周囲の困惑と反対をよそにペロシ下院議長が台湾を訪問した。到着直後に声明を発表し台湾との関係を再確認して見せたところをみると国家元首のような振る舞いだった。だが、冷静に考えてみるとこれは単なる外交権限がない立法府のトップの非公式な立ち寄りに過ぎない。中国は猛烈に反発しているのだが当初懸念されていたような「米中直接対決」にはならなかった。
ではこれで問題は終わったのだろうか。個人的にはパンドラの箱が開いたように見える。
ペロシ議長の訪台に先立ってアメリカの空母打撃群が周辺に展開している。この件はミリタリーマニアたちの注目を集めていたようなので「知っているよ」という人も多いのではないかと思う。
- 米空母打撃群、南シナ海に再配備 台湾巡る緊張高まる(ロイター:7/28)
ロナルド・レーガンはインド太平洋に航路を確保する目的で配備されている。一方で中国も今回のいっけんで中国軍の空母「遼寧」と「山東」を展開した。こちらは読売新聞が書いている。読売新聞は本当の危機はペロシ氏が去ってからだという出典不詳の識者の声を紹介している。
おそらく、中国はアメリカとの直接衝突は避けるだろう。現在習近平国家主席は三選目に向けた根回しをやっている最中だ。権力基盤が確立したとは言えずじっくりとアメリカとことを構えようという状態にはない。だがアメリカがいなくなったとなると話は変わってくる。ロシアのウクライナ侵攻によく似ている。アメリカが台湾をどの程度真剣に守るのかが重要なのだ。バイデン大統領はいよいよ迂闊なことが言えなくなった。
ペロシ議長訪台はもともと春に予定されていたのだがペロシ氏の新型コロナ感染によって延期されていた。このため偶然習近平国家主席が北戴河で長老・実力者たちと根回しをやるタイミングにぶつかってしまった。長期方針を決めるタイミングでの挑発は習近平国家主席や首脳たちの反発を招くだろう。彼らの強いメッセージが「アメリカに国に伝わっていない」ことが確認できたからである。
では対するアメリカ側はどうか。
ラトクリフ元米国家情報長官は政権に批判的なFOXニュースで「中国に対峙するためには空母か戦闘機を動かす必要がある」と主張したと日経新聞が伝える。中国側の激しい言い方がアメリカでは反発されている。「弱みに付け込んで言いたいことを言っている」というわけだ。このようにしてペロシ議長の個人的な日公式訪問は瞬く間に国と国をかけたメンツのぶつかり合いに変質した。
だがアメリカが「長期間何かを貼り付けておく」ことにいつまで耐えられるかは疑問である。中国やロシアは持久戦が得意だがアメリカは短期決戦で目に見える成果を欲しがる。ただ、アメリカの撤退はおそらく台湾の存続の危機になる。アフガニスタンとは比べ物にならないダメージをアメリカ世論に与えるだろう。また半導体供給戦略も見直しを迫られることになる。
このようにアメリカにとって非常に大きな決定だった今回の訪問はどのようにして決まったのだろうか。今回、日経新聞ワシントン支局長の大越匡洋氏が分析記事を書いている。
「ペロシ米下院議長の台湾訪問 戦略欠く一手」という表題になっている。ペロシ氏の「エゴ」を優先させた訪台後の戦略をバイデン大統領が提示できていないという内容である。
大越さんは今回のタイミングを次のように分析する。かなり辛辣だが、文字通りに受け取るならペロシさんの最後の夏休み兼卒業旅行の思い出作りだったことになる。
- 時期が今なのは議会が夏休みに入ったから。
- 11月の中間選挙で民主党が議席を減らすのは確実なのでペロシ氏はおそらく議長ではなくなるだろう。
- 今のうちに米下院議長として四半世紀ぶりとなる訪台を自ら実現したい
もともとバイデン大統領はこの件について知っていながら「米軍も反対しているが止めても無駄だから私は知らない」とこの問題を他人事として扱うことを決めた。つまりペロシ議長の思い出作りを止めることができなかったということになる。
今回ペロシ議長が訪台を決行したことで「これもありなのだ」という前例になってしまった。バイデン大統領にはそれを止める力も意思もないこともわかった。民主党の支持者たちをみても75%はバイデンさんでは勝てないだろうと考えているようである。「誰か別の人を」ということなのだが、その「別の人」がいない。今回は思い出作りだったのかもしれないのだが、今後立候補活動としてこの種の行動が広がってもバイデン大統領にそれを止める力はない。
今回の事例ではバイデン大統領と習近平国家主席の直接対話が議長によって否定された。中国は顔を潰されたと思っている。だが実はアメリカも中期的な負担を負った。継続的に軍事力をこの海域に維持し続けなければならなくなった。仮に中国からの挑発行動が実行に移されればそれはペロシ氏の失敗ではなく、アメリカの失敗なのだ。
さらに中間選挙後に議長が民主党である保証はない。今回の理屈通りならバイデン大統領はあと二年間はそれを止めることはできない。次の大統領選挙に向けて共和党議長が独自外交を展開するということになりかねないのである。つまりパンドラの箱は1つではないかもしれない。
いずれにせよペロシさんの思い出作りのために重い扉が開いてしまった。あとはアメリカ軍がこの地域にとどまって箱の中から出てくる魔物と戦い続けるしかない。日本政府は今回の経緯を冷静に見てどの程度これにお付き合いすべきかを考えるべきだ。色々な要請が必ず降ってくることになるだろう。