たまには地味な領域に目を向けてみようと考えた。そこで注目したのが肥料である。秋に向けて肥料価格の高騰が予想されており国産の野菜が値上がりする可能性があるのだという。そこで農業新聞を検索してみた。「地味なニュースだろう」と思っていたのだがその値上げ幅を見て驚いた。9割も値上げされる肥料がある。一つは聞いたことがある塩化カリという要素だったがそれ以上に尿素の価格が値上がりしている。尿素について調べていてまた驚いた。尿素不足で影響を受ける分野は農業だけではない。物流も尿素不足の影響を受けるのだ。ただ我々がその深刻さに気がつくことはないのかもしれないとも感じた。
日本農業新聞が[高騰ショック]秋肥大幅値上げ 高度化成55%高 原料高騰で全農という記事を出している。いまのインフレをどう呼んでいいかわからないのだが便宜上岸田インフレということにしておく。岸田インフレにより諸物価が値上がりする中で肥料もその影響を受けている。ただし1%とか2%という生易しい上がり方ではない。中には94%とか80%の値上がりと書かれているものもあるのだ。
なぜ農家は騒がないのだろう?と思った。
労働力の流動性が高いアメリカではインフレ・アンカーが外れると坂道を転が流ようにしてインフレが加速することになる。だが、岸田インフレではそのようなことは起こらない。賃金は低く抑えられており貯蓄ができない世帯も増えているために「インフレは悪である」とみなされているからである。
これをウォール・ストリートジャーナルはこれをJapanificationと呼んでいる。停滞と安定が奇妙に同居している日本独自の状態を指す。アメリカの狂乱物価高から見るとこれが「奇妙な安定」に見えるわけである。何れにせよ岸田インフレは静かに進行するという特徴がある。農家のようにピンポイントでダメージを受けるところが出てくる。だがそれによって農家が大騒ぎすることはない。
ベラルーシの話を知っていたので「カリウム肥料が値上げされる」ことにはあまり驚きを感じなかった。2022年3月の時点で全農は「国の対応を注視してゆく」としていたが結局どうにもならなかったようである。結局国は大した対応はしてくれそうにない。現在は緊急経済対策として肥料に補助をするという話が出ている。政府が効果的な対策を講じてくれるのを祈るしかない状態だ。
今回の肥料値上げについて書かれた日経新聞の記事にはウクライナの戦争で原材料が手に入らなくなったと書かれている。だが、全農の3月の記事を読む限りその流通経路は極めて複雑なようだ。特に中国が輸出を制限したことで日本の肥料価格が大きく値を上げていることがわかる。グローバル経済はでカップリングの過渡期に入っている。この影響が玉突き式に中国に影響を与え日本の肥料価格を押し上げているのである。塩化カリ・尿素・リン安という名前が上がっている。
時事通信の記事も読んでみたが尿素の値上げについての説明はない。いろいろ調べていて意外なジャンルの記事が多く見つかった。それが韓国の物流不安である。
中国が尿素の輸出を制限した。理由は国内需要を満たすためである。農業用肥料と並んで重要なのがディーゼル自動車を動かすのに欠かせない尿素水である。
中国依存度が高い韓国ではこれが大きな問題になった。韓国は中国産に頼っており中国が輸出を制限したことで尿素水が足りなくなったそうだ。このときは「日本は関係ない」という話になっており韓国問題は対岸の火事とされていたが徐々に「日本は大丈夫なのか」という記事も出るようになっていた。2021年末の時点で「韓国は対岸の火事ではない 日本でも尿素水不足で「物流が止まる」の声」というコラムを書いている人がいた。
尿素はアンモニアと二酸化炭素から作るそうだ。アンモニアを生成するためには石炭が使われる。中国はオーストラリアにその石炭を頼っていたのだが中豪関係が悪化し石炭が手に入りにくくなった。尿素は肥料としても用いられるので中国は国内需要量を確保するために輸入を制限した。そこで韓国ではパニックに近いような動きになったようだ。日本は今のところ大きな騒ぎにはなっていない。だが尿素不足が解消されたわけではないのだから「何かのきっかけで大きく自体が動く」可能性がないわけではない。
とにかくグローバル経済には様々な不調が起きている。その不調がさらなる情勢の悪化を生む。するとその情勢の悪化を受けてさらなる不調が起こる。この繰り返しである。
ところが日本ではこうした不調がなかなか表面化しにくい。理由はいくつかありそうだ。
一つはすでに挙げた。日本では賃金上昇が起こらなかったためインフレは悪であるという了解が広く浸透している。このため物価上昇がさらなる物価上昇を生むというアメリカのような現象が起きていないのだ。いちどインフレアンカーが外れるとインフレは加速的に進むが日本がそうなるにはおそらくかなりの時間がかかるだろう。
もう一つの要因はおそらく「問題を個人て抱え込む」という日本人特有の謙譲精神だろう。
尿素水が足りないと問題になっていた韓国ではトラック運転手のストが拡大しているそうだ。理由を気にして読んでみたが「燃料費高騰」としか触れられていない。ロイターと中央日報が記事を書いている。中央日報の記事によると釜山港の港は飽和状態に陥っており物流麻痺の危険性もあるのだという。いろいろな要因が積み重なりついに火がついたということのようだ。
さらに詳しく調べて見るとKBSの記事が見つかった。「安全運賃制度」の廃止への抗議運動にガソリン価格高騰が拍車をかけたと書かれている。荷主が運賃を安く抑えると生活費を稼ぐためにドライバーが無理をすることになる。これを防ぐために「安全運賃制度」が設けられ一定の運賃が保障されていた。いかにも革新系の政権らしい政策だが政権交代が起きたため尹錫悦政権の対応が注目されているという。ハンギョレによるとストにはごく一部が参加しているに過ぎないそうだがそれでも物流への影響は大きいようだ。
つまり韓国では窮状を訴えるドライバーが団結して社会運動を起こすため騒ぎが拡大しやすいということになる。
こうした騒ぎを見ると「韓国は大変だなあ」などと思うわけだが、日本人は問題を個人で抱え込み一人ひとりの努力ではどうにもならなくなるまで問題を悪化させることが多い。ドライバーの組合がストやデモをやったという話は聞かない。大手宅配業と個人委託契約を結んでおり「嫌なら辞めればいいじゃないか」ということになっている。
肥料高騰のニュースは今年の春ごろから言われていることだが政府は有効な対策を打ち出せていない。おそらく「農業を続けられなくなった」という人たちが大勢出てくるまでこのニュースが顕在化することはないだろう。「農業を続けられない人が増えた」ことが社会問題になることすらなく「気がついたら日本の農村が溶けていた」ということになるのかもしれない。
それはおそらく物流でも同じことが言える。続けられないというドライバーが職を離れてしまい気がついたらモノが届けられなくなっていたということが起こりえるのである。我々はそれに気がつくことはなく「Amazonの荷物が来るのが最近いやに遅れているなあ」というような感覚を持つだけなのかもしれない。