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プーチン氏のトラウマ – 2011年のロシア下院選挙

最近ウクライナ情勢解説でよく見かけるようになった廣瀬陽子さんはシノドスに多くの寄稿をしている。今回は2011年12月のロシア下院選挙の様子について書いた記事を要約する。プーチン大統領の行動の背景にある二重性の根幹に何があるのかがよくわかる記事だ。

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まずこの記事を読むためには世界経済の動きがわからなければならない。2007年にアメリカの住宅貸付市場で始まった金融不安はリーマンショックを引き起こし2011年ごろまで続いていた。アメリカの消費者心理が最も落ち込んだのも景気回復期の入り口にあたるこの時期だった。日本では東日本大震災が起きその後の民主党政権の政権陥落につながった時期でもある。

この時期に首相を務めていたプーチン首相にとって2011年の下院選挙は有力な大統領候補として出馬できるかということを占う重要な選挙だった。

プーチン大統領の与党は統一ロシアの人気は低迷しており獲得議席の大幅な減少が予想されていた。現有議席は7割であり「憲法改正に必要な3分の2」が勝利ラインになっていた。全国放送された総合格闘技の大会で挨拶したプーチン首相はブーイングを受け会場が騒然したという。前代未聞だったそうだ。

統一ロシアはなりふり構わぬ選挙戦を繰り広げた。地方行政機関に予算を上げてやるから集票しろと求めたという噂やロシア正教会の地方幹部に信者への投票を働きかけたりした。また反政府運動を起こしそうな人を予備的に拘束するという動きもあったそうだ。また、政府に批判的なインターネットサイト、ブログ、Twitterアカウントなどは閉鎖された。躍進が予想される共産党、極右自由民主党、左派の公正ロシアに対して「議席を保証するから野党のふりをしてくれ」と持ちかけたりもしているという。

混乱は選挙当日も続いた。選挙当時には野党支持者が拘束され、選挙の運営担当者が違法に投票箱に投票用紙を放り込んだ。また野党の選挙監視員が不当に追い出されることもあった。廣瀬さんがこれを書けるのはこうした状況がSNSで拡散したからなのだそうだ。選挙管理人が確認した2倍から3倍の票が統一ロシアにカウントされたというからその不正ぶりがよくわかる。

これだけのことをやったにも関わらず得票率は49.32%となり獲得議席数も52.88%の238名だったそうだ。450名の議会で77議席減という厳しい結果になった。その他の野党(共産党、公正ロシア、自由民主党)が躍進した。共産党が新しい主張を展開したわけではないことから統一ロシアに対する反発が原因だったようだと廣瀬さんは見ている。SNSで流れるなりふり構わぬ不正選挙も嫌気されたのではないかという。

統一ロシアは選挙に負けたのだがそれでも「不正で議席を獲得したのではないか?」と疑われたそうだ。ここでおきまりの説明がでてくる。このようなデモを愛国的なロシア人が行うはずはないのだからアメリカの策謀だというわけだ。当時のクリントン国務長官は「公正な選挙が行われているか懸念がある」と表明していた。「これこそがアメリカが関与した証拠であり外国の干渉からロシアを守らなければならない」と主張したという。アメリカに対する被害者意識の萌芽も見られる。

廣瀬さんはグルジアのバラ革命やウクライナのオレンジ革命にはアメリカの干渉という事実はあっただろうと考えているようだ。だがアメリカがロシアの下院選挙にまで関与したという証拠はない。廣瀬さんは「プーチンの必死な姿には痛々しさすら感じる」と書いている。

廣瀬さんは「プーチンがカリスマ性を基礎にした統治をできなくなるだろう」と予想しているのだが、実際にはそうはならなかった。

まず、プーチン首相は大統領選挙でライバルになりそうな候補をあらかた潰しており大統領選挙での勝利は予想されていた。Wikipediaの統一ロシアの項目を読むと2011年ごろからプーチン氏は統一ロシアを見限ったと書いてある。結果的に大統領選挙では6割を超す得票率だったそうだ。

ここにプーチンという人を理解する手がかりがある。なりふり構わない残虐な姿勢を見せるし思い通りにならない人に対しては強い苛立ちを見せる。その一方で自分はロシアの民衆に愛された偉大な政治家だと見せたいという気持ちがある。自己認識や対人関係が極めて不安定なのだ。極めて一貫性に点しく表現もわかりにくい。これがプーチン氏の「何を考えているのかわからない人」という印象の元になっているのだろうと思う。

プーチン氏の不安定さを示すエピソードがある。プーチン大統領が大統領に当選した時「自分は公正な選挙で勝った」と涙ながらに成果を訴えたという。AFPは野党の「不正があったようだ」という指摘も紹介している。反プーチンの動きも広がっていた。だが、プーチン氏はあくまでも自分は国民に愛されており信任されたと思いたかった。謀略で騙して大統領になったのであればこうはならなかったはずだ。

廣瀬さんの文章の後半はロシアには民主主義や自由化の萌芽が見られるという評価に充てられている。だが、実際にはそうはならなかった。2014年にはクリミアを併合することで強いリーダーの元で拡大するロシアという姿勢を明確に打ち出した。これもWikipediaの記述だがプーチン大統領とメドベージェフ首相の統一ロシアはクリミア併合で支持を取り戻してゆく。

改めて今回のウクライナ侵攻は今までに積み重ねられた成功体験の上に成り立っているのだろうと思う。2014年のクリミア併合はロシア国内では強いロシアの復活の証拠だと評価され、2018年の大統領再選につながってゆく。

だが、プーチン大統領が「強い大統領である」演出をし続けるためにはさらに「偉大な成果」が必要になってくる。つまり成功したがゆえに後に引けなくなっているのだ。2011年のトラウマを抱えるプーチン大統領は「成果」を求めて行動をエスカレートさせていった可能性がある。

ウクライナはその意味では選挙対策のターゲットになったともいえるのだがプーチン大統領とロシア軍の限界を露呈することになった。実力の限界までエスカレートしやがて崩壊するというのはバブルに似ている。

西側から見ていると、なんでも思い通りにできる独裁者プーチンが戦争を仕掛けたように見えるのだが、実際には国民の期待に応えたいという衝動に突き動かされているようだ。だが自分が実際には何をやっていて周りからどう見られているかということには極めて無頓着だ。

この無意識の衝動が強い破壊欲求に変わりウクライナに襲い掛かったということになる。おそらくNATO陣営が懸念しているのはこの破壊衝動の矛先が自分たちに向かってくることなのだろう。

ウクライナの戦争はまだ終わっていない。

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