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ウクライナの民族主義とゼレンスキー大統領

このエントリーはウクライナの戦争がなぜ膠着しているかという次のエントリーにつなげたいと思って書いている。現在三つの要素が「三すくみ」のような状態を作り出しているのだが、このウクライナの状況が一番説明がしにくいからだ。問題になっているのはゼレンスキー大統領が戦争をやりたがっているのかそうではないのかという点である。そうではないと私は考えている。

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ウクライナのゼレンスキー大統領が国会で演説を行った。スタンディングオベーションは日本側の演出だったが「ゼレンスキー大統領は正義のために戦う英雄だ」と思った人も多かったのではないかと思う。だが、実はそれは我々民主主義国家に住む国民の虚像にすぎない。

いわゆる西側先進国と呼ばれる国は民主主義のテストに合格した人たちだ。つまり国家意識を作ることができたため次の段階の平和的な議会政治に進むことができたということになる。

だが世界の国の中にはそうではないところがある。今でも内戦が続いているエチオピアやアフガニスタンがその典型事例だが実はウクライナもその一つである。

イデオロギーの解体

現在のウクライナがソ連の解体によって作られた国家であることはよく知られている。ソ連は共産主義というイデオロギー国家だった。つまりソ連の崩壊とはイデオロギーの崩壊である。強烈なイデオロギー崩壊に陥った人たちの中には茫然自失に陥る人もいれば明日の生活の糧のために奔走する人もいるだろう。だがその一部は過激な民族主義に走った。つまり血の伝統に頼ったのである。

ウクライナという国には大まかに分けて三つの塊がある。一つはオーストリアやポーランドの一部だった西部・中部地域だ。もう一つはロシア系の住民が多い東部・南部地域である。さらにクリミア半島というやや異質な地域がある。元々はクリミアタタールと呼ばれる人たちの領域だ。つまりウクライナには一体性のあるナショナル(その地域に住んでいる人たち)アイデンティティがなくその状態で半ば強制的に共産主義イデオロギー国家に組み込まれた。そしてソ連の解体で解放されたのである。これがウクライナの苦難の始まりだった。

ナショナル・アイデンティティが持てないまま外からの危機が加わる

最も簡単なのはイデオロギー国家から民族国家に転換することである。ということでウクライナにも民族主義が芽生える。だがその民族主義はやがて過激化してゆく。「ウクライナ・民族主義」で検索すると様々な記事が出てくる。2014年になっても一体感が持てていないというようなことが書かれている。単一国家としての意識が形成できないままでクリミア侵攻という悲劇が起こった。外からの圧力が加わわり「とにかく目の前のロシアの脅威から逃れたい」と考える人たちが増えてゆく。

だがウクライナには国としてのまとまりがない。そこに過激な人たちが台頭する。強烈なロシア分離欲求を持つ民族主義者たちだ。つまりヨーロッパに帰属したいという人たちの中には「ヨーロッパが好きな人」と「ロシアが嫌いな人」が混在している。ウクライナ人とロシア人は元々は同根だがウクライナ人は「ポーランドやオースオリアに近い」という自意識を持っている。

こうした民族主義の問題はユシチェンコ大統領の時代にはすでに存在したようだ。

これがウクライナのジレンマになっている。欧州に近づくということは民主主義を受け入れるということである。だがその親欧州派の中には民族主義の過激派が含まれている。彼らが将来ヨーロッパで受け入れられることはないだろう。

親露派のヤヌコビッチ政権時代になりさらに話は複雑化する。ロシアに取り込まれそうになった過激な民族主義者たちはヤヌコビッチ大統領の追放で政府の中枢に取り込まれてゆく。

ヤヌコビッチ後のトゥルチノフ政権時代にはこうした民族主義者たちの幹部の殺害という事件があった。つまりポロシェンコ政権は民族主義者を排除しようとしたことになる。彼らは革命勢力であると同時に不安定要素でもあった。

だが、クリミア半島の併合に伴いドンバス地方の治安が悪化した。そのためにサッカーのフーリガンだった人たちが革命に参加し政府や軍の中枢に食い込んでゆく。結局ポロシェンコ政権に「極右追放政策」は失敗したことになる。なまじ彼らがケンカ上手なこともあり東部の住民は彼らにシンパシーを感じるようになっていったようだ。公然とネオナチを支持する人たちも増えていった。

論座のこの記事はネオナチ思想を持っている人たちが政府や軍の中枢に食い込んでゆく様子を細かく書いている。

選択肢がないゼレンスキー大統領

仮にこのままロシアが撤退したとしてもウクライナは潜在的に抱える「東西分裂」という問題は克服されない。それどころかゼレンスキー大統領が政府の中枢部にいる過激なロシアからの分離主義者を納得させることができていないのではないかと思う。

ゼレンスキー大統領は東部ドンバスと南部クリミアを分離してもいいと言っている。だがそれは自分の独断では実行できず国民投票が必要だとも言っている。戒厳令と非常事態宣言を即日交付した「強い力を持つ大統領」なのだから「主権放棄」も自分一人で決済できるのではないかと思われがちだが実はそうではないのだろう。

だが、東部はロシアに実効支配されている東部・南部の国民投票はおそらくは無理だろう。また国民の多くが住所地を離れ国外に逃げたいまとなっては国民投票などできるはずはない。おそらくゼレンスキー大統領には「抵抗を継続する」という選択肢しか残されていないのではないかと思う。

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