安倍元総理はなぜわざわざ人が大勢集まるところで演説をしなければならなかったのか

安倍元総理がなくなった。総理大臣を退任したとはいえ主要な派閥を率いており日本の政治シーンでは重要な人物だった。わずか67歳だったそうだ。

主要政党は選挙活動を控えていたが今日から再開する。表向きの理由は「暴力に負けないため」なのだという。だが事件の全容が解明されたとはいえず本質的な危険が取り除かれたわけではない。本当に大勢を集めた演説会をやる必要があるのかは考えてみたほうがいいと思うのだが、

そもそも有力政治家はなぜ大勢の人が集まるところで演説をする必要があるのかはあまり知られていないように思える。






日本の公職選挙法には不思議な取り決めがいくつかある。例えば選挙カーでの政策を訴えることは禁止されており戸別訪問もできない。これは管理選挙制度の名残である。日本の公職選挙法は普通選挙と治安維持がセットになったかなり特殊な状態で生まれた。今でもこの時の名残がある。

個別訪問ができない理由は金権選挙の防止が目的だと考えられている。戦前の日本では選挙の際に政党の候補者買収が横行した。こうした買収は戸別訪問で行われるため戸別訪問そのものを禁止することにした。

だが選挙カーで政策が訴えられないという点については説明がつかない。選挙カーからお金をばら撒くことはできないからだ。こちらは実は集会の管理が目的になっている。選挙期間中のは届出のない政治集会は厳しく制限されていたのだ。一つ目の理由は金権選挙の防止なのだが、危険思想の取り締まりを容易にするというのがもう一つの理由になっている。危険思想とは共産主義と民主主義である。どちらも「主権在民」のため天皇主権に反するというのが危険思想視された理由だった。

面白いことにこの時にはインターネットはなかったため「ネットによる訴え」の方が規制は緩くなっている。新興政党はYouTubeを使った活動を熱心にやっているがネットでの活動が比較的自由なのはこれが新しい制度だからだといえる。つまりネットで政策が訴えられるなら選挙カーによる政治活動も解禁しても構わないはずなのだが「これまでもそうだったから」という理由で改正の機運はない。

「選挙における管理集会制度」が今でも生きているため候補者には二つの選択肢がある。一つは集会所を借りて届け出た上で集会を開くことである。支持者は集められるだろうが通りがかりの人を集めることはできない。そこで多くの人が集まる場所を選んで集会をする。通りがかりの人が聞いてくれるかもしれないし、マスコミに撮影されれば「こんなに人が集まったんですよ、人気がある政党なんですよ」という宣伝にもなる。

安倍元総理のような人気政治家が交通の要衝に駆り出されるのはこのためである。奈良市で奈良駅や近鉄奈良駅でなく大和西大寺駅が選ばれたのはこの駅に京都線、奈良線、橿原線の3路線が乗り入れているからである。

各政党は選挙活動を再開する。選挙日前日の土曜日といえば「選挙の華」である。東京でいえば新宿駅や渋谷駅など人通りが多いターミナルで党首クラスが演説を行い「我が党はこれだけ大衆に愛されている」という印象作りが行われることになるのだろう。よくいえば閣僚を含む有力政治家たちは「危険を顧みず党勢をアピールするために体を張る」わけである。

この事件を起こしたとされる容疑者のバックグラウンドはよくわかっていない。普通ならSNSアカウントが特定され「容疑者の主張」などが聞かれるはずだ。だが、今の所警察からの発表で「特定の組織への恨みがあった」という断片的な情報が出ているだけである。つまり、組織的な背景がないという断定には至っていないのだ。

日本のメディアはあまり伝えていないのだがロイターの英語版には気になる記述があった。

The suspect said he bore a grudge against a “specific organisation” and believed Abe was part of it, and that his grudge was not about politics, the police said, adding it was not clear if the unnamed organisation actually existed.

Gunman assassinates Japan ex-PM Abe on campaign trail

NHKの報道によると奈良県警は「詳細は差し控える」と答えてている。さらに記事になったものを読むと「特定の団体に恨みがあり、安倍元総理大臣がこれとつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」とまとめられている。つまり山上容疑者が勝手に「つながりがあると思い込んだ」つまり勘違いだったと解釈されているようだ。ロイターのいう「その団体が存在するかどうかわからない」という発言を警察がいつ付け加えたのかはわからない。

Twitterなどでは特定の宗教団体を挙げて「あの宗教団体が怪しい」などという噂が飛び交っている。政治ではないので宗教なのだろうという類推なのではないかと思う。だが実際には「その組織が存在するかどうかはよくわかっていない」と警察は言っているようだ。選挙への影響を恐れて情報をあまり出したくないのだろうがきちんと伝えないと返って風評被害を撒き散らすことになる。

このように警察が把握しているのかしていないのかも含めて背景が全くわかっていないにも関わらず、与野党の関係者が「選挙活動を再開する」と判断した裏には「おそらく今回の事件は特別なケースであって自分たちは狙われないだろう」という認識があるのだろう。正しい判断かもしれないし単なる正常性バイアスなのかもしれない。自分たちは大丈夫なはずだと思いたいのである。

いずれにせよ日本では銃犯罪が起こるはずはなく大衆を一つのところに集めても安全だという判断が働いたものと思われる。それよりも「今までのような選挙を続けたい」という気持ちが強かったのだろう。特に今日のメディアの絵は選挙では重要な役割を果たすからだ。日本の治安に自信があると考えることもできるがそれが油断につながったのかもしれない。

岸田総理は国家公安委員会委員長に「閣僚らの警備を厳重にするように」との指示を出したそうだ。仮に警察がこの件を重く受け止めているのであれば重要政治家を大衆の目の前に立たせないか周辺にいる人に厳しいボディチェックを行うべきである。少なくとも徹底して背景をチェックすべきだ。だが、この件を「例外」と考えるならば今まで通りの演説が行われるのではないかと思う。

戦前は警察が集会を管理できる「管理集会」だったわけだが、戦後は民主主義に転換したため現在の警察は集会をコントロールできない。政治活動の制限だとみなされてしまうため主催者が中止を判断するまでは介入ができなくなっている。民主主義と警察という性質上警察に権限を与えることは難しいだろう。

二之湯国家公安委員長は「暴力やテロに屈してはならない」と表明した。繰り返しになるが今回の件が暴力かテロかということはわかっていない。さらに厳密にいえば警察には集会を安全に管理できる権限は与えられていないしおそらく与えるべきでもない。となると本来は政治家の側が気をつけて行動を変えるしかない。

いずれにせよ今日の与野党の最終演説を見れば岸田政権がこの件についてどれくらい重く受け止めていたのかということはよくわかるはずだ。確かに「今まで通りの選挙をやる」ことで「暴力に屈しない姿勢」を見せたとは言えるのだろうがそれは厳密にいえば「何も対策をしない」こととは異なるはずである。

警察庁は今回の警備体制について「検証」を行うそうだ。日本では刃物を持った暴漢が襲ってくることはあっても銃犯罪はないだろうという油断があったことは確かなのだろう。これから情報が出てくるのだろうが「至近距離で覚悟を決めれば殺傷能力がある」程度の武器は割と簡単に作れてしまうようである。

今回の容疑者は海上自衛隊勤務経験があり実弾訓練も受けた「特殊な人」でありこんな事件は「平和な日本」でそうは起こらないのだろうという正常性バイアスが働いているものと思われる。実際に単にそれだけの話なのかということは誰にもわからないのだが今は「どうか特殊な事件であってくれますように」と祈るしかない。

末筆だが安倍元総理のご冥福をお祈りする。こんな事件は例外であろうが何であろうが決して許されてはいけない。再発防止に向けて関係者たちは必死でできることはなんでもやるべきだろう。

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“安倍元総理はなぜわざわざ人が大勢集まるところで演説をしなければならなかったのか” への2件の返信

  1. >>政治ではないので宗教なのだろうという類推
    たまたま昨日家にいたので、昼間は事件発生直後からTVでNHK等のニュースを追っていたのですが、当初容疑者の動機を報道する際に「特定宗教団体」という言葉は実際に出ておりました。
    探してみたら16時半時点での毎日新聞の速報が出てきました。錯綜状態の報道なので差し引いて考える必要はありますが、もしこの供述をまともに信じるなら、必ずしも最初から安倍さん個人を狙っていた訳ではないのかもしれません。
    「安倍元首相銃撃の容疑者「特定の宗教団体幹部を狙っていた」と供述 | 毎日新聞」
    https://mainichi.jp/articles/20220708/k00/00m/040/251000c

    いずれにせよ、今回の事件は心情的に辛いです。
    安倍さん個人の政治信条や言動が必ずしも好きだったという訳ではなかったのですが、それでもこうした形で亡くなるのはやはり単純にショックでした。同時に、仮にも非暴力的な言論活動によって選ばれたはずの議員が、暴力によって命を奪われるということ、それ自体に強い衝撃を受けています。
    重大事件とはいえ、それ自体が直ちに自分の生活に影響がある訳ではないはずなのですが、一日経とうとしている今も呆然とした気分が頭の中から消えません。

    お目汚しのコメント失礼しました。

    1. コメントありがとうございました。概要が見えてきましたので後ほど書簡と経緯についてはまとめた記事を出したいと思います。特定の宗教団体の名前を報道する媒体も出てきましたよね。

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