山際大志郎経済再生担当大臣が「我々は野党の話を聞かない」と発言したことが問題になっている。今回はなぜこれが問題なのかを考える。山際さんの発言の根底には「政府は配る人であなたたちはもらう人である」という意識がある。地元選挙区は政権にお世話になるのだから「誰に報いるべきですか」「配れない人に票を入れても仕方ないですよね」と言っている。そしてこの発言について「誤解はあったが撤回はしない」と言っている。
確かに「政府は分配するのだから予算編成権がない政党に入れても仕方ない」という理解は一般に広がっており必ずしも間違った発言とは言えない。つまり「分配」を是とするならばこの発言は特に問題がないのかもしれない。地方の有権者の中にはインフラ整備などで与党の政治家に期待する人が多い。過去に政治に働きかけて高速道路を整備してもらったなどということを記憶している人も多いだろう。
だが問題点もある。
第一に山際さんは「我々」として政府を代表してしまっている。内閣は一体となって議会に対応するという建前になっているためこれは内閣が野党の要求は一切聞かないと宣言したことになってしまう。実際は監督省庁を持たない「担当大臣」に過ぎないことを考えるとこれは少し言い過ぎなのではないかと思える。そもそもこの我々とは誰のことなのだろうかという点も気になる。
次に野党に票を入れた国民の意見は全く取り入れないと言っている。同じ意見であっても自民党・公明党から入ってくる意見は聞くがそうでなければ聞かないということである。つまり内閣は国民全体を代表するのではなく「党利党略を実現する装置」になっていると宣言してしまっている。これはかなり危険な発想だ。だったら自公政権を政権から排除して「一切お願いを聞かない」政府をつくろうという分断の動機につながりかねない。
さらに、山際さんは「生活を良くしたければ分配してやるから政府にお願いしてこい」と言っている。これは日本がまだ貧しかったころの記憶からいまだに山際さんが脱却できていないということを意味している。国策で儲けている一部の輸出企業の恩恵を政府が分配するというのが高度経済成長期の政治の役割だった。このころの意識から抜けられていないのだ。
山際さんは「これからも分配して欲しければ野党に入れてはいけませんよ」と言っている。まず、この発言はどこで行われたのだろうということが気になった。青森県八戸のでの発言だった。次に気になったのは山際さんの地盤である。実はこの人は神奈川県の人なのである。都市の人が地方の人に向けている視線なのだ。
山際さんの頭の中には「こういう地域は中央に頼らないとやってゆけないのだろうな」という気持ちがあったのではないかと思う。実際に選挙区に入り話を聞いた人も口々にそのようなお願いをする。大臣と直接話せるとなれば「陳情の機会」だと捉える人は多いだろう。実際にどのようなやりとりが事前にあったのかはわからないのだが総合的に「分配」に対する発言がもっとも適切であろうと判断したのだろう。
山際さんが地元の神奈川県、千葉県の北西部、埼玉県などで同じような話をしただろうかと感じた。青森は「政治依存地域だ」という頭があるのではないかと思う。
山際さんの生まれは東京都だが高校は神奈川県の学校だったようだ。山口大学で獣医さんになる勉強をして東京大学でさらに勉強し獣医学の博士号を持っている。神奈川県は菅義偉・甘利明という有力な政治家がいるのだが山際さんは甘利さんの「さいこう日本」に所属し議員復帰後は甘利さんについて麻生派に合流している。経産省・財務省に太いパイプを持つ自民党でも有力なグループの一員なのだ。
まだ50代と比較的若いため高度経済成長期のような利益誘導型の政治は知らないものだろうが、おそらく財務省と経産省を抑えている「大派閥」に所属する「我々」がどの地方に何を分配するのかを決めているという意識もあるのかもしれない。つまり、この「我々政府」も内閣全体を意味しているのではないかもしれないのである。
予算と経済政策を握っている派閥が「地方は中央にすがって利権を分けてもらわないとやってゆけないのだろうな」と考えても不思議はない。彼ら「配る人」はファーストクラスの議員で利権誘導のためにお願いをする議員たちはセカンドクラスである。麻生派の力の源泉は財務省に近く各官庁への分配を差配できる点にあるからだ。つまり自民党というより「配る側」の意識が反映されていそうだ。
だが、国民側もこうした「分配政治」に慣れてしまっている。このため今回の山際発言はさほど問題にならなかった。最近の政府は何かにつけて「ポイント」をつけたがる。ポイントをつけて誘導しないと誰も動いてくれないことを知っているからである。政治的なリーダーシップが消えた国で人々の心を動かすのはポイントだけなのだ。
「分配型」の心情が染み付いた日本の政治はこれを総括できない。松野官房長官は「これが野党に利用されると面倒だから」という理由で山際さんに注意を与えたようだ。また野党側も基本的には分配型の政治意識から脱却できていないため「野党の話を聞かないのは民主主義を理解していないから」という反発の仕方になっており「分配」そのものには反発していない。
だが実情はどうだろうか。
給料が上がらない中での物価高(スタグフレーション)が進んでいる。日本が成長するためには企業や国民一人ひとりにお願いして「次の成長点」を探してもらう必要がある。給料が上がったら今度は人口対策である。だから、経済再生においては大臣というのは国民に「次の成長点を探してください」とお願いする立場であって「配ってやるから票を入れろ」という立場ではないはずなのである。
麻生派(甘利派)である山際さんは「財務省・通産省サイドの配る人」としての認識を持ち「我々が分配してあげるんですよ、野党ではないんですよ」と主張したわけだが、これが今後も成り立つかどうかはわからない。ただし山際さんの「誤解だったが撤回しない」という態度からは「自分が頭を下げてお願いする側にはなりたくないしそうはならないだろう」という気持ちが透けて見える。
この発言、政権の「始末」の仕方、野党の攻撃、本人の釈明まで通じて見ていると、分配型政治にどっぷりと浸かりきり「自分からは動くつもりがない」という状態になっていることがよくわかる。政府の金は自然に湧いてくるわけではない。一人ひとりが「次は何が儲かるだろうか」と一生懸命探した結果でしかない。
この「我々」が内閣のことだったのか、財務省のことだったのかというのは聞いてみたいところだが、松野さんの「ご注意」もありご本人がこれについて今後発言することはないだろう。
この問題の根幹は国民に率先してお願いをすべき経済再生担当大臣の山際さんが強い分配者意識を持っているということだろう。だが、将来も日本政府が気前よく配り続けることができるという保証はどこにもないのである。