先ほどリリースした「岸田インフレ批判」についてまとめるために色々な記事を読んだ。この時に、ロイターの田巻一彦さんの署名入りコラムを読んだのだが面白かったので中身をご紹介したい。賃金上昇が起こらなければ日本の将来はかなり見通しが暗いというものだ。表題は「コラム:物価高のマイナス効果、強制貯蓄で補えず 耐久力が低下」である。面白いと感じたのは「統計と実情が違う理由」を考えて考察している点だ。
短いコラムなので読んでいただくのが手っ取り早いと思うのだが、それではブログ記事にならないので一応要旨をまとめておきたい。
経済統計では黒田日銀総裁発言を受けて「強制貯蓄が50兆円に昇っておりこれを原資にすれば日本経済が上り調子になる」と期待するエコノミストが多いそうである。日本株の投資家も大いに期待を寄せているようだという日経の記事も見つかる。だが世間では黒田批判が巻き起こった。つまり世間の実感とはずれているというのも確かだ。
田巻さんはその理由を考察している。
田巻さんが行き着いた結論は「平均の誤謬」である。確かに日本全体で見ると「50兆円がどこかにある」ことは確かなようだ。だがそれをみんなが持っているとは限らない。2900万人の給与所得者と4040万人の年金受給者は恩恵を受けていないかもしれないという。
- 2020年の年間平均給与は前年比マイナス0.8%の433万1000円。この平均を下回る400万円以下の階層は、給与所得者5245万人の55.1%を占める。
- また、年金受給権者は4040万人と国民全体の約3割を占め、今年4月から年金額が減額されていることも見逃せない。
もちろん年金受給者の中にも富裕な層はいるのだろうし共稼ぎの家計もあるのだろう。つまり、全ての家計が苦しいというわけではない。だが、低所得子育て世帯などを中心んに強制貯蓄をする余裕がない世帯が多くある可能性は非常に高い。余裕を感じていない人々の最大値が7000万人とすると50兆円の多くは「一部が独占している」ということになる。
さらに資産少しばかり増えたとしても「老後はこれでは耐えられない」と感じている世帯も多いだろう。こうした世帯は少しばかり強制貯蓄ができたとしてもそれを使って値上げに対応しないとは思わないはずだ。
黒田日銀が見ているのは統計的な全体像だが、我々が見ているのは一人一人の家計であるということになる。つまり全体像を単純に割っても「多くの人の実感」がわからなくなっているということだ。比較的格差が小さかった以前の感覚で今の日本をつかむことはできなくなっている。
こうした偏りで賃金上昇による企業の再配分が起こらないと格差が固定することになる。つまり貧しい人はどんどん貧しくなる。すると全体の賃金はむしろ下がってゆき安倍政権で導入された新しい年金安定策によって年金受給者の支給額は下がっていってしまうのだ。つまり一部の人が潤うだけで全体は貧しくなる。
仮に黒田日銀の試算が正しいと仮定すると、コロナ禍による強制貯蓄によって企業が持っていた再配分機能が阻害されて、ますます富裕層だけに貯蓄が偏っているということになる。
つまり問題は「格差だ」ということになる。自分で買い物をしない黒田総裁に「我々のくらしの経済」のことなどわかるはずはないという一部経済評論家の発言は正しいということになるだろう。黒田さんの見ている日本は統計的に正しかったにせよ「みんなを代表していない」からである。
田巻さんのコラムだけを引き合いに出すのは客観性に欠けると感じたので別の記事もご紹介したい。実は日銀は誰が貯蓄を持っているのかということを把握している。共同通信は「低所得者に恩恵が及んでいない」ことを黒田総裁は説明しなかったと書いている。当然だが世帯年収が800万円以上という人たちが45%の強制貯蓄を行なっていたそうだ。一方で400万円以下の世帯が獲得した貯蓄は14%だった。低所得のひとり親や単身世帯は特に苦しい生活をしており強制貯蓄どころではなかったのだろうということがよくわかる。
ただ実際にどれくらいの家計がどんな影響を受けているのかは積極的な調査なしには把握できない。格差が広がっており「みんな」がどんな状態にあるのかを把握するのは地方にネットワークを持っている政治家のみである。政治家たちが支持者だけでなく「みんなの生活」を把握しているのかと考えると、そうであっては欲しいがそうではない可能性も高いのだろうなと思う。黒田総裁は賃金上昇は誰か他の人が取り組むべき問題だと考えているようだし、政府からも具体的な賃金上昇策は聞かれない。なんとなく「やっている感」を演出しているだけである。
田巻さんは「多くの人が恩恵を受けていない以上」は強制貯蓄の上昇が日本経済を活性化させることにはならないと考えているようだ。
繰り返しになるが詳細についてはコラム:物価高のマイナス効果、強制貯蓄で補えず 耐久力が低下を読んでいただきたい。単なる印象による黒田批判ではなく違和感を捉えて理論的な考察をしている。