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「黒い帽子の国」カラカルパクスタンでデモが暴動に発展

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ウズベキスタンにあるカラカルパクスタンという地域でデモが起きて暴動に発展したという。原因は憲法改正だ。だがこれだけでは情報が少なく何のことだかがわからない。現在緊急事態宣言が発令され大勢の死者が出ているのではないかという報道もある。背景を調べてみた。

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デモのきっかけは憲法改正

AFPが伝えるところによると暴動が発生したきっかけは憲法改正提案だった。シャフカト・ミルジヨエフ大統領は権力基盤を確保しようとしていて大統領任期の延長を提案していた。と同時にからカルパクスタンの独立条項に対する言及がなくこれが警戒された。

隣のカザフスタンでは物価高に対する不満が大統領に向かいデモが暴動に発展していた。このためロシアなどが介入し情勢を鎮圧させたという経緯がある。ウズベキスタンのデモの背景はこれとは背景が大きく異なっている。

いずれにせよデモは暴動に発展した。SNSに出回っている情報によると大勢の死者が出ているのではないかという観測もあるようだが現地の状況はよくわからない。一ヶ月の緊急事態宣言が発令されロシアの介入なしに事態の収拾が図られることになる。

複雑な国家形成の経緯

そもそもカラカルパクスタンとは何なのだろうか。カラカルパクスタンはウズベクの西側にある地域だ。人口は少ないが面積は全国土の36%を占める。カラは黒いという意味でカルパクが尖ったもの(帽子)を意味するという。トゥルク系の民族衣装に欠かせない帽子をカルパクというそうだが特に尖っているようには見えない。いずれにせよ黒い被り物の人たちが住む地域(カラ・カルパク・スタン)というのが自治州の名前になっている。

自治州というだけあってウズベクとは違う人たちが住んでいる。ウズベキスタンの一部ということになっているが自分たちで独立する権利が憲法で保障されているのだという。

この地域にはカザフとウズベクという系統の違うトゥルク系住民が住んでいる。どちらもトゥルク(トルコ語)系の言語を話すのだが血統的にはイラン系(コーカソイド)とモンゴル系(モンゴロイド)が混じり合った状態だ。もともと定住傾向が強いウズベクが国を作ったのだがそこから遊牧傾向が強いカザフ系の人たちが独立した。とはいえ確固たる民族意識があるわけではなく遊牧グループの小集団がバラバラに暮らしているような状態だったようだ。カザフではこうしたつながりをジュズという。

最初にこの地域の都市での主要言語になったのはペルシャ語だった。つまりこの地域の人たちはトゥルク系とペルシャ語系のバイリンガルになった。次に入ってきたのはロシア帝国だった。一部の人たちは支配のゆるい清の領域に流れた。今の新疆ウィグル自治区にトゥルク系の人たちが多く住んでいるのはこのためである。

この地域に民族意識が生まれたのはやはりソ連時代になってからであった。レーニンはロシア皇帝への対立意識を革命に利用しようと言語をもとに「民族」を作った。こうしてトゥルク系の小集団がウズベク人やカザフ人に再編成されてゆく。ペルシャ語系の民族もいて「タジク」と自称している。ただし、ウズベキスタンにはほとんどタジク人がいないことになっている。差別を恐れて自分たちをウズベクだと言っているそうだ。

カラカルパクスタン人はカザフ語に近い系統のトゥルク語を話す。このため最初はカラカルパク自治州としてカザフの中に設立された。ところが1932年に自治共和国としてロシアに帰属させられた。さらに1936年にウズベクに移管されるというめまぐるしい経緯をたどっている。

この時代は、革命初代のレーニンからスターリンへの移行期にあたる。ウクライナではホロモドールとして知られる飢饉と民族浄化があった時代だ。西側に対して「革命はうまく言っている」と宣伝する必要があったソ連はロシアの飢饉を隠蔽するためにウクライナなどから食料を収奪した。ウクライナ人はこれを人為的な虐殺であると見なしている。この「恨み」が現在のロシアとウクライナの戦争の遠因の一つになっている。

このころのカザフスタンやカラカルパクスタンに何が起こったのかはわからない。探すと「カザフスタンでもひどい飢饉で大勢の人が亡くなったようだ」という記事は出てくる。さらに、カザフスタンは広大な領域を失いウズベキスタンは広大な領土を手に入れた。カラカルパクスタンはウズベキスタン全体の36%を占める。

このように旧ソ連圏の混乱を辿ってゆくと高い確率でスターリン時代の混乱に行き着く。さまざまな民族を切ったり貼ったりして「国家」を編成した歴史があるのだが歴史的な経緯を無視しているためどうしても無理が生じてしまうのだ。こうした問題は今も地域の情勢に強い影を落としており時々暴動などの形で吹き出すことになる。

アラル海の干魃で貧困化が進むカラカルパクスタンと高いインフレに悩むウズベキスタン

現在のカラカルパクスタンはアラル海が干上がったこととの関連で報道されることが多い。これもスターリン時代の「自然改造」の結果だ。アムダリア・シルダリアの無秩序な灌漑によりアラル海に水が入ってこなくなったのである。カラカルパクスタンはアラル海に面しているのだがアラル海は近年消失しかけている。このためカラカルパクスタンが渇水で苦しんでいるというニュースがよく出てくる。

国連のある記事では「カラカルパクスタンの貧困率は2004年に44.7%を記録しました。その後、改善が見られましたが、それでも2020年時点で、国民の14.6%が貧困の中で生活をしています。」と報告されている。人口も少なく民族的にも違いがあるため開発から取り残されているのだろうなということがよくわかる。

とはいえウズベキスタンにも僻地を救済する余力はない。そもそもウズベキスタン経済はそれほどうまく行っていないからだ。

簡単におさらいするとソ連が崩壊し他の旧ソ連国家と同じような急激なインフレに見舞われた。その後IMFが入り経済の自由化を進めた。だがインフレのコントロールには至っていないようで2019年にはインフレが悪化しているというニュースがあった。人々は現地通貨スムを信頼せずドルに変えて貯蓄している。だがドルでは買い物ができないため買い物をするときにはスムを再び手に入れなければならないという状況なのだそうだ。

現在かろうじてウズベキスタンの経済が破綻しないのはIMFからの強い監視を受けているからなのだろう。ロシアが他の世界から経済的に切り離されてしまうとこうした保護は行き届かなくなるのかもしれない。

カザフスタンでは2022年1月に燃料費高騰によるデモが起きてロシアなどが介入するという騒ぎがあった。この時トカエフ大統領は「デモは外国に扇動されている」としてロシアの助けによりデモを鎮圧した。ただしこの介入によってプーチン大統領の影響力を排除できなくなっている。プーチン大統領と西側の関係が悪化すればカザフスタンも巻き添えで「あちら側」に追いやられてしまうかもしれない。

繰り返しになるが今回の暴動のきっかけは、ミルジヨエフ大統領の「改憲提案」だった。現在のカラカルパクスタン自治州には「分離独立の権利」が記載されているが改革提案には「そのような条項がない」ことが問題になっていた。ミルジヨエフ大統領はカラカルパクスタンに関する条項は取り上げたようだが任期延長のための憲法改正には前向きな姿勢を崩していない。

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