ざっくり解説 時々深掘り

秋と春の泥濘に支配されるロシアとウクライナの戦争

ロシアとウクライナの戦争を見ていると泥濘という言葉が出てくる。陸上を圧倒的な戦力で制圧するやり方のは不向きである。このため冬に攻めて中枢部を挿げ替えてしまい後から援軍を送り込むというやり方が取られる。雪が溶けたら軍事行動は終わりだ。

キエフ攻略は難航しているようだ。ウクライナ軍は森の中から対戦車ミサイルジャベリンを撃ち戦車の進撃を阻止している。別のルートを取ろうにも地面はぬかるんでいる。だが南部では制圧が進み市長が拉致された。新しい市長と名乗る人物は「新しい現実を受け入れろ」と市民に迫っている。おそらくこのままの構図で自体はしばらく膠着するだろう。

第一次世界大戦のドイツのソ連侵攻

ドイツは昔総力戦を仕掛けて失敗している。ぬかるみと冬の寒さに負けたのだ。

第二次世界大戦の初期にドイツ・枢軸軍はレニングラード、モスクワ、スターリングラードのすぐそばまで侵攻した。特にモスクワではクレムリンの8kmのところまで迫ったそうだ。1941年10月2日から1942年1月7日まで続いた。11月30日にヒムキというところまで迫った。ドイツ軍を苦しめたのは早く到来した冬の寒さだったそうだ。Wikipediaによると気温が零下20度まで下がったものの防寒装備もなく冬季用のオイルもなかったそうだ。

Wikipediaはドイツ軍が東方に拡大しようとしていた理由も書いている。ウクライナの地下資源を抑えればソ連の勢いが抑えられると考えたそうだ。国際協調をして経済的に抑え込むことはできないので資源を奪ってソ連経済を崩壊させようとしたのだろう。そのあとでモスクワを陥落させればソ連を崩壊させられると考えたようである。だが彼らはモスクワを陥落させることはできなかった。

ドイツのソ連殲滅作戦であるバルバロッサ作戦の項目を読むと泥濘という言葉が出てくる。ロシアは秋と春にぬかるみが生じる。秋は雨季があり春には雪解け水が泥沼を作るそうだ。このため冬が「陸上戦の適期」になる。このため総力戦になり季節をまたぐことになると戦線が膠着する。ナチスドイツの装備は泥濘にも耐えられなかったが冬の戦争への備えも十分ではなかった。厳しいロシアの機構がソ連を殲滅できなかった理由である。

ロシアのクリミア侵攻

ウクライナでヤヌコビッチ大統領が解任されたあと親欧米の政権を作った。そのあとおそらくロシア軍と思われる戦力がクリミア半島に入り地方議会を占拠した。これが2014年2月27日のことだった。2月のうちに軍事侵攻が終わり3月に入るとロシアに対して「クリミアにおける平和維持を要請」した。作戦はごく短期間で行われた。

ウクライナを追われたヤヌコビッチ元大統領が「自分はロシアにいるが正当な大統領である」と宣言したのは2月27日のことだったそうだ。だが彼はキエフにいなかったのでその声はウクライナ全体に影響を与えることはなかった。

事態を掌握するためにはまず政府を抑えてから「住民の要望」という形をとった上で介入するというのがロシアのやり方だ。つまりまず少数で謀略を働かせた上で最終的に軍隊を動員するというのが勝ちパターンになっている。気候と環境が厳しいため長い期間戦線を維持することはできないのだろう。そのため「トップをすげ替える」という手っ取り早い方法が取られるのである。

いずれにせよ春になると泥濘が全土を覆うのはわかり切っていた。こうなる前に短期で戦争に結果を出す必要があるのだ。いずれにせよクリミアではこの作戦は成功した。

ロシアのカザフスタン攻略

この「地元からの支援要請」というのはロシアにとっては定式化された形のようである。

2022年1月にカザフスタンで暴動が起きた。液化石油ガス(LPG)が値上がりし生活が苦しくなった市民たちが大統領に抗議運動を展開したためである。ところがカザフスタンの大統領は「これは外国勢力にそそのかされたテロである」と宣言しロシアなどの援軍を求めた。BBCによると1月2日にデモが始まり、トカエフ大統領が援軍を求めロシアなどの外国軍が入ったのが1月7日だったそうだ。

派遣された軍隊は2,500名だったそうだが、やはり短期間の軍事作戦だった。外国からの介入という話を作った上で短期間で介入してさっと引き上げるという方法をとっている。

この結果、影響力を持っていたナザルバエフ前大統領は政界引退を発表した。もともとカザフの独自性を訴え脱ロシア化を図っていたのだが「ロシアから離れようとする勢力」はロシア圏内では許容されないということを内外に示した形になっている。

だが、ロシアから離脱しない限りある程度の自由は保障されている。今のカザフスタンではウクライナ侵攻に反対するデモが容認されているという。ロシアに強い影響を受けている国だが、ロシアに巻き込まれて経済制裁の対象になることを恐れているものとみられている。距離を置いているものの中枢を抑えられているために表立ってロシアには反抗できないという状態なのだろうと思われる。かといって邪魔さえしなければデモで騒ぐぐらいは認められているということなのだろう。

ロシアのウクライナ侵攻

この二つの例を見ると今回のウクライナ全体への侵攻がうまくゆかなかった理由がわかる。

第一にロシアにせよウクライナにせよ中枢を抑えれば周囲は従う可能性が高い。今回はプロの政治家でない俳優出身のゼレンスキー大統領が予想外の抵抗を見せたことで中枢掌握ができなかった。そうこうしているうちに春の泥濘シーズンになってしまった。

このためキエフの近くまで軍隊は侵攻して来ているが最終的に支配されるところまでは至っていない。このためキエフは完全に包囲される状態にはなっておらず、お金さえあれば食べ物を手に入れるのは困らないというような状態なのだそうだ。

ただし、これは地上戦でウクライナ全体を抑えるという戦略が失敗したということを意味しているだけである。南部では制圧が進んでおり市長が拘禁され新しい市長が「ロシアの支配を受け入れろ」と市民に迫っている。また東部ドンバス地方では市街戦に長けたシリアからの志願兵(あるいは傭兵)が投入されそうだ。東部には根強い抵抗勢力がおり彼らを駆逐するための戦いが長期化しつつある。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です