おかしなことになっている。「雇用統計が思いの外よかった」という結果を受けてアメリカの株式が下がっているのだ。好景気なのだから企業業績は好調なはずだ。だから株価は上がるはずである。
最近のアメリカ経済をよく見ている人なら「なるほど」と感じたかもしれないがそうでない人にとってはわけがわからない展開だろう。以下Bloombergの2本の記事を読みながら状況を整理してゆく。
まず「米雇用者数、5月は予想上回る39万人増-経済への楽観を示唆」という記事だ。読み方は単純だ。新しい仕事を得る人が増えているのだから経済は良くなっている。これはいいことだろう。雇用は伸びているが賃金上昇は抑えられている。実際に記事は「ソフトランディングが可能」かもしれないと書いている。投資家は安心して投資を継続できるはずだ。
では実際に市場はどう反応したのか。既にご存知のように株価は反落した。「【米国市況】株反落、雇用統計受けて利上げ警戒-ドルは130円台後半」というニュースがある。
なぜそうなったのか。
アメリカの経済は順調に伸びている。だが、FRBはわざと景気を冷やすためにタカ派政策を強めるのではないかと人々は恐れている。すでに悲観論が蔓延しているため「人々が恐れを抱く」だけで株価に影響が出てしまうのである。
どうやら、FRBの能力に疑問を持っている人が多いようだ。Bloombergの二番目の記事は米金融当局がハードランディグを起こさずにインフレを制御できない限り、2022年後半は投資家にとって起伏の激しい展開になると予想するポートフォリオマネージャーの声を伝えている。ボルカー・ショックの記憶がうっすらと残るなか「金融当局がハードランディングなしで制御できない」と予想する人が増えれば増えるほど株式の値動きは荒いものになる。やはり問題は実体経済ではなく金融政策なのだ。
小売大手ターゲットの業績が落ち込んだことをきっかけに多くの株価が下がったことがあった。おそらくは過剰反応だったのだろうが「景気が悪い」と人々が予測すれば株価は下がる。
アメリカのバイデン政権が明確なメッセージを打ち出さない中、銀行などの金融機関は相次いで悲観的なシナリオを出している。シティグループのフレーザーCEOも「アメリカのリセッションは基本シナリオではないが回避は困難だ」と言っている。顧客の動揺は抑えたいが何かが起きた時に「未曾有」と顧客がパニックを起こさないように身構えていることがわかる。「ハリケーンが来る」という大げさな言い方よりも慎重な言い方のほうが深刻度が高いように思える。
こうした状況下で「このままダラダラと嵐の予感が過ぎれはアメリカの投資環境が悪化する」と考えるのは極めて妥当だろう。
ロイターによると痛みを予想しながらも希望が捨てられないアメリカの株式市場は「FRBが利上げをやめてくれないか」という一点にのみ期待をしているようだ。経済が悪いという業績を見ると特定の株価が下がりそれに従って様々な株価が影響を受ける。一方で経済が良いという予想が出てもこれまで優遇されてきた株式市場から資金が退出するだろうという予想が出て株価が下がる。
結局のところどちらに転んでも株価が下がるという傾向になっている。つまり経済の動向と株価がリンクしなくなり株式市場が経済状況を写すという「鏡」の機能が失われているのである。
一部の投資家を除いてはアメリカの経済は所詮は他人事かもしれない。だが出口戦略の難しさは十分にわかる。日本銀行は依然出口戦略に向かう時期すら決めることができないでいる。おそらく政治的にはかなり厳しい決断になるはずだ。さらに出口に向かう時には日銀総裁への信任は極めて重要である。人々が日銀総裁の能力を疑い始めれば投資家は思わぬ動きを見せる。
政府はいずれ巷間噂されているなんらかの増税提案とともに選挙のない時期を選んで出口を模索し始めるのだろうが、自民党・公明党政権の政治的資源をかなり削る決断になるのかもしれない。だが「フリーランチはない」という言葉が示す通り、誰かがなんらかの支払いをしなければならない。何もないところから無限にバラマキ続けることなどできないからである。