野望を持っていたようだ。あとはベーカリーでケーキを選ぶように「ついでに済州島や対馬も要求してみては?」という話になっている。これまでスターリンのわがままだと考えられていたが「実は軍部からの要求があった」ということがわかったというのが今回読売新聞が伝えたかったことのようである。つまり、スターリンの個人的な資質ではなく「ロシア人とはそもそもそういう人たちなのだ」とほのめかしたいのだろう。
だが、この話の理解がここで終わるのはもったいない。
プレジデントオンラインは別の半藤一利さんの別の記事を紹介している。大筋は読売新聞とは変わらない。唯一違っているのは、ここに「アメリカ」という視点が入ってる点だ。アメリカにも「アメリカ一国だけで日本を抑えることはできないだろうからソ連を引き入れては」という議論があったそうだ。
結局ソ連が日本支配に関与することはなく日本に共産主義国家が作られることはなかった。だが半藤氏によればこれは偶然とタイミングの結果であり、場合によっては日本にもアメリカの妥協によって共産国家が作られていた可能性がある。
繰り返しになるがこれまでの戦争理解では「とにかく日本は悪いことをしたのだから戦争についてはあまり考えないようにしよう」とする姿勢が優勢だった。だが、世界から直接情報が入ってくるようになり、ウクライナの戦争がリアリティを持って語られている。ここから想起して「過去にもおそらく同じことがあったのだろう」ということが生々しく類推できるのだ。
だからといってソ連・ロシアが一方的に悪いということにもならない。状況は全体が作り出すものでありアメリカもその重要な一部だ。彼らも自分たちの国益に沿って行動しているだけなので、アメリカの支配が日本によって有利だったというのは単なる結果論なのである。
憲法改正が具体的な問題として語られるようになったことで、日本人も「主体的に戦争に関わるとはどういうことなのか」ということをうっすらと考えるようになった。その結果として「実は日本にも共産国家が作られる可能性があった」というようなことがリアリティを持って語れる環境が出た。その場の空気が作り出す「勢い」で突き進んだ戦争の結果として国家分裂の危機があったことがわかる。
このように足元では少しずつ「先の戦争」についての理解が深まっているのだが、政治の側の総括はあまり進んでいないように思われる。
岸田総理は全国戦没者追悼式で「加害責任に触れなかった」ことが非難されたようだ。確かにそれもそうなのだが曖昧な「歴史の教訓」が具体的に何を意味するのかは気になるところである。日経新聞は安倍・菅両政権の前例をとった無難なものになったと分析している。
仮に憲法改正について具体的に考えているのならば、政治の側の感覚もまたアップデートされなければならないのかもしれない。