ある日故郷の町が外国軍に制圧される。市長が拉致され新しい市長が「新しい現実が始まった、さあ受け入れなさい」と言ってくる。ロシア支配を受け入れなさいというわけだ。そんな悪夢のようなことがウクライナの南部で起きている。
これがロシアのやり方と言われればそうなのかとも思うのだが、やはり民主主義の世の中に生まれて生きているせいなのか、受け入れるのが非常に難しい。
メリトポリのハリーナ・ダニリチェンコ新市長は、初めて公の場に姿を現した際、「過激派行動」に参加しないよう住民に呼びかけた。また、「新しい現実の下での基本メカニズム」の構築を主要任務とすることを宣言した。
ロシア軍、占領地の市長をまた拉致か ウクライナ側は「テロ戦術」と非難
ウクライナは民主化されてから30年経っている。またウクライナ人はロシア人に根絶やしにされかけた経験があるため、民族独立の意識が日本人よりも高い。その受け入れがたさはおそらく我々以上だろう。
その一方で西側の支援なしにデモで抵抗してもその声はプーチン大統領には届かない。かといって武力で抵抗しても「テロリスト」として惨殺されるのは目に見えている。どちらにせよ何らかの苦痛を受けることになるのだろうと考えるといたたまれない気持ちになる。
だが、実はこれは我々にとってみても新しい現実の始まりである。日本は第二次世界大戦でアメリカに負けたことで民主主義を受け入れた。力による正義の押し付けだったが結果的に経済成長を実現したために「民主主義を受け入れたことは良いことだったのだ」と感じるようになった。
この結果、日本人は世界平和はアメリカに任せてそれに追随していれば安心なのだとも感じてきた。だからこそ経済にのみ注力できたのである。
だが、安全保障理事会の常任理事国であり核兵器保有国であるロシアは民主主義を簡単に粉砕することができる。西側世界は色々文句は言う。経済制裁も加える。だがロシアの意思を変えることはできない。日本は今回の制裁で1兆円の融資が回収不能になる。我々一人ひとりの預金が帰ってこなくなるのだ。石油や小麦の価格も値上がりするだろう。
我々がやったことの結果ではない。だがそれでも受け入れなければならない。ロシアは核保有国であり国連の意思決定をブロックしているからである。戦後の安全保障の枠組みは完全に崩壊した。
民主主義は核兵器の前には無力だったという新しい現実を突きつけられているように思える。この現実はあまりにも重い。おそらくこれは民主主義社会に生きる一人ひとりの問題に理つつあるのだが、どうやって抵抗していいのかが全くわからない。かつての正解が破綻したことに薄々気がつきつつも対岸の火事として眺めるか、行動を起こすか、行動を起こすとしたらいったい何から始めるべきか。
そんな状態にある日突然置かれてしまったことになる。