地裁判決のレベルだが「東京電力経営陣に対して個人賠償13兆円」を求める判決が出た。史上最も高額な賠償命令だった。被告側は判決文を精査しているそうなのでまだまだ裁判が続く可能性が高い。松野官房長官はコメントを避けたそうだが、今後岸田政権のエネルギー政策に与えるインパクトは大きそうだ。原子力発電の問題はイデオロギー上の論争ではなく「何かあった時に誰が何の責任を取りますか」という問題になったからである。
この判決は東京電力が東京電力福島第一原発事故で被った巨額の損害を、経営陣個人が賠償するというものだ。とても個人で支払える金額ではないことは明白なので金額そのものではなく懲罰的な意味合いがあるのではないかとすら思えてしまう。産経新聞は支払えないのは明白なのだから訴訟に意味はないのではないかと疑問を呈している。
日経新聞は賠償金額が高額化している理由を次のように説明している。
株主が会社に代わって役員らの責任を追及する株主代表訴訟は財産権上の請求ではないから手数料が下がった。現在では、請求額にかかわらず一律1万3千円で訴訟を起こせる。つまり訴訟を起こす相手は裁判に勝ったからといってそれが自分の財産になるわけではないということになる。
一方、共同通信はこの判決を書くのに7ヶ月かかったという裁判長のコメントを紹介している。考え抜かれた判決だという点を強調していることになる。また朝日新聞は民事裁判に長く携わった朝倉佳秀裁判長の略歴を紹介しつつ「裁判官として初めて現地にも足を運んだ」といっている。つまり総合すると「現地にも視察をし長い時間をかけて熟考された判決なのである」という点を強調しているわけだ。
さらに日経新聞が算定根拠を詳しく書いていることから「とりあえずどれくらいの被害があったのか」ということを裁判上確定させることにも大きな意味があったのだということがわかる。とにかく大きな被害があったが一体それがいくらになったのかがわからなければ総括ができないからだ。原子力発電所が重大事故を起こせば軽く兆円単位の金が失われる。
燃料価格の高騰で電気料金の値上げが続く今、原発再稼働への期待は高い。少々の危険には目をつぶってでも原発を再稼働しなければ国民生活に大きな影響を与えるのではないかと考える人は多いだろう。
今後、この判決が地裁レベルで確定するとはとても思えない。しかしながらとりあえず地裁レベルの判断が降りるまでにもかなり長い時間がかかっている。福島第一原発の事故が起きたのは2011年だ。つまり、今までも今後も事故を起こした経営者たちは裁判の不安と経済的な破綻の恐怖に怯えながら過ごさざるを得ないということになる。
こうした状態で経営陣が「少々のリスクを冒してでも原発再稼働に踏み切ろう」と考えるとはとても思えない。松野官房長官は「個別の案件に関してはコメントしない」と答えたそうだが、おそらくは経営陣の免責くらいのことをしなければ原発の再稼働は難しいだろう。だがそれは何かあった時の費用は国民一人ひとりが負担しますよという宣言になる。
こうした状況もあり、nippon.comによると再稼働にこぎつけた原発は
- 関西電力:大飯・高浜・美浜
- 九州電力:玄海・川内
- 四国電力:伊方
の6発電所の10基なのだそうだ。
ただ一度事故が起これば賠償だけではすまない。個人賠償13兆円というといかにも巨額なのだが実際の訴えは22兆円である。これだけの費用をかけてさえもまだ福島県には人が住むことができない帰還困難区域が残っており、汚染水処理の問題なども合わせるとおそらくはこれ以上の被害を出し続けることになる。
日本の原子力発電所政策は「何かあった時のインパクトと責任を明確にしない」ことでかろうじて成り立っている。つまり悪いことは考えないという態度に支えられている。だが、少なくとも地裁のレベルでは「個人が経済的責任を問われることはありますよ」ということが明らかになった。日本の原子力発電行政の問題はこの問題を解決しない限りは先に進むことができないのである。