バイデン大統領のサウジアラビア訪問が決まった。目的はサウジアラビアに「石油の増産をお願いできる関係」を構築することである。足元のインフレを止めるためにはサウジアラビアの石油がどうしても必要なのだ。だがバイデン大統領とサウジアラビアの関係は冷え切っている。朝日新聞はこの訪問を「手打ち」と表現した。あまり上品とは言えないが的を射た表現だ。
バイデン大統領のサウジアラビア訪問はあらかじめ予定されていたものではない。本来の目標はイスラエルへの歴訪である。国内に多くのユダヤ系アメリカ人を抱えるバイデン大統領としては「票田を固める」目的もあるのだろう。
バイデン大統領はもともと「民主主義や人権」を重んじるタイプのようだ。だが非民主的な国や人を軽く見る傾向がある。サルマン皇太子は2018年に起きたサウジ人記者のジャマル・カショギ氏殺害に関与していたとみなされているため、バイデン大統領はサルマン皇太子を「のけ者」とみなしてきた。
ところが事情が変わった。バイデン大統領は中国やロシアとの関係も徐々に悪化させてきた。一方で就任当初はインフレの影響を過小評価しておりインフレ対策の初期対応に失敗した大統領という評価が定着しつつある。大手マスコミが「リセッション」について解説を始める中で、これ以上傷口が広がらないようにどう着地させるかという局面にさしかかっている。
アメリカはシェールオイルを豊富に生産できるはずなのだが党内の環境派を意識するバイデン大統領はシェールオイルには冷淡だったと言われている。また国内石油元売への対応もいまだに敵対的で石油会社が利益確保のために石油を減産していると非難する手紙を送りつけているそうだ。
普段からの関係構築を怠っていたことから国内の石油価格は高騰しインフレの主な要因の一つとなっている。最低賃金の引き上げなど中間層に優しい政策を取っていたバイデン大統領だったが結果的に「悪いインフレ」となってアメリカ国民を苦しめ始めた。
現在取り得る対策は金融政策を通じてインフレの加熱にブレーキをかけることである。だがこの政策には大きな副作用が出る。アメリカはリセッション入りするのではないかという観測が広がっている。
こうした事情があり、政府の側としても何かやらなければならないというところまで追い込まれているのだろう。
Bloombergはこれをバイデン大統領の変節とみなし「カショギ氏よりもロシア封じ込めを選んだ」と冷ややかな見方をしている。Bloombergの政治的なポジションがよくわかる。
今回アメリカに勝利したのはサウジアラビアの皇太子だけではない。Newsweekによると実はベネズエラのマドゥロ大統領も勝者とみなされているのだという。こちらはさらに事情が複雑だ。マドゥロ政権に対する経済制裁を始めたのはトランプ大統領だ。「この経済制裁を無意味なもののにするのか」と共和党側からの反発が広がっているようだ。
経済的に行き詰まるマドゥロ政権は抗議運動を弾圧した。このためトランプ政権下で厳しい経済制裁が発動した。ベネズエラは締め付けられたがベネズエラでアメリカお気に入りの「民主主義」が勝つことはなかった。
元々ベネズエラはポピュリズム政権だったが経済が行き詰まると富裕層の抱き込みを始めた。経済の一部を政権が指定する一部の富裕層に開放し優遇したのである。これはプーチン大統領が新興財閥オリガルヒを抱き込んだのと同じやり方である。トランプ政権の封じ込めは皮肉なことに政権が管理しやすい経済環境を作る手助けになっている。ベネズエラの財閥は政権と組んでビジネスをするしか生き残る道がなくなってしまったからだ。
さらに中国とのデカップリングもベネズエラには追い風だった。アメリカとヨーロッパ中心の経済が行き詰っているなら中国にやイランに接近すればいいとベネズエラは考えたのだ。
結局アメリカの経済制裁はベネズエラの国民を苦しめただけで終わってしまった。Newsweekによれば今でもベネズエラの国民の8割は貧困にあえいでいるという。
バイデン政権はベネズエラを新しい石油の調達先として加えたいところだがトランプ政権時代に経済制裁を始めたこともあり共和党から猛烈な反対を受けているようだ。おそらく国内で「民主主義的な価値観を守りたい」という民主党の支持者たちも複雑な気持ちだろう。
当たり前のことだが経済制裁で同時に多くの国を締め上げることはできない。一つの国を締め上げれば別の国に対する制裁を緩めなければならなくなる。このためアメリカ合衆国には選択肢があまりなく、人権や民主主義にこだわっている場合ではないといったところだ。
とにかく国内のインフレ対策にめどをつけ経済的に副作用がある大幅利上げから抜け出さなければ中間選挙で民主党政権が勝てる望みはない。
さらにアメリカの景気が冷え込めばリセッションは国際的に波及するかもしれない。このためここはどうしてもサウジアラビアとの関係を正常化し石油の調達先を増やさなければならない。まさにバイデン政権に取っても世界経済にとっても正念場といった局面にさしかかっている。