アメリカの最高裁判所が1973年のロー対ウェイド判決を覆してルビコン川を渡る

先日銃規制の問題について銃規制反対派寄りの判断を下したばかりのアメリカ最高裁判所だが今度は1973年のロー対ウエイド判決を覆した。1973年当時からアメリカの世論を二分する判例だった。中絶反対派は活気づき、直ちに13州で中絶が禁止され、最終的に26の州が中絶反対に動くものと考えられているそうだ。政治的議論が州レベルに持ち込まれるという意味では最高裁判所はパンドラの箱を開けたと言える。また国論が二分する問題に大きく関わったことで最高裁判所が政治的な存在であるということを印象付けた。その意味ではルビコン川を渡ったとみなすこともできそうだ。






1973年のロー対ウェイド事件は中絶の権利について争った裁判だ。ある女性(当時匿名)が望まない妊娠をしたが中絶できないのは女性の権利を侵害していると訴えを起こした。最終的に連邦が中絶を禁止することができるという判断が下され、のちのアメリカ合衆国における中絶問題に大きな影響を与えた。

国論が二分しているため判決を覆せば大騒ぎになることがわかっている上に一度最高裁判所が下した判断を覆すことになる。このためこれまで最高裁判所はこの判断を覆すことに躊躇してきた。今回の判断はアメリカでは歴史的な判決とみなされることになるだろう。

今回の判断で一部の判事は「最初からロー対ウェイドは間違っていた」とかなり大胆な意思表明をしている。つまり自分たちの前任者は誤った判断をしたと断じているのだ。

現在13の州が「ロー対ウェイドが覆れば中絶を禁止する」というトリガー条項を準備しているとBBCは書いている。

出典:BBC

ロイターは最終的に26の州で中絶が禁止されることになりそうだと予測する。中絶が禁止された場合女性が望まない妊娠をしてもそれを受け入れざるを得なくなる。現在中絶を準備している女性の中にも「中絶ができなくなった」という人が出てくるかもしれない。彼女たちにとっては人生が大きく変わる出来事である。

最高裁判所は「憲法を厳密に解釈しているだけ」で一貫しているとみなすこともできる。だが民意の反映という意味では銃規制とは真逆の判断をしている。

  • 銃規制の問題では「何を規制するかどうかを州が恣意的に判断すべきでない」と言っている。
  • 中絶の問題では「何を規制するかどうかは州が個別に判断すべきだ」と言っている。

つまり、その判断は極めて恣意的でその時々の政治状況によって大きく左右されていることがわかる。アメリカの最高裁判所が国論を二分するような問題について積極的に介入する姿勢を見せたことで、最高裁判所が政治的な存在なのだということを印象付けた。どちらの判断も大喜びする人と大いに落胆する人がいる。そしてどちらの判断もアメリカ人の日々の暮らしに大きな影響を与える。

これらの判断は間違い無く国論を二分することになるだろう。つまりアメリカ人全員が「これは最高裁判所の判断なのだから間違いはない」と考えることはない。銃規制の議論を見ると一部の議員たちは最高裁判所の判決に失望を表明している。中絶問題でも同じような報道がされるはずだ。

それでもアメリカの最高裁判所には憲法を解釈し何が合憲で何が違憲なのかを決める権限がある。国民世論を見ながらその権限を行使するかしないかを決めているという点では日本と同じである。だが日本の最高裁判所は一貫して国論が二分しかねない問題についての判断を避ける。これを統治行為論という。政治性のある問題については一貫して判断しないという方針だ。

アメリカ合衆国の最高裁判所判事はその時々の政権が決めるのだが退任を決めるのは判事本人だけである。国民は最高裁判所判事の判断に大きな影響を受けるのだが民意で判事の構成を大きく変えることはできない。最高裁判所が政治から距離をおけば「チェック機能が働いている」ということになるのだが、政権の意向が大きく反映されることになると国民の分断を招き最高裁判所の権威の失墜にもつながりかねない。

一方で日本の最高裁判所は統治行為論で政治的判断を一切避けることでこうした反発の矛先が最高裁判所に向かうことを防いでいる。このため、憲法が改正されてから今までの間最高裁判所裁判官の国民審査で罷免された人は未だ一人も出ていない。

日本の司法の仕組みはアメリカの制度を参考にして作られたとされるが運用という面では大きく違っている。

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