ロイターが「崩れた政高党低」と言う記事を書いている。日本の需給ギャップが大きく開いているため政府が積極的に財政支出すべきだという自民党の圧力が高まっているという。ただしこの記事だけ読んでもよくわからないので最初から調べてみることにした。結論から言うと政治全体が経済政策を最初から間違えている可能性が高いと感じた。現在の需給ギャップの元々の原因はおそらくコロナではなく2019年10月1日の消費税増税だからだ。すると消費税減税をして需給ギャップを解消すればいいのではないかと思えるのだがそうはならない。「消費税増税」には隠れた副作用がある。人々はこれを擬似インフレと理解するのである。
順番に読んでゆくと割と簡単なのだが順番に一つひとつ説明した記事がない。全部で三段階がある。
段階1:まず、教科書的解釈の理解を固める
需給ギャップは実際のGDPと本来日本が発揮できるはずの潜在的GDPの差を計算したものだ。本来日本が発揮できるはずのGDPは統計ではわからないため推計する。このため需給ギャップには誤差が出る。
いずれにせよ基本的な図式は極めて簡単なものである。
- 潜在GDPより実際のGDPが低く出ると「需要が足りない」とみなされる。需要が足りないと高く売れないので物価は下がりデフレ状態になる。
- 需要が過剰だと物価は上がりインフレ状態になる。つまり需給ギャップがプラスだと物価高になる。
これが教科書的理解である。現在は需給ギャップがマイナスでインフレが進行しているためこの図式が当てはまらない。なぜ当てはまらないのかと言うのが考察ポイントだ。
段階2:消費税の影響を理解する
ところが2017年の東洋経済に面白い記事が出ている。実際には需要ではなく消費税で需給ギャップが動いているというのだ。重要なのは消費税が悪いわけではなく消費税増税のメッセージ効果に問題があるということだ。つまり消費税をやめたからといってそれが解消することはないと言うことを理解するのが重要だ。
- 消費税が上がると予想されると人々は物価の上昇を予測するので「今のうちに買わなければ」という気持ちになる。つまり人々はインフレを予想するのと同じ効果が出る。
- 消費税が実際に上がってしまうともう買えないと考えた人が買い控えを起こす。つまりインフレ期待は継続しない。
近年の需給ギャップの動向はこの心理状態によって説明できてしまうのだという。日本はデフレのようなと言われる低成長状態にあったため「値上げ=消費税増税」という時期が長く続いているために起こる現象なのだろう。
つまり政府が擬似インフレを作るのだが消費税が上がった後に消費者心理を冷え込ませてしまう。企業もこれがインフレではないことを理解しているため賃金を上げることがない。これが「デフレのようなデフレでないような」状態を作り出す。人々は値段が上がるが収入が上がらない場合にどうすべきなのかを学習してしまうのである。
これが消費税増税のもたらす副作用だ。
段階3:他の経済危機と消費税増税の擬似インフレ効果が合成される
実際に消費税が10%に上がったのは2019年10月1日だった。この後にコロナ禍になったため経済活動が抑制され、需給ギャップが広がった。2020年4-6月期の需給ギャップは年額換算で57兆円だった。2020年7~9月期の需給ギャップは少し改善して34兆円だったそうだ。
さて、この時「消費税増税が悪かったのかコロナが悪かったのか」と言うことになるのだが、その議論には意味がない。消費税増税とコロナが重なったと言う経験しかしていないからである。つまり合成されたものは要素に分解できない。
段階3と書いたのはこれが理由である。つまり消費税増税の影響がコロナによって見えなくなってしまった上に分解もできなくなってしまった。いずれにせよこの二つが「合成」されたためとんでもない落ち込みが起きた。日経新聞のグラフによるとリーマンショックよりもひどい落ち込みだったそうだ。
日経新聞はマクロ経済対策で「需給ギャップ対策ができる」と説明している。これは段階1の教科書的な理解だ。だが東洋経済を読んだ後はちょっと違った感想を持つ。2019年に消費税が上がるときに駆け込み需要があったとするとこの下がり方が説明できてしまう。コロナ禍というのはその後に来たものだとするとコロナ禍は消費税増税の後追いをしているだけである。さらに人々は消費税増税の予想で動いているのだから金融対策をしても需給ギャップの改善にはつながらないだろう。これは段階2の理解である。さらに段階3までくると一体何がどうなっているのかがわからなくなる。
案の定政府の経済対策は混乱をきたすことになり管政権は短命に終わった。
段階4
ただ事態はますます悪い方向に転がり始めている。コロナ禍からの回復によって世界経済が再び成長を始めたのだ。経済再開の煽りで原油の価格が上がる。さらに干魃でカナダの小麦が上がりウクライナの戦争が始まりさらに小麦が上がった。
さらに日銀は長期金利を低く抑え込んでいるので金利を上げ始めた海外との金利差が開き円安が進行しさらに物価が上がってゆく。こうしてコストプッシュ型のインフレが起きているのである。
これが波状的に起きているため「一体何が何だかわからなくなっている」と言うのが今の状態である。
さて消費税増税前のことを考えてみよう。値段は上がることは絶対に確実なのだが収入は前年度並みが予想されている。これはインフレのように錯覚されるため人々は防衛的に消費意欲を増す。ところがこれは一時的なインフレに過ぎないことは企業もわかっているため擬似インフレが起きても賃金は上がらない。だから人々は一転して消費を控えるようになった。人々は賃金上昇なきインフレで何をすべきかを学習した。生活を切り詰めればいいのだ。
実際にコロナが落ち着き「これからリベンジ消費だ」と盛り上がったところに「コストプッシュ型インフレ」のニュースがあふれたために2022年4月の消費支出は二ヶ月連続でマイナスに転じたそうである。どうせ賃金は上がらないだろうから生活防衛に走ろうと考えた人が多かったのだろう。
そう考えると日銀総裁の「家計は物価上昇を容認している」という発言がいかにいい加減なものだったのかということが改めてわかってくる。人々は仕方なく物価高を受け入れている。他に選択肢がないからだ。日銀総裁は「せっかく物価が上がり始めたのだからこの際値上げしたい企業は便乗値上げをすればいい」と言い放ったが人々は当然防衛的になり消費を弱めた。
だが日銀総裁を責め立てても人々の所得が上がることはない。
単発の経済対策には意味がないのだが……
では、政府が国中にばらバラマけばいいのではないかという気になる。自民党が言っている積極財政論である。国民民主党もこの考えに乗っているようだ。だが、こうしたバラマキには一時的な効果しかない。例えば10万円もらった人がすぐにこの金を使おうとは思わないはずである。何故ならば一回きりの10万円は「次はない」からである。いったんお金を使う生活に慣れてしまったらあとが大変だと考えるのが普通だろう。だからこの政策も賃金上昇にはつながらない。
もともとこれが消費税から始まったとすれば皮肉なことである。背景にあるのは不安と不信感だ。
- 財務省は「今後税金が足りなくなると困る」と考えてとにかく安定的に取れる消費税を上げたい。だがこれが却って消費者の消費意欲を冷え込ませてしまう上に賃金上昇にも繋がらない。
- 政治家は選挙のために「自分たちが予算を持って来た」と主張したいために経済対策費用を膨らませる。このために本来必要がなかった国債発行を迫られる。国債を発行すればするほど長期金利があげられなくなる。しかし経済対策はどれも事務コストがかかるものばかりでうまく配ることができない。
- 必要なところにお金が届かないうちにコストプッシュ型のインフレが加速される。人々の消費意欲が下がる。だが消費者はこの状態に慣れている。我慢して乗り切ろうと考える。こうしてまた消費が冷える。
- 下がった消費意欲を上げようと慌てた政府は一時的であるがゆえにあまり効果がない対策を打つ。野党も「根本的に何か間違っているのでは」とは言わず「量が足りないからだ」と連呼するばかりだ。すると財政が圧迫されるので「また消費税を上げよう」という声が出る。
この状態を正常な状態に戻すルートは二つある。一つはすでに述べたように政府の対策に恒久的な効果があるということを信じ込ませることだ。だが下からの積み上げによるバラバラな対策の組み合わせにはこのような効果はない上に無理やり配ろうとすると事務作業がついてゆけないために様々な弊害が出ることは明らかである。さらに毎年10万円づつ配るとしたところで一体何年もつのか?という疑念も生まれる。消費税をたくさん取って国債まで発行し、それをお金をかけて国民に割り戻すという政策に意味があるようには思えない。
となると、需要を政府が作り出したり擬似インフレのようにインフレを錯誤させるような定期的な消費税増税をやめるべきであるということになる。政府が経済に介入すればするほど人々の経済感覚に間違った印象が植え付けられてしまうからである。
だが政治家も将来不安を抱えている。見捨てられることを恐れていて「国民から税金をとって国債も発行して自分たちがばらまかなければならない」という謎の使命感を持つようだ。結果的にどの党も「大規模な経済対策」の必要性を訴えている。自民党公明党政権が言っている分には「政権を変えればいい」と思えるのだが実は立憲民主党も国民民主党も同じような主張をしている。
つまりどっちに転んでもこのスパイラルから抜け出すことはできないのである。