新型コロナが第七入りした。政府はどう対応するだろうかと思って見ていたのだが特に何もしないようだ。唯一政府が下した判断は「発熱外来で検査キットを配布する」というものである。感染したなら仕方がないから自分で検査して自分たちでなんとかしてくれというわけである。ついに新型コロナも自己責任の時代に入った。
ただ、計画を注意深く見ていると岸田総理は前任者たちの失敗から学んでいることがわかる。とにかく恨まれないように表に立たないように慎重に行動している。
テレビでは連日「感染者数が過去最高になった」というニュースを流している。これに呼応するように政府は次々と対策を明確化した。
- 感染予防効果がないことがわかっているワクチンは原則的に60歳未満には接種しない。
- 経済を落ち込ませることがわかっている行動制限は行わない。
- 責任は取れないから国産新薬のゾコーバは承認しない。使えるのはすでにアメリカで承認されているモルヌピラビルとパキロビットだけだ。
まず感染者拡大が先行したのは大阪だった。7月21日には二日連続で2万人を超えたと伝えられた。続いて東京都でも感染者数が増え始めている。東京都では同じ7月21日に3万1878人で過去最多を更新したそうだ。特に小児科は深刻なようだ。児童のどれくらいが無症状なのかはわからないのだが、発熱などの症状が出ている子供が増えていることがわかる。ただし小池都知事は「ワクチン・マスク・換気が大切」と従来の主張を繰り返すのみだったようである。
現場が疲弊し経済が回らなくなることを危惧した地方自治体は相次いで対策を発表する。濃厚接触者の範囲を絞り始めた。
千葉県では幼稚園児・保育園児の濃厚接触者の特定は行わないことにした。自宅待機もなくなるそうである。このため濃厚接触者の保護者は自宅待機に付き合う必要がなくなる。程なくして東京都も同じ判断を下したようだ。東京都は小学生の濃厚接触者の追跡を行わないことにしたそうだ。なんとなく無責任そうな気がしたのでQuoraで聞いてみたのだが介護現場では人のやりくりが大変になっているそうだ。ギリギリの予算で人を回している現場はどこもすでに逼迫しておりやむを得ない判断だったのだろう。
国も濃厚接触者の待機期間を短縮する方向で検討に入った。感染者が増えることを前提に経済を回すことを優先したのだろう。新聞では5日に短縮と書いているところと最短3日と書いているところがありわかりにくいが、NHKによると次のようになる。
- 濃厚接触者に求める自宅などでの待機期間を現在の原則7日から5日に短縮し
- さらに2日目と3日目の検査が陰性であれば、3日目に待機を解除できるようにする方向
専門家委員会では「行動制限も検討すべきではないか」という意見がで始めたようだが、政府も行動制限は行わないという方針を繰り返し発信している。もともと専門家委員会は「医療防衛」を念頭に政策を立てていたところがある。新型コロナウィルスの挙動がよくわからず不確実性が高かったために「ひょっとしたら病院が崩壊するかもしれない」という恐怖心があった。これが、安倍政権下での最初の行動制限の動機だったものと思われる。
最初の行動制限は医療・厚生労働行政側のパニックによるものだった。結果的に全国一律で経済活動を全部止めることにしたため経済に非常に大きな影響が出た。緊急事態宣言というなんとなく恐ろしげではあるが実効性のあまりない宣言が出されたが「ロックダウンを検討すべきだ」という声も聞かれた。
2020年5月の消費の落ち込みは「谷」と表現されているが、実際には「渓谷」のような落ち込みだった。このグラフを見て再び行動制限を導入したいという人は誰もいないだろうとは思う。
さらに、これを補うために保護者に休業対応をした。安倍総理が約束したために「やらなければいけないだろう」と麻生財務大臣(当時)が渋い顔をしていたのを記憶している人は多いはずだ。テレビ東京が当時の会見の様子をYouTubeに残しているが正確な発言内容は「つまんないこと聞くねえ」だった。それが「全国民に一律で10万円保証すべきだ」という極端な動きに収束してゆく。だが、この10万円給付の多くは貯金に回されたといわれている。麻生財務大臣にとっては「集票につながらず経済効果も見通せないつまんない出費」だっただろう。
おそらく今回の対応は管政権末期の反省に基づいているのだろう。特に菅政権は総理大臣が先頭に立って対応したため総理に批判が殺到した。この期間はじっと下を向いて黙ってやり過ごすのが上策なのだ。総括はしていないと思われた岸田政権だが「どうやったら政権が維持できるか」についてはかなり熟考していることがわかる。
結局管総理は総裁選出馬を断念したが総裁選の頃になるとコロナは落ち着きを取り戻した。9月末には落ち着いたため岸田総理は衆議院解散を「力強く」決断し勝利を収めた。
この2021年の経験から国民は矢面に立った人を攻め立てるが災難が過ぎるとすっかりそのことをわすれてしまうということがわかる。9月27日に党の威信をかけた国家的儀式を設定したことからも「9月末ごろには落ち着くだろう」という見込みを立てていることがわかる。吉田茂総理は10月20日に亡くなっているが国葬は10月31日だった。葬儀なので本来は亡くなってからすぐに行われるべきものである。これを後ろずらしにすることにはなんらかの意味があるはずだ。
ただし、感染者が増えると国民が医療機関に殺到することになる。医師会とのつながりを重視する政権はこれだけは避けなればならない。このため窓口で検査キットを配布して納得してもらうことにしたようだ。あとは入院措置などを期待せず自宅でおとなしくしておいてくれということなのだろう。検査キットは抗原検査なので見逃しが出てくるだろうが、窓口に殺到する患者や親に対してなんらかの慰めを与えることは可能だ。
「なんとなく疑わしい発熱がある人は自分で検査してあとは自力でなんとかしてください」ということになる。コロナであっても別の病気でも熱が下がるまで自宅で寝ていろということだ。なんとなく総括しないうちに「自己責任」に流れるのは日本ではもはやおなじみの光景なのだが、新型コロナもやはりそうなった。
ただし、国が検査キットを配ってくれるのはいいことのように思える。埼玉県は独自で検査キットを配ることにしたそうである。ただその検査キットの個数は1日に2000セットが限界なのだという。個数が限られているため、Webで申請してから2日後にならないと送られてこないのだ。県が独自に対策するとこの辺りが限界ということになるのだろう。
今回のニュースに関しては珍しくヤフーニュースのコメントが参考になる。アメリカ合衆国やカナダでは「物量作戦」が実施されていて簡単に検査キットがもらえるようだ。さらに医療機関だけでなく多くの場所でキットをもらうことができるのだという。このやり方には感染拡大予防効果があるが、おそらく予算はかなり大掛かりなものになりそうだ。
厚生労働省は、検査キットの配布先を「もうすでに発熱して止むに止まれず病院に駆け込んできた人」に限ることで予算を抑えようとしている。日本人は海外のメディアを見ないので「欧米ではもっと簡単に手に入る」という情報は伝わらない。この間に「検査キットは熱がいよいよ出た時に医者に行ってもらう最後の砦だ」というイメージをつけてしまえば国民は納得する。あとは「お金さえ出せばドラッグストアでも買えますよ」と説明すればいい。
今回のコロナ対策を見ていて何の総括もしないと思われていた岸田政権は実は政権維持という立場から綿密な計画を立てていることがよくわかる。その対策に国民目線はないが、国民は一時的に不満は抱えて騒ぐかもしれないが、終わればすぐに忘れてしまうだろうとみなされているのではないかと思う。