サンフランシスコ空港でアシアナ機が着陸に失敗した。訓練中の副操縦士が起した事故だと考えられている。このニュースを見ていて、古いケーススタディを思い出した人も多いのではないかと思う。グループシンキングで良く用いられる教材である。
伝統的な韓国社会には上下の区別が厳しく存在する。目上の人に対しては絶対服従であって、意見が違う事は許されない。例えば副操縦士が異状に気づいていたとしても、操縦士が大丈夫だと思っていれば、おいそれとは意義を唱えられない。そもそも、教官が大丈夫だと言っているのだからと、違和感すら覚えないかもしれない。
ウォールストリートジャーナルの記事はこう指摘する。
調査官は、対気速度が危険なほどに下がった場合に発せられる、操縦室のさまざまな警告システムに、なぜパイロットたちが反応できなかったのか、その理由を問いただしている。そうした警告システムは、視覚的にも聴覚的にもはっきりとした警報を出すように設計されている。
少なくとも副操縦士以下は、その機の中で一番偉い機長が疑問を呈するまで「警告システムが」と指摘できなかった可能性があることになる。このように集団が明らかな危険性をなぜか見逃してしまうことを「グループシンキング(集団思考)」という。国際感覚に長けたパイロットに文化的バイアスなどなさそうだが、ウォールストリートジャーナルの別の記事はこう指摘する。
サンフランシスコ国際空港での韓国アシアナ航空機事故について、米事故調査当局は8日から、原因究明のため同機のパイロットに対し事情聴取を続けている。しかし関係筋によれば、英語力に限界があるため、聴取が順調に進んでいないという。
ポイントとなるのは、調査をしているのはアメリカ人だという点だ。アメリカ人は「個人が判断して言うべき事は言うべきだ」と教育されるため「みんなが死ぬかもしれないのに意義を唱えない」というような可能性自体が理解できないかもしれない。また、韓国人はアメリカ人に対して「恥ずかしさ」を覚えるかもしれない。いわば身内の恥と考えられる為に、問題などなかったと主張するかもしれないのだ。
母国語であればぼかしながら伝えられる問題も、英語だとうまく伝えられないだろう。NTSB側は慎重に事を進める構えのようだが、面子を重んじるアシアナ航空側がどのような対応を取るかは分からない。「管理には問題はなく、すべて機長の問題だ」と主張している。
このような書き方をすると、必ず「だから韓国人は…」と揶揄するような反応が出てくる。ネット上では「正しい態度」なのかもしれないが、マネジメントを学ぶ上では「正しい」態度とはいえない。
日本人にも意識しない文化的な特徴がある。例えば先生に指名されるまで自分の意見を言わないとか、周囲の空気を読みながら許容されることだけを話すというような態度は、世界的に通用するとは言えない。原子力発電所の問題も記憶に新しい。不確定な事柄に対して、身内でかばい合っているうちに、最悪の可能性が指摘できなくなってしまった。現在では逆のバイアスが働いている。いったん「大丈夫だ」と認めてしまうと同様のことが起きることが容易に予測できるために、何も認められなくなってしまった。誰も、全ての責任を取りたくない。
他国の文化を笑ってばかりいると自分たちの持っているバイアスに気がつく事ができない。
日本人でも外国人の部下を持つ可能性が出てきた。例えば韓国人の部下は日本人の上司に対しても、全ての規範を提示してくれるものと期待する可能性がある。日本人はグループ内の調和を重要視するので、部下に意見を聞く。この態度が「上司としての責任を放棄している」と取られかねないのである。ここに意見をはっきりと伝えるアメリカ人の部下などが加わると、さらに状況はややこしくなるだろう。
いずれにせよこの事故は、何がグループシンキングを引き起こし、どうしたら防げるのかということを考える上でよいきっかけを与えてくれるものと思われる。今後の成り行きを注目したい。