エルドアン大統領は現在NATOに北欧2カ国加入に抵抗を示している。心情的には「西側諸国の和を乱しているトルコにはおとなしくしておいてほしい」という気持ちになる。だが、その裏でトルコが現在急激なインフレと外貨流出にさらされているということはあまり知られていない。トルコは日本と同じく世界的な利上げの潮流に抗っているのだが国の信用力が日本と違う上に金融素人のエルドアン大統領が金融政策を握っているために影響が表面化しているのだ。
だが、トルコでは大した暴動が起こるわけでもなくなんとか持ちこたえているようだ。背景にはかろうじて保たれている民主主義への期待と困窮者対策があるようだ。
最近のトルコのニュースとして目立っているのは「NATOとの条件闘争」である。長い間NATOの二等国扱いされてきたという不満がありクルド人勢力をかばうスウェーデンなどに対して敵対的な姿勢をとり続けている。
だが、この動きを単に国益を守る動きと見るのは難しい。
エルドアン大統領は2023年に大統領選挙を控えているのだが、トルコの経済は危機的状況にあり再選がかなり危うい状況にある。「論より証拠」でトルコのインフレについて見るのがわかりやすい。インフレから「ハイパーインフレ」と呼んでいい段階に移行しつつあるように見える。ハイパーインフレとは呼ばないにせよ「ギアが一段上がった」のは確かだ。
原因は明白である。日本は日銀の黒田総裁が長期金利抑制政策を行なっている。黒田総裁は一応金融のプロである。だがトルコで低金利政策を主導しているのは他ならぬエルドアン大統領で金融の専門家ではない。このためトルコリラは売りの状態が続いており強烈なインフレを招いている。たとえそれが表面的なものであったとしても中央銀行の独立性がいかに大切かが痛切にわかる事例である。
5月21日の記事なのですでに読んだという人も多いだろうが「トルコの外貨準備、「衝撃的」な減少-13日までの週だけで48億ドル」という記事が出た。欧米が利上げに踏み切る中で、日本とトルコは例外的に「金利抑制政策」を取り続けていることから外貨準備が不足しはじめている。
実際に外貨がなくなるとどうなるのかはスリランカの事情を見れば良い。スリランカでは港に石油タンカーが入ってきてもその石油を買うことができない。人々はタンカーを目の前にして仕事ができないと言って政府に抗議している。トルコで暴動がまだ起きていないのは「スリランカほどひどいことにはなっていない」からなのだろう。ただ、それが起こらないとは誰も保証できない状態である。
もちろん政府が何もしないというわけではない。トルコの自治体は格安のパンのスタンドを設けている。貧困層でもパンが買えるようにしているのだ。英語ではいくつか報道があるがなぜか日本語では見当たらなかった。
- In Turkey, bread lines grow longer as inflation soars(アルジャジーラ:2021年12月13日)
- Turks wait in line for cheap bread as inflation eats into earnings(ロイター:2021年12月8日)
これらの記事で「自治体のパンのスタンドに長い行列」ができていた当時のインフレレートは20%だった。ヨーロッパは10%未満のインフレでもかなり衝撃的に扱われている。そのため一部では抗議の動きがあったようである。
- トルコ、通貨暴落で混乱 商取引一部停止 反政府デモも(日経新聞:2021年11月24日)
- リラ急落で反政権デモ 警官隊が70人拘束―トルコ(時事:2021年11月25日)
NHKが2022年5月に入ってから世界的にインフレが進む中、トルコの先月の消費者物価指数は前の年の同じ月より70%近く上昇し、独自の経済政策を続けてきたエルドアン政権に対する表立った批判も目立つようになっていますと報道している。表立った「批判」が出てくるということがそもそもニュースとして扱われるくらいの国なのである。
このように考えるとトルコで大規模な抗議運動が起きていないのが奇跡のように思える。理由はいくつかありそうだ。
- エルドアン大統領はこれまで軽視されてきたイスラム教の価値観を復活させたという印象があり根強い支持がある。
- ギュレン派の粛清からわかるようにかなり強硬なライバル潰しも行われている。
- まだスリランカのように品物がまったくないわけではない。
- 強い大統領制度のもとでエルドアン大統領が強い権限を持っていてパンのスタンドのような困窮者対策も行なっている。イランのように一旦始めた補助政策をすぐに撤回するようなことも起きていない。
- 2023年には大統領選挙がある。
かろうじて平成が保たれているという印象である。この最後の「トルコには少なくとも形式的には民主主義が保たれている」というのは重要なファクターだろう。
「トルコ6野党、政権交代へ共闘 23年までの大統領選で」という日経新聞の記事には次のように書かれている。
- 強い大統領制度は縮小されることが決まった。
- 野党6党が共闘して政権交代を目指すことにした。政権交代が起こった暁には親欧米型の従来の政策に戻す。与党AKPと極右の連立政権より親欧米の野党の方が支持率が高い。
- エルドアン政権は最低賃金を5割引き上げた
もちろんこのままリラの防衛に失敗するとトルコも生活必需品や燃料を買うための外貨が足りないという自体に陥る可能性はある。西側サイドはトルコの国民がエルドアン政権を見放し親欧米路線の野党が政権を取ることを期待するだろう。そのためにはちょっとした経済危機が起きるくらいがちょうどいいと考えるかもしれない。
だが逆になりふり構わぬ権力維持に走ったエルドアン大統領がNATOの中で孤立するというシナリオも考えられる。つまり経済的に国を追い詰めてしまう戦略にはリスクもある。そんな中トルコは今後国際社会でどのような立ち位置で振る舞うのかを決めかねているようだ。
- 欧米がロシアとの経済制裁を強める中、トルコはまだエネルギーの「脱ロシア化」は行なっていない。北欧2カ国を承認するかこのままNATOの中で波風を立て続けるのかはわからない。
- 「脱ロシア・ウクライナ」を目指しカザフスタンとの関係強化も図っているそうだ。カザフスタンはCSTO加盟国(つまりロシアの同盟国)である。つまりNATO加盟国とCSTO加盟国という本来敵対しそうな国が手を結んでいることになる。カザフスタンのトカエフ大統領は燃料費高騰に端を発するデモを収束する時にプーチン大統領に助けてもらっておりロシアには恩があることになっている。だが5月16日のCSTOの会合では「付かず離れず」のポジションを守り朝日新聞が「ロシアの孤立が鮮明に」などと表現していた。
- さらに野党勢力はおそらく「このまま孤立するよりは欧米と仲良くやっていったほうがいい」という主張を展開するはずだ。
現在のトルコはまだどっちつかずの状態だ。もちろんトルコだけではないのだろうが経済不安が安全保障に波及し、また安全保障上の問題が経済を不安定化させるという構造ができており先行きが見通せない。