尾身茂会長らが会見を開き専門家の提言について説明した。本来ならば政府が「政府の言葉」として発表するような内容だが政府の言葉が聞かれない中で緊急の提言となった。分科会が三ヶ月も開かれていないので提言を作っても政府に伝えることができないのだ。政府の詳しい説明もないためワイドショー・ニュース番組などではこれを事実上の政府方針として伝え始めている。基準がないよりは何か判断基準がないと新しい流行を乗り切れない。ただし、医療負担について決めることはできず、検査体制をつくることもできないため、結果的に残るのは「ちょっとした発熱くらいでは病院に来ないでくれ」というメッセージだけになっている。医師会も「求められても対応できないので、陰性証明は求めないでくれ」と企業や学校への要望を出している。
自己責任の夏が始まった。
この提言は「国民は社会生活を維持することを決めたのだからそれなりのリスクをとるべきだ」と国民に強い覚悟を突きつけている。
リスクは三つある。
- このまま何もしないと医療機関が圧迫される。このままでは重症者や他の医療を必要としている人に医療が提供できなくなる。何も決めないということはそういうことなので覚悟しておいてほしい。
- 日本国民は社会活動を活発化させる選択をしたので高齢者がなくなるのは覚悟してほしい。
- 濃厚接触者の把握と待機期間の短縮は感染が広がるリスクを増やすことは覚悟してほしい。
おそらく日本国民の中にも社会活動再開を選択していない人はいるのだろうが、とにかく政府はそういう方針なのだから専門家としてはそう言わざるを得ないのだろう。NHKの世論調査によると高齢者と若年で「社会活動再開の是非」は大きく異なる。当然リスクが大きい高齢者は社会活動に慎重だ。人口としてはこちらの方が多いので実は世論調査では「社会活動を制限してほしい」という声の方が大きい。
提言の細かい内容はNHKが詳細をまとめている。リスクの説明以外に「抗原検査キットの入手体制を作るべきだ」「感染状況把握のために新しい調査方法を構築すべきだ」と提言している。
では、この提言が「恫喝」と受け止められなかったのはどうしてだろうか。それは専門家たちが政府に対して分科会を開き対策を話し合うように求めてきたことが合わせて報道されているからだ。政府は行動制限が必要ないという分科会の言葉は欲しかったのだろう。だが状況が変わると政府が望まない提言が出てくる可能性がある。そこで細かく専門家会議を開き情報をコントロールすることにした。今回の発表はその反動と言える。それだけ医療機関が追い詰められているのだろうし、マスコミもそのことを十分にわかって報道しているようだ。
参議院選挙と総理大臣が個人的に大切にしているプロジェクトを優先したため十分な対策が話し合われないままで第七波に突入してしまったこともよく知られている。さらに医療機関の逼迫が実際に報道されており十分に周知されている。時事通信は医療機関と保健所の逼迫について抜き出して伝えているのだが、もちろんワイドショーやニュース番組でも盛んに取り上げられている。
社会が支払うことになる対価はそれなりに大きい。提言によると濃厚接触者の認定を保健所が行わなくなるため我々一人ひとりの自主的な判断が求められる。政府が行うのは「啓発活動」だけである。また十分な感染対策は行われないものの「万が一感染した場合には軽症の場合は診療費の自己負担も求める」という提言になっている。
症状に関しても「自己診療」が求められる。毎日新聞は「どういう場合には医療機関にかかるべきなのか」ということを書いている。つまり、これを一人ひとりが判断しなさいということだ。
発熱外来の受診が必要な目安は、65歳以上▽基礎疾患がある▽妊娠中▽37・5度以上の発熱が4日以上続く▽症状が重い
つまり、37.5度以上の発熱が3日までは病院にゆくなと言っている。最後の症状が重い人の定義は毎日新聞の記事に出てくるのだが「予備知識を持って自己判断しろ」ということになる。ただこれも基準がないよりはマシなのでワイドショーで盛んに取り上げられていた。
今回の異例の対応の特徴は政府の顔が全く見えてこないという点である。岸田総理は国連での演説から広島への国連事務総長のエスコートという個人的なライフワークを優先している。最後に岸田総理の認識が聞かれたのは「発熱外来がちょっと混乱している」という認識だった。総理大臣の積極的な対応は今後しばらくは期待できそうにない。
後藤厚生労働大臣は「2類相当から5類」という方針は否定していたが岸田総理が突然「5類への移行」方針を発表した。その裏で専門家たちが緊急提言を強行したことから、おそらく厚生労働省だけではなく医療関係者とのコミュニケーションもうまく取れていないのだろうと思う。
専門家たちは「マスコミを通じてプレッシャーをかけなければ政府は何もしないだろう」と考えたのだろう。結局、岸田総理が日本を離れている間に会見が開かれた。
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