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自民党の佐藤外交部長が政府のロシア対応を手厳しく批判

自民党の佐藤外交部長が日本政府をかなり強い調子で批判している。連帯とか命より金儲けを優先するとかさもしい腰砕け外交の部分が見えて仕方ないという批判だ。同じことを共産党などが言えば大騒ぎになっていたのだろうが自民党内部ではあまり問題視されることはなかったようだ。だが佐藤外交部長の読みは外れつつある。アメリカの代わりに中国がウクライナ調停の枠組みに参加しそうな情勢になっているからだ。

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これだけを見ると、岸田自民党総裁は自らの意思としてアメリカに強い調子で臨むことにしたのだろうと思いたくなる。佐藤さんのような強硬派を外交部長に据えているからだ。

ところが、その外交方針は一貫しない。外務副大臣はあの鈴木宗男さんの娘の鈴木貴子さんである。当選4回とはいえ36歳なので大抜擢と言えるだろう。おそらくはロシアとのパイプ役を期待されていたのではないかと思われる。もちろんパイプ役は娘ではなく父親の方だ。

その鈴木宗男さんは最近国会やテレビでプーチン大統領擁護論を展開している。例えばアエラでは「プーチン大統領は意外と人情家」という持論を展開した。人情家が人道回廊のような着想をすることはないのだが、あくまでもプーチン大統領をビジネスマンだとみなしてロシア利権にすがりつきたい人がいるのだろう。テレビ番組ではインドのようにロシア非難決議を棄権すべきだったと主張したようである。

娘の鈴木貴子さんもウクライナ大使から「面会を妨害された」として名指しで批判された。

岸田自民党総裁は対ロシア強硬派だが岸田総理大臣は対ロシア融和派ということになる。これは伝統的な宏池会の路線を継承したものだろうが、バランス対応という当初の精神は失われ単なるどっちつかず路線になっている。

ここでどちらか旗色を鮮明にすべきなのではないかと思いたくなる。つまり佐藤さんか鈴木さんかということだ。

だが、国内世論はそのどちらでもなさそうだ。おそらく多くの国民はそれほど日本の外交路線には興味はないのだろう。「とにかく難しいことはよくわからないからあまり損にならないように適当に処理しておいて欲しい」と思っているのではないかと思う。所詮はヨーロッパの出来事なのでどっちでもいいということなのかもしれない。

だが毎日悲惨な映像が流れてくるのテレビは「どちらでもいい」とは言いにくい。

  • 戦争はいけないことだ
  • プーチンは悪い人だ

というあたりで収まっている。

生命倫理や戦争といった問題については思考停止してあまり考えたくない。考えようにも基礎になる教養はない。さらにいえば考えたってなるようにしかならないから考えても仕方ないということなのだろう。だが、とりあえず表面上はかわいそうですねと言っておく。

これが日本人の対処法である。

ところがこのどっちつかず路線は当たり始めている。アメリカは議会対策として強い敵を必要としている。このため原油禁輸を実施しプーチン大統領を煽り続けている。ところがヨーロッパはこれに同調せず原油の輸入を継続する。日本もまた原油禁輸には同調しなかった。表向きは経済のためということになっているが、おそらくはロシアを完全に追い詰めないことを決めたのだろうと思う。

佐藤外交部長は吠え続けるのかもしれないがウクライナに親ロシア派の政権ができればアメリカはこの地域へのとっかかりがなくなる。さらに当のウクライナも「NATO加盟は諦めてもいい」と言い出した。タス通信が伝えBloombergも確認したことからおそらくこれがぜレンスキー大統領の落とし所なのだろう。ウクライナも自由主義・民主主義の防波堤になるつもりはない。自国の独立と一体性が保たれ経済的にヨーロッパの恩恵を受けられればそれでいいのである。

こうした趨勢を考えると今回の協調で弾かれるのはおそらくアメリカ合衆国とそれに同調したイギリスということになるだろう。佐藤外交部長に乗ってしまうとおそらく日本は利害調整のワググミニも入れなくなる。専制主義から民主主義を守るためにゼレンスキー大統領が死に物狂いで戦っているという物語は全く成り立っていないからである。あとはプーチン大統領の顔をどう立てるかということになってしまう。

ふわふわと議論しているうちに枠組みができてしまう。するとあとは趨勢に乗って最も損出が少ない方向を選べばいい。日本人がそれを意図しているかどうかはわからないのだが結果的にそうなりつつある。

とにかく趨勢に乗ればいいと考える日本人は外交に対して大局的な視点を持たない。立憲民主党の羽田次郎さんは「安倍総理がプーチン大統領と仲がいいのというなら特使にすればいいのではないか?」と迫ったそうだ。嫌がらせの類で問題解決を狙ったものではないのだろう。大局観のない日本の野党である立憲民主党にとってもウクライナ情勢というのは所詮その程度の問題でしかないわけである。

習近平国家主席はヨーロッパから調停者・仲裁者として期待されているのだが、安倍元総理に仲裁を期待する人は誰もいない。さらに立憲民主党もせいぜい嫌がらせしてやれくらいのことしか考えていない。

日本人は戦争を災害や病気のように何か面倒な問題だと考えているのだろう。ウクライナの件に関しても「難しいことはわからないがなるようになってくれればいいのに」という理解なのではないかと思う。つまり、色々議論をやっているふりをしながらほとぼりが冷めるのを待っているのだ。

ただ、結果的にそれが国益の損出を最低限に抑えることにつながっている。実に不思議な国民性であり政治文化と言える。

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