ざっくり解説 時々深掘り

なぜ、いつの間にか「悪い円安」「悪い物価上昇」という話になっているのか?

今回の記事の目標は最新のニュースを追いかけることではなく「悪い円安」と「悪い物価上昇」について理解することである。そういえば「よく聞くようになった」と思う人もいれば「聞いたことはあるがどういう意味なのかよくわからない」という人も多いのではないだろうか。

だがこれを改めて説明しようとすると「難しいな」と感じる。Quoraで「悪い円安、悪い物価上昇」のニュースがどの辺りでわからなくなったのかを聞いたところ「最初からわからない」という回答をもらった。そうか最初からか……と思った。そもそも円安はいいことのはずだったのではないかというのだ。

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短い答え

Quoraの回答の趣旨は次のようなものだ。

  • 「もともと円高が悪で円安が善である」という話だったはずなのになぜそれが逆になっているのか?

確かにその通りである。

もともと日本は製造業が海外で儲けて利益を還元するという経済構造の国だったために円高=悪という認識があった。その前提が崩れてきており円安の悪影響だけ及んできたため人々が「悪い円安」を懸念するようになった。これが短い答えである。

きっかけになったのは2022年初頭の経済団体の発進だ。経済同友会の桜田代表幹事が懸念を表明したのは2022年3月だった。一方で経団連の戸倉会長は大騒ぎは必要ないと言っていた。

さらにこれまでは「日本は経済停滞してデフレ状態である」という認識があった。アベノミクスはデフレではないという状況をつくりだすことはできたが、デフレ脱却という段階には至っていないという説明がされている。つまりマイルドなインフレになるべきだというわけである。日銀はマイルドな円安を誘導すべく様々な政策を実施してきた。

日銀の政策の裏にはある事情と国民の期待がある。そして実際にインフレが起きて見ると悪い影響ばかりが目立つ。だが目の前にある現実を認めてしまうと日銀の目標が達成されたことになってしまうため、これをインフレではなく「悪い物価上昇」と言うようになった。

一応、説明としてはここまでである。これだけならおそらく3分もあれば全てを読み通すことができるだろう。ただ、その後が極めて厄介だ。「ある現実」が説明できない。

いい円安が悪い円安に変わった背景に関する長い補足

戦後ヨーロッパと日本の生産設備が壊滅的な被害を受けたことでアメリカが経済を支える体制ができた。この時の経済状態を反映し1ドル360円体制が作られた。日本が経済復興を遂げてもこのレートは固定されたままだったため日本は良い条件で輸出産業を伸ばすことができていた。

ところがアメリカがこれを支えきれなくなると「ニクソンショック」が起こり円高に修正された。さらに1980年代に入ると各国が協調介入してさらに円高が進んだ。これが「プラザ合意」だ。その度に日本の製造業は苦しい立場に置かれたため「円高は悪いことである」という印象が生まれた。

ところが今回円安が起きてもかつてのように輸出産業は儲けられなくなっていたということがわかった。背景には経済構造の変化があったようだ。海外で直接生産・直接販売するようになっており円安の恩恵が受けられなくなっていたのである。こうなると「円安」は単に食料価格とエネルギー価格を押し上げるだけの要因になってしまう。

では構造変化とはどんなものか。2人の識者の話を調べた。

例えば加谷 珪一さんは「「悪い円安」だけでは済まされない深刻な問題」というコラムでこう説明している。

だが、90年代以降、日本の製造業は高付加価値製品へのシフトを思うように進められず、韓国や台湾、中国など新興国と価格競争せざるを得ない状況に追い込まれた。その結果、コスト対策から生産設備の海外移転を急ピッチで進め、日本国内の空洞化が一気に進んだ。海外に設立した現地法人が受け取った外貨はそのまま保有され、日本国内には送金されないので、近年は輸出企業による実需の円買いが減っている。

「悪い円安」だけでは済まされない深刻な問題

日本国内には送金されないと書かれている。つまり日本企業が日本をスルーしているのだ。

植野大作 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 チーフ為替ストラテジストは別の説明の仕方をする。

ただ、あまりにも一方的に進むドル高・円安は、日本経済に好ましくない影響をもたらす面もある。国際競争力のあるモノ作りの拠点の多くが海外に漏出してしまった「令和の日本」では、円安になっても昔ほどには輸出が伸びなくなっており、上場企業の利益に及ぼすプラス効果も昭和や平成のころに比べて小さくなっている。

コラム:「悪い円安」、日本に進行阻止の手立てはあるのか=植野大作氏

こちらは「拠点が漏出」と言っている。どちらも言っていることは同じである。

日本国内は日本企業からスルーされているのだ。

生産性を向上させず優遇によって企業を温存したため競争力が失われていった。今回円安が進むことでついにそれが表面化したということになる。今年の初頭に経団連と同友会の見解が別れたのは製造業中心の団体とサービス業(つまり国内向け産業)中心の人たちでは意見に相違があったからなのかもしれない。

ここで重要なのは「日本企業が日本をスルーしているのであればわざわざ法人税を減税して優遇する必要などない」のではないかという点である。ところが現在の政治状況ではこれが言えない。日本は製造業によって成り立っている国であるという前提があり日本企業を優遇すればその恩恵が回り回って地域を活性化するというトリクルダウン神話が採用され根強く信じられてきたからだ。

このトリクルダウン神話を否定せずに現在の悪影響を説明するにはどうしたらいいのだろうか。そこで考え出された工夫が「これまでの円安はいい円安だが目の前で起きている円安は悪い円安だ」という説明だったということになる。

インフレを目標にしていたのに今の状態を「悪い物価上昇」と説明しなければならない事情

さてここまではなんとなく理解していただけたと思うのだが、それでも「かもしれない」が多く混じっている。政府も企業もこうした図式を公式に認めていないからである。

これだけでは話は終わらない。NHKが最近のインフレではなく「悪い物価上昇」と説明し始めた。夜7時のニュースでは「消費者物価2%超上昇 専門家「“悪い物価上昇”になっている」」と説明された。

円安は国内において物価上昇を招いている。物価上昇が達成されたのだから日銀はこれまでの政策を見直すべきだということになる。ところがなんらかの理由で政策を見直すことができない。欧米はすでに金融政策を見直しているので、このままでは円安が進むことになるだろう。

黒田総裁はなんらかの理由で「これまでの政策を続けている」と言っているためマスコミも「インフレ」と「物価上昇」を分けて説明しなければならない。そのために生まれた言葉が「悪い物価上昇」である。

ニュースを注意深く読むと「日銀の黒田総裁が狙ったような物価上昇になっているわけではない」と言っているということだけが説明され、あとは消費者たちが困っているという話と組み合わされている。つまり「なぜそれがやめられないか」という話はスルーされている。

一部のマスコミは「隠された」などと表現しているがとりたてて誰も隠しているわけではない。日経新聞が2018年に記事を書いている。狙いは「財政を支えること」だ。ここから抜け出すと決めると「選択肢は二つ」である。

  • 安い金利の国債を引き受け続けると日銀が債務超過を起こして破綻する。
  • 国債に高い金利をつければ日銀は助かるが利払い費がかさんで政府が医療福祉を諦めなければならなくなる。

どちらも痛みを伴うため日銀は金利を上げられないのである。また国民も薄々この構図には気がついている。共同の最新の調査では金融緩和策を続行することを46%の国民が支持しているそうだ。

そもそも当初の

  • デフレではないという状況をつくりだすことはできたが、デフレ脱却という段階には至っていない

という説明もよくわからないものだったが、本来は「ドルの価値に対して円の価値が下がる」現象に「良い・悪い」をつけてしまったためにますますニュースがわかりにくくなった。

製造業中心の経済団体とサービス業中心の団体で意見が分かれることからもわかるように、日本で製品を作る製造業にとっては「良い円安」だが輸入食料を買って食べる消費者には「悪い円安」あるいは「都合が悪い円安」ということになる。ただ「背景事情を説明しない、あえて聞かない」ことを決めてしまったのだから、この「良い」「悪い」という表現を使わざるを得ない。

物価上昇についても同じだ。日銀が考えるのが「良いインフレ」で日銀が想定しなかったのが「悪い物価上昇」なのだが現象としては同じことを指し示しているに過ぎない。これを分けて考えるのはあくまでも日銀と政府の都合である。ただ政府が勝手に言っているわけではない。世論調査からもわかるように国民からの期待がある。

以前の政権を否定したくない「優しさ」が話を複雑にする

とはいえ、政府はおそらく今後なんらかの対策を取らねばならなくなるのだがここにも障害がある。

安倍元総理が「日銀は政府の子会社だ」と発言してちょっとした騒ぎになった。エコノミストの一部が唱える「統合政府」という考えを受けたものと思われる。かねてより統合政府論を唱える山崎元さんは「実質はそうなのだけれども口にしない方がいい発言が幾つかある。」といっている。だが安倍元総理は「単なる比喩だ」と説明してしまった。おそらく中身はあまり理解できていないのだろう。

山崎さん曰く「言わないほうがいい」のはこれを認めてしまうとこれまでの政府の説明と色々辻褄が合わなくなるからである。戦後の反省から財政ファイナンスはタブーとされている上に、日銀が為替操作のために金融政策を利用しているという点に関してもアメリカ合衆国の反発が大きい。さらに市場が金融当局を信頼しなくなればインフレがコントロールできなくなる可能性もある。

さらに安倍元総理の元の発言にあった借り換え理論は「いつまでも金利が上がらない世界」を前提にしている。これが成り立たないのはアメリカやヨーロッパの中央銀行の動向を見ていれば明らかだ。安倍元総理は金利が上がる世界を想定していない。

ただし安倍元総理は国民の一部に熱烈な支援者がいる。このため政府・自民党もあまり安倍元総理を非難できない。ただこれを認めてしまうと従来の説明とのつじつまがあわなくなるため鈴木財務大臣が「日銀は政府の子会社ではない」と否定した。

日本企業の海外生産が増えてトリクルダウンが起きていないことも明白なのだが、これを明白に否定してしまうと安倍元総理の路線に反旗を翻したとみられてしまう。だが放置もできないと感がているようで「法人税をあげて投資をした企業にだけ優遇措置を講じる」という検討も始まっている。つまり日本企業が日本をスルーしているわけだからそうしない企業だけを優遇しようという方針転換が模索されているということになる。今後岸田総理が正面突破できるか途中で諦めてしまうかは岸田総理の胆力と国民の支持にかかっている。幸いなことに今の所支持率は高いようだ。

誰も傷つけないように話を丸く収めるためにひそやかな軌道修正をしているため「トリクルダウンはなかった」とか「実は日本は円安で恩恵を受けるという構造ではなくなっていた」などと言いにくい。もともとの説明が極めてわかりにくかった上に、おそらくこうした「優しさ」も話を複雑にしているように思える。

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