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テリー伊藤の敗北主義

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ウクライナで戦争が始まってしばらくが経つ。この間、プーチン大統領を応援する人やウクライナ人は無駄な抵抗をしていると言う人が多く辟易していた。その理由を考えていたのだが意外なところからすんなり腹に落ちる答えを見つけた気がする。テリー伊藤さんがウクライナ人に無駄な抵抗はやめろと諭したのである。敗北主義だ。

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テリー伊藤と言う人は日米安保反対運動に身を投じて人生がめちゃくちゃになったと思っている人だ。学生運動で投石にあたり右目が斜視になった。視力に問題が出た以上に見た目に大きな影響を与えている。このため抵抗運動というものにネガティブな感覚を持っているのだろう。

だが、こうした感覚を持っているのはおそらく伊藤さんだけではないだろうと感じた。日本人は戦争に負けた結果アメリカの軍事支配と民主主義を受け入れた。しかし滅ぼされることはなく歴史の偶然もあり史上空前の経済成長も手に入れた。つまり長いものに巻かれることで成功した国なのである。この成功体験が伊藤さんのみならずラジオの聴視者にも行き渡っている。

おそらくラジオの聴取者たちも「自分なりの生き方など探さずに長いものに巻かれることでそれなりの幸せを手に入れた」という実感を持っているはずである。フリーターなどと呼ばれ自分なりの生き方を模索した人たちは失敗した。置かれた場所でそれなりにダラダラと仕事をしていればそれなりの幸せが得られるというのがバブル崩壊後の低成長社会日本に生きている人の実感なのだろう。

置かれた場所で咲きなさい

というわけだ。

停滞した日本では現状を受け入れる敗北主義が最も成功しやすい。問題はそれをウクライナ人に押し付けているという点である。

それではなぜ伊藤さんは自身の経験を他人に押し付けてしまったのか。伊藤さんがその経験を客体化・客観視できていないからだろう。だ伊藤さんが自分の経験を客体化・客観視できていれば、それがウクライナ人にはそのまま当てはまらないだろうということがわかったはずである。

だが日本の教育は心情の客体化をしない。他人に説明してわからせることが重要だとは思わないのだ。論文教育ではなく随筆教育が行われていることの弊害と言えるだろう。だから自分の経験がそのまま真実ということになり親切心として他人にも押し付けたくなる。

この後、記事はウクライナに対する「提案」をやっている体裁になっているが、そもそも立場の違いというものを踏まえていないために単なる価値観の押し付けに終始している。これを議論と呼ぶ点に日本の病理がある。この提案は他人事であり自分に引き付けるものになっていない。まるで無責任な人生相談のような感じだ。

朝のAMラジオなので聴いている人もだいたい伊藤さんと同じような価値観を持った高齢者であろう。ヤフーコメントでは伊藤さんに厳しい声がついている。AMラジオの高齢者の押し付けがネット世代には合わなかったようだ。ヤフコメでは通常運転なのだろうが炎上状態と呼べる感じになっている。

AMラジオの空気としては「あなたは無駄なことをやっているということがわかっているので親切に教えてあげているんですよ」という感覚になっているのだろう。余計なお世話である。

だが、さらにこの記事は日本のラジオの悲劇的な側面をあぶり出している。それがホストの垣花さんの対応だ。まるでラジオショッピングのように表面的にウクライナ情勢を流してしまっているのだ。

このウクライナ人は「こうしたロシアの脅威を許せば世界に拡散する」と言っている。「次はあなたかもしれない」と訴えているわけだ。そこには自分たちの身内が受けている災難が世界に広がりかねないという切迫感がある。別のエントリーでご紹介するのだがウクライナ人も「まさかここまで状況が悪化するとは思っていなかった」のではないかと思う。

そこには長いものに巻かれて生き残った日本人とは全く違った世界が広がっている。我々受け手はこのの情報を聞いて何らかの意思決定をしなければならない。ところがホストの垣花さんはこう言って流してしまう。

「降参するっていうことですね、よくわかりました、はい」と呆れた様子のオクサーナさんに、パーソナリティの垣花アナウンサーは「降参ということを我々が推奨しているわけではなくて、テリーさんの考え方も僕の考え方もラジオを聞いている方の考え方も違うし、オクサーナさんが仰っていることも、ましてやオクサーナさんが一番辛い立場にあることも分かった上で、こうしてご出演いただいているのに、大変失礼な発言もあったかもしれません」と話していた。

「ウクライナ勝てませんよ」「無駄死にしてほしくない」 テリー伊藤がウクライナ人に発言…口論に

日本人は目の前に決定的なことが起きていても「まだ情報が足りない」といって意思決定を避けようとする傾向がある。環境が激変したことを認めたくないのだ。

おそらく垣花さんは戦争というものをこのウクライナ人のように真面目に考えたことはないはずだ。それは彼のラジオを聴いている聴取者たちも同じことだ。だから彼が何らかの意見を持ってしまうと「誰かの反発を買う」ことになるかもしれないと恐れている。

あとはラジオショッピングかなんかをやって今日も1日ご苦労さんというわけである。

今、テレビやラジオでは「戦争はいけないことですね」とか「子供たちがかわいそうですね」とか「プーチンは悪い人ですね」などという通り一遍の表現が溢れている。だがその裏では「考えたこともないし理解もできないし自分が関わってもどうにもならない」という冷笑主義や敗北主義が根強く張り付いている。

だがこの話のうらにはもっと痛々しい現実がある。実はウクライナ人も「ここまで大変なことになる」とは思っていなかったはずだ。ウクライナがこの30年で辿ってきた道をトレースするとそれがよくわかる。

ウクライナにはウクライナの問題がありこの30年間ロシアとヨーロッパの間で揺れてきた。途中からアメリカの介入も受けるようになりロシアを必要以上に刺激したという過去がある。ロシアに侵略されるかもしれないという現実を想起していたのであれば違った経緯をたどっていたはずだ。我々はもっと謙虚に一人ひとりのウクライナ人の声を自分たちの問題として聞く必要がある。

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