新型コロナ禍からの回復や船賃の値上がりによるインフレにウクライナ危機が重なり、世界経済は極めて不安定な状態になっている。景気回復期・好景気に戦乱による制約が加わるという状況がオイルショックに似ている気がした。共通点と相違点について調べてみた。細かい点にはかなり違いがありそのまま未来予測には使えそうにない。一方、ある秩序が崩れ別の秩序に切り替わるまでの境目の時期だという共通点もあることがわかった。現在は崩壊期にあたるためまだ次のフェイズが見えない。だから不安もピークの状態に達しているのだろう。
中東戦争は戦後できたイスラエルという新しい国家の存在をめぐる争いだった。現在のウクライナ危機はソ連崩壊後新しくできたウクライナという国家の存在をめぐる争いになっている。つまりある体制が調整期に入ったという共通点がある。戦後の安全保障体制を率先して守る立場にあるロシアという大国が主権国家を蹂躙する許されない行為という極めて大きな違いもある。
1970年代:第二次世界大戦後に構築された世界秩序の調整期
1970年代の世界は戦後経済の回復期だった。その復興を一国で支えていたのがアメリカ合衆国である。具体的にはアメリカが金の裏打ち(金兌換)で世界金融を支えて各国の実力に応じたレートを維持するという固定相場制を採用していた。
世界経済が回復するとこの体制がアメリカにとって負担になった。ドルが積み上がると各国は金との交換をもちかけるのだがアメリカには金の在庫がない。米ドルは不当に高い状態になりアメリカは高いインフレに陥った。この体制は1971年に突然終りを告げる。これがニクソンショックだ。日経新聞が簡単な解説をしている。
日本円は戦後すぐの日本の実力に合わせて1ドル360円に固定されていた。日本が経済的に回復するにつれ日本にとっては有利なレートだとみなされるようになってゆく。この差がカバーしきれなくなると変動相場制が採用され日本は「列島改造景気」から一転し「円高不況」に陥った。これに追い打ちをかけたのが第4次中東戦争による石油価格の高騰だった。
大きな目で見れば「戦後経済の再調整」の動きなのだが、この時の日本での様子をNHKがアーカイブに残している。トイレットペーパーを求めて客が店に殺到したり大都市のネオンサインを抑制するなどという対策が取られたそうだ。とても「世界秩序が調整段階に入っているな」などと感じいる暇はなかっただろう。
第一次オイルショックは第4次中東戦争によって引き起こされた。イスラエルという戦後に作られた人工国家の存在をめぐる中東の異議申し立ての動きだった。イスラエル側から見れば国家存亡の危機ということになる。中東各国は経済制裁の一環として石油価格を値上げする。日本は経済制裁の対象ではなかったが巻き込まれる形で石油価格が上昇した。
- インフレが起きている中で突然供給制約が起きるという意味では現在のウクライナ危機と似ている。
- 当時はブレトンウッズ体制が終わり変動相場制に移行したばかりであった。つまり金融政策に対する知見は蓄積されていなかった。またアメリカの一極集中が終わりドル高の解消(つまり円高)が進行していた。アメリカが負っていた負担が日本に分配されることで日本は不景気に陥る。現在は安定した低成長と円安が進行しておりこの点が決定的に異なる。
- 現在の日本は「デフレ」と称されるほどの低成長だが当時は列島改造により景気が良かった。
当時の物価消費者物価指数ベースで23%もあがり「狂乱物価」と呼ばれたそうだ。好景気の良はにコスト高が重なり高い波が起きたのである。
アメリカを中心とした秩序への挑戦は常に続いてきた
現在のアメリカは新型コロナ禍からの回復期にあり失業率も低く賃金も高めで推移している。また日本で言えば列島改造論に当たるような「ビルド・バック・ベター」が推進されている。つまり当時の日本の状況と今のアメリカの状況にはある程度の共通点があると言えるだろう。
バイデン大統領は「ビルド・バック・ベター」を実質的にプーチン大統領に潰されたような状態になっている。プーチン大統領やロシアに対してジェノサイドだと言いたくなる気持ちはわかる。これに加えて中国の新型コロナウイルス対策によるサプライチェーンの分断も起きている。中国の状態は徐々に落ち着き、アメリカはロシアに代わるエネルギーの供給先を見つけるのだろうが、しばらくこうした状態が続きそうだ。
第四次中東戦争の危機は新しい国際秩序の創出に役立った。これが1975年に開かれた先進国首脳会議である。このように変動相場制のもとで利害調整をする枠組みが徐々に形作られてゆくことになる。現在はこうした新しい枠組みはまだつくられていない。これからどのような仕組みが作られてゆくのかという点に注目が集まるが、あるいは先進国だけが主導する体制は終わるのかもしれない。
時事通信がニクソンショックについて書いた記事をまとめている。当時と現在の違いを抜き出して見た。
- 当時はアメリカと中国が日本の頭越しに融和しようとしていた。今は米中でカップリングという真逆の動きになっている。ただし世界情勢が大きく変化しつつあり新しい枠組みを作らなければならないという意味では共通している。
- 当時の中国はアメリカの脅威ではなかったが50年の間にアメリカの経済覇権を脅かすまでに成長した。当時のアメリカのライバルは西ドイツと日本だった。アメリカの中国への接近はこの打開策という意味合いがあった。
- 当時はドル一極体制が終わり主要先進国が並立する時代になった。現在は中国とデジタル通貨という新しい挑戦を受けている。通貨の変革期という意味では共通しているのかもしれないが構成は異なる。
当時は産油国が一方的に石油の供給を絞ることで先進国が混乱した。今回ロシアは石油や天然ガスを売ろうとしたが先進国側が拒否をした。先進国はそれなりに準備をしているが準備ができなかった発展途上国では政情不安が引き起こされている。構造は異なるがエネルギー供給の問題が政情不安や経済の不調を引き起こすという点は似ている。
ロイターが「コラム:対ロシア制裁支持しない途上国、西側に「積年の恨み」も」という記事を出している。アメリカが主導する経済制裁に南側の国やインド・中国が追随していないというような指摘である。またエチオピア出身のWHOの事務総長は「世界は黒人の命に偏見」とウクライナばかりを支援する「世界」に異議を申し立てている。ソ連崩壊後作られた「西側が勝利した世界」が新興国の台頭により一旦の終わりを迎えようとしているのだと理解することができそうだ。
つまり、アメリカが退潮しているというのではなく「世界秩序」は常に挑戦を受けていて、それが防ぎきれなくなると調整の動き表面化するのだと考えられる。1973年のオイルショックが1975年の先進国首脳会議につながったように数年を経て新しい国際秩序が作られるのかあるいはこのままの混乱が続くのかしばらくは注目する必要がある。