プーチン大統領が人道回廊という提案をしてきた。自分たちに歯向かうウクライナ人をまとめて抹殺しようという非人道的的案に人道回廊という名前をつけている。ロシアの粘着質な残虐性がうかがえる。
ロシアは人道回廊を作ってウクライナから避難するようにと提案している。だが実際には避難路には地雷が仕掛けられていることが赤十字の告発でわかっている。さらにその人道回廊の出口は6つあるうちの4つがベラルーシかロシアに向いていて、それを避難路をドローンで監視すると言っている。ロシアとベラルーシから安全に出られる保証はない。収容所に入れられる可能性もあるわけで「収容所までの道を歩いてこい」という提案になっている。避難民に「ロシアに避難できて感謝している」と言わせようとしているという憶測もある。つまり宣伝工作に使おうとしているというのだ。
この提案にはつまりこういう構造がある。
- 避難路を提案しているので国際的非難が回避できる。
- 残った人は「好き好んで残った」ことになるので、攻撃されても自己責任だと言える。ロシアは民間人攻撃を避けるために最大限の努力をしたがウクライナ側が応じなかった宣伝できる。
- ところがいざ逃げようとしても通路には地雷が埋めてある。
- さらに監視して逃げてきた人たちも閉じ込めようとしている。うまくゆけば人質に使えるだろうし、勝手に裁判にかけて晒し者にすることもできる。さらに人質として宣伝にも利用できるかもしれない。
ロシア側の常套手段はつまりこういうことだ。右の頬を殴られるか左の頬を殴られるか好きに選んでいいと言っている。そして答えをためらう相手に対して「じゃあボコボコにしてやる」と迫るのだ。これを交渉とは言わない。言いがかりである。
安倍元総理はこの「ウラジミール」と本気で友達になれると信じていたのだ。
むちゃくちゃに見える人道回廊提案だが実はシリアのアレッポではうまくいったやり方なのだそうだ。読売新聞が伝えている。このウクライナのシリア化については別のエントリーで解説したい。徹底的に破壊して二度と歯向かえなくなるようにしたいという意図が見える。
この一連のやりとりをみているとプーチン大統領がもともと持っている残虐性と粘着質の気質がうかがえる。自らメッキを剥がし地金を見せてきた。国際社会に向けられたビジネスマンの気質の裏にはシリアの内戦に加担した残虐な気質があった。
これまでは自分を立派な国家指導者と見せるために様々な演技をしてきたのだろうが、どういうわけかもはやその必要はないと思ってしまったようだ。このギャップが今回のウクライナ虐殺ショーをより残虐なものに見せている。アメリカのインテリジェンスがこれを狂気と呼びたくなる気持ちはよくわかるのだがおそらくこれが彼の正気であり元々の気質なのではないかと思う。
アメリカやヨーロッパはこうした気質を知りながらもロシアとのビジネスを重要視し対等なビジネスパートナーとみなそうとしてきた。日本に至ってはいまだにサハリン2を放棄していない。まだなんとかなる思っているのだ。たとえウクライナ紛争が解決しても一度むき出しになった地金を国際社会は無視できなくなるだろう。
ただこうした気質を持っているのはプーチン大統領だけではない。モスクワ政府がキエフに対して歴史的にずっと行ってきたことでもある。つまり、ロシアというのはもともとそういう国家なのかもしれない。
ボリシェヴィキ政府はウクライナの農民を懐柔するためにウクライナ人文化と言語を尊重するという約束をした。ところがレーニンがなくなりスターリンになるとこの約束を反故にする。もともとはドイツなどにこの地域を取られないようにするための懐柔策だったので一度手に入れてしまえばもう必要なかったのである。この時にスターリンは「西側に寝返るウクライナ人がいなくなればこの土地は自分たちのものだ」と考えた可能性がある。食糧を収奪しウクライナ農民を抹殺しようとしたようである。この出来事はホロドモールと言われ、ウクライナ側では民族抹殺の試みとみなされている。
寒い地域に閉じ込められたロシア人の肥沃な土地に対する執着が「DNA」としてロシア人の中に閉じ込められており時折強い残虐性となって蘇るのかもしれない。ウクライナの土壌はチェルノーゼムという肥沃なものでありモスクワのポドゾルという貧困土壌とは異なる。モスクワが決して手に入れられないものをウクライナは最初から持っている。この嫉妬が時折こうした残虐性となって現れるのかもしれない。
だがこの嫉妬心はロシアの国際的地位を著しく失墜させる。我々はすでに目撃してしまった。残念なことだが、しばらくこれを忘れることはできないだろう。