鈴木財務大臣が安倍元総理大臣の「日銀は政府の子会社説」を改めて否定

鈴木財務大臣が安倍元総理大臣の「日銀は政府の子会社である」という説をわざわざ否定した。安倍元総理の発言の影響力の大きさをうかがわせる。だがよく考えてみるとなぜ「日銀は政府の子会社であってはいけないのか」がわからないので改めて調べてみた。実は中央銀行の独立性が勝ち取られたのは1980年代に入ってからなのだそうだ。






安倍元総理はウクライナ危機などを背景に積極財政の必要性を訴えた。その中でわかりやすい表現として「日銀は政府の子会社」と主張した。理屈はよくわからないが、安倍氏によれば永久ローンのような感じでいくらでも借り換えが可能なのだそうである。政府は何らかの特権を持っていて返さなくてもいい資金をいくらでも中央銀行から調達できると考えているのだろう。こうした感覚を持つ政治家は実は昔からいる。問題は「それを国民が支持し信任してしまった時に何が起こるか」という点にある。

時事通信が伝えるところによると黒田総裁は「日銀が財政ファイナンスを行なっていると言う疑惑があるのは知っている」としたうえで「それが実際にどうだったのかがわかるのは出口を抜けた時だ」と言っている。だが黒田総裁は出口を示しておらず、現在の状態が「財政ファイナンスなのか」と言うことはよくわからないと言うことになる。いずれにせよ国民は国債が支える財政に慣れてしまった。色々言われてきたが「まだ何も起きていないではないか」というわけだ。

実際に日銀は指し値オペを常態化させており市中にある国債は無制限に日銀に流れ込む仕組みになっている。つまり銀行は単に国債の経由地になっているだけとも言える。それでも問題が起きていないのだから日銀が政府の子会社であったとしても問題はないだろうと考える人も増えている。日本で財政ファイナンスが危険だとされているのは戦後のハイパーインフレのトラウマによるものである。戦時中という特殊事情によるものなのだから「平時には当てはまらないだろう」と考える人が出てきても何ら不思議ではない。

日経新聞が伝えるところによると鈴木大臣の根拠は「法律でそうなっているから」というものだった。記事を正確に引用すると日銀法により「金融政策や業務運営の自主性が認められている」と強調したとなっている。だったら法律を変えてしまえばいいではないかと思えるし、実際にそういうことを言う人はいる。

維新の松井代表は安倍元総理に同調する発言をしている。この層をどう呼ぶのかはともかくある程度可視化された「無党派層・非組織層」として期待されているのだ。松井代表によれば「言い方に問題があっただけ」ということになる。

政府・自民党の発言も慎重だ。今ある秩序を変えたくないと言う気持ちはあるようだが、選挙を前にして支持者が多いと考えられている安倍元総理を刺激することも避けたいのだろう。

日経新聞の記事によると松野官房長官は「コメントを差し控える」とし「日銀法上、日銀の通貨と金融の調節での自主性は尊重されなければならない」と当たり障りのない発言に終始した。茂木幹事長は「発言を聞いていないのでどういう趣旨かわからない」と批判を避け「あるべき経済を考えるうえで金融政策はどうあるべきか考える議論が必要だ」と結論をぼかした。

安倍元総理の支持者たちを刺激したくないが発言が思わぬハレーションを起こすのも避けたいとの思惑が透ける。

実は中央銀行が独立性を獲得したのはそんなに古い話ではないというのが今回調べた中で一番意外な点だった。独立性を獲得したのは1980年代以降であるとする記事がある。最も信頼できそうなソースはBloombergだった。中央銀行の独立性というコラムがある。法律でそう決まっているからではなく経緯をきちんとまとめている点が「さすが経済専門メディア」という気がするがアメリカではよく知られた話のようである。

Bloombergは深刻なインフレに見舞われた1960年代、70年代を経験した中央銀行の多くは、政治的な干渉を受けずに金利水準を定め他の金融政策決定を行う裁量余地の拡大を求めて戦い、それを勝ち取ったと書いている。つまり1980年代に入ってから獲得された「権利」なのである。

最近何かと話題になる「ボルカー・ショック」で経済が痛んだため、中央銀行に独立性を与えてもいいものか?という議論はあったようだ。結果的にインフレが抑制されたことで「中央銀行の独立はいいことなのだ」という評価が得られるようになった。つまりボルカー・ショックによる一時的な痛みの方がインフレの慢性痛よりもマシだったというのがアメリカ人の現在の実感のようだ。

中央銀行の独立性は国民に信任されたからこそ成り立っている権利なのである。

一方で中央銀行と政治の関係が曖昧な国では高いインフレを制御できないことが多い。

つまり、今でも中央銀行が独立していることが大切だという点に変わりはない。危機が起こるまでは「こんなはずではなかった」とどの国も思うのだが一旦始まってしまうとコントロール不能な状態が何年も続いてしまう。この時、インフレは「無差別税」として作用し国民生活を破壊する。

Bloombergの記事は「中央銀行の独立性は常に疑問視されている」と書いている。リーマンショック近辺の金融危機にもうまく対応はできなかったし今回のウクライナとロシアの紛争を背景にしたと思われるインフレにも対応ができるかどうかはわからない。アメリカだけでなく各国のインフレが1980年代に収まったことから「金融政策とエネルギー調達環境のバランス」だった可能性もある。

だがアメリカでは結果的に1970年代のインフレがボルカーショックで止まったことから「時には経済を犠牲にしてでもインフレを止めるために強力な景気冷却手段が必要である」と言う評価が一般化している。

一方でBloombergの解説記事が指摘するように各国政府の政策担当者は「金融政策を支配して税に頼らない資金」をどこからか調達したいという欲望に駆られつづけている。つまり中央銀行を打ち出の小槌にしたいのは何も安倍元総理だけではないのである。

単に日本がトルコ、ジンバブエ、スリランカのような状態になっていないからといって中央銀行の独立性をないがしろにしていいということにはならないのだが、結局は中央銀行の独立性に対する信任は「人々がこれが現在ある中で最善の策である」と信じているからこそ維持されているに過ぎない。

退任した総理大臣として安倍元総理が何を言っても構わないと思う。また支持者たちがそれを信じ続けるのを止めることはできない。だが、結局は中央銀行の独立が維持されているのは人々の信任あってのことなのだから現在の政権を担っている人たちが「なぜ中央銀行の独立性が重要なのか」を説明し続けることは非常に重要だ。

つまり、鈴木財務大臣や岸田総理大臣はこれを繰り返し国民に説明し続ける責任を負っている。単に「法律でそうなっているから」だけでは責任を果たしているとは言えないのではないかと思う。

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