ざっくり解説 時々深掘り

日露戦争当時の日本と現在のウクライナはどこか似ている

ロシアの旗艦「モスクワ」が沈没した。ロシア側は事故だと主張しているがウクライナ側は自分たちが撃沈したといっている。このニュースを見て現在のウクライナは昔の日本に似ているなと思った。どちらも「巨大な恐怖」であるロシアの実力が実はそれほどでもないと示しているからだ。日本はその後列強の仲間入りをし戦後は主要先進国と言われるようになった。ウクライナには今後どういう運命が待ち受けているのだろうか。

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もちろん戦争はあってはならないことである。多くの人の命が犠牲になり街の破壊は取り返しがつかない。また戦争当事者の間には諍いが生まれそれが解消されるまでには長い時間がかかる。特に侵略を起こしたロシア側の影響は大きいだろう。経済的な制裁を受けており天然資源の売り先も失ってしまった。さらにソ連の革命以来返済し続けてきた債務の返済もできなくなり「ソブリンデフォルト」の烙印を押されることになった。

ブチャやマリウポリでのロシア軍の残虐さは逐一世界に報道されている。フィランドの国境地帯にいる人々は怯えており長く守ってきた中立を放棄してでもNATOに入りたいと熱望するようになった。ロシアはこの侵略により国際的ヒールになってしまった。ほぼ回復不可能なイメージダウンだ。

このようにウクライナ危機はロシアにとってかなり大きな国家の危機となっている。

ロシア軍の実力を示すことになったウクライナ危機

ロシアの旗艦「モスクワ」はロシアの首都の名前を冠するミサイル巡洋艦だ。ウクライナでロシアが制空権を維持するのに役に立っていたと考えられているためモスクワの沈没によってロシアはウクライナの少なくとも一部の制空権を失ったと考えられている。ウクライナ側はアントン・クプリン艦長が船内で死亡したと語っているそうだが、ロシア側は生存者の映像を公開したそうだ。

事故で沈んだにせよウクライナに攻撃されたにせよ「ロシアの海軍力が実はそれほどではなかった」ということが印象付けられることになった。元々はソ連時代にウクライナのムィコラーイウで製造された船「スラヴァ」でありウクライナ側も構造を熟知していたなどと言われている。

この件でロシアの陸軍力・海軍力が実は恐れるに足りないということになれば「あとは核兵器だけ」ということになる。「移民」の急増から考えると増してロシア国内の動揺は実はかなり大きいのかも知れない。規模は大きくないがロシアでは頭脳流出も起きている。都市部の中所得層大学卒業者中にはイスラエルへの移住を申請した人が10000人もいるそうだ。海外のロシア人の保護どころか国内にいるロシア人からも疑われているのである。プーチン政権に抵抗することはできないと知っているために国を見限ってしまう人が着実に増えておりこれはプーチン政権の正当性が内部から疑われていることを示している。

簡単に勝てる軍事作戦に勝てないばかりか象徴的な船が失われても「ウクライナが憎い」とは言えない。表向きは事故で勝手に沈んだことになっているからである。実はロシアのテレビ局はこのことを熟知していると考えられるためその苛立ちは我々の想像以上なのかもしれない。

当時のロシア軍の実力が示された日本海海戦

日露戦争では1905年の日本海海戦で日本がバルチック艦隊を撃沈した。バルチック艦隊が創設されたのは1703年だった。バルト海周辺の国では恐れられていたが日露戦争で日本海に駆り出されそこで撃沈された。日露戦争は期せずして日本がヨーロッパにおけるロシアの脅威を取り除いた戦争だといえる。その後再び増強を試みるのだが第一次世界大戦には間に合わずそのまま帝政ロシアは内部から崩壊することになる。日本はバルチック艦隊を撃退しただけであって帝政ロシアを討ち滅ぼそうとしたわけではない。単に帝政ロシアが斜陽期に入っているということを内外に示しただけである。ロシアはその後立て直しを図ったのだがやがて内部から崩壊し赤軍と白軍の内戦状態に突入してゆく。

実はその状況を遠巻きに見ていたのがヨーロッパだった。ヨーロッパは直接ロシアとは対峙したくない。そのため代理で戦ってくれる国を探していたのだろう。一方で日本側には資金がなかった。キャメロン元首相の高祖父サー・ユーウェン・キャメロン氏が算段をつけて日本側に打診したという話が知られているそうだ。イギリスの融資は足りなかったが同胞ユダヤ人の境遇を心配するジェイコブ・シフ氏が残りの債務を引き受けアメリカで資金を調達することになった。産経新聞は「イギリスは日本への投資に興味があった」とまとめている。

つまりこれはヨーロッパが「日本にやらせた」戦争だったとも言えるのだ。

戦勝によって列強の仲間入りをした日本……だが代償も

日本海海戦は日本が単なるアジアの辺境国ではなく列強の一翼を担いうる強国であるということを世界に知らしめた。だが、そのためには代償も支払わざるを得なかった。戦費を増税でまかなうしかなかったからだ。つまり「戦争で儲ける」ことはできない。

国税庁のウェブサイトには、明治37年には石油と織物に消費税が課税されるようになり翌年には恒久的な税として相続税が新設されたと書かれている。また塩が専売制となり酒の密造を防止するため酒母や麹の取締法が出されたそうだ。また「このままでは何にでも税金がかかるようになるのではないか」と憤る市民が『新案 戦後増税の財源』という本を出して政府の政策をあてこすっている。

ポーツマス条約には賠償金条項がなかったため戦費負担に憤った市民が日比谷公園に集まり焼き討ち事件を起こした。政府は鎮圧のために戒厳令が敷かざるを得なくなるほどの大きな暴動だったという。このころから「議会は庶民の声を聞いて税金の使い道を決めるべきだ」という議論が高まりのちの男子普通選挙につながってゆく。

欧米は直接ロシアと対峙することなくロシアの国力を割くために「日本を利用した」ともいえる。資金は提供したがやがて帰ってくる「投資」だった。日本は代償を支払いつつこれに応じ国際社会での地位を手に入れた。その後、国民は軍部に大きな期待を寄せるようになり第二次世界大戦に向けて動き出してゆく。

この時代には国力を増すためには軍事力がいちばんの手段だと考えられたわけだが、その考えも間違っていた。第二次世界大戦で生産設備は破壊されその後起きたインフレで日本人のほとんどは財産を失うことになる。日本が現在先進国と言われるのは軍事力ゆえでなく経済活動でその地位を取り戻したからである。

ただ、日露戦争の結果生まれたともいえる議会制民主主義は日本が戦後復興するための大きな素地になった。必ずしも成功したとは言えない戦前の日本の政党政治だが、それでも政党政治を体験していたおかげで戦後の議会制民主主義の立ち上がりは早かった。憲法改正にも大きな混乱はなくその後朝鮮戦争をきっかけに日本は速いペースで復興し1960年代には世界銀行の保護を抜けて自前でインフラ整備ができる程度にまで回復する。

日露戦争と現在のウクライナの状況には違いもある。日露戦争では日本本土は被害を受けなかったがウクライナは国民を巻き込んだ市街戦になっている。つまり犠牲はウクライナの方が大きく特に一般のウクライナ国民が被害を受けている。また、ウクライナ政府は戦費の一部を国債で調達しようとしているようだがその多くを先進国からの寄付や援助によって賄っている。さらに戦争終結までには長い期間がかかるかもしれない。

最後に日露戦争については「完済したのは1980年代だった」という話が伝わっている。今回それについて調べて見たが「麻生太郎氏が講演会で語った」という資料は見つかったがその原典を探すことはできなかった。日本が第二次世界大戦後も戦前の負債を返し続けたというのは事実のようだが「日露戦争でいくら使ったのか」という明確な会計はないようだ。このためいつ頃完済されたのはよくわかっていないようである。これは残念ながら都市伝説の類のようである。

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