バイデン米大統領は2月3日米軍の特殊部隊が前夜にシリア北西部イドリブ県で行った急襲作戦でイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」最高指導者のアブイブラヒム・ハシミ・クラシ容疑者が死亡したと伝えた。AFPが詳細に主張を伝えている。バイデン大統領は自らが世界からテロの脅威を取り除いたと言っている。
伝統的に親米の読売新聞もバイデン大統領の論調を引き継ぎ「アメリカがイスラム国に大きな打撃を与えた」と強調した。
ところが時事通信は「この事件はテロ活動にはほとんど何も影響がないだろう」と分析する記事を書いている。むしろ脅威が拡散し管理が難しくなる可能性があるのだという。さらに主戦場は中東ではなくアフリカだ。
いずれにせよ「アブイブラヒム・ハシミ容疑者」か「クラシ容疑者」の死後、バイデン大統領は国民向けにテレビ演説を行い自らの成果を強調した。
このニュースだけを見ると世界の警察としてアメリカが機能しているというように読み取れる。ところがこの話には色々と不都合な点がある。
第一にシリア情勢は泥沼化していてアメリカが制御できるような状態ではない。民主主義にとって本物の敵はアサド大統領なのだろうがアメリカ合衆国はアサド大統領一派を取り除くことに成功していない。たとえ一時的に取り除けたとしても中東に民主主義は定着しない。アメリカは自らと同じシステムの国としかコミュニケーションができないからだ。
次に今回攻め込んだのは形式的には主権国家シリア領土である。さらに地図で見るとトルコ領に非常に近い。トルコはNATO加盟国なので同盟国だがトルコはヨーロッパと緊張関係にあり状況は複雑だ。ウクライナで大問題になっている国際的な軍事同盟や主権国家という枠組みには実は今や何の意味もないことがわかる。
さらに、全てがアメリカ合衆国のせいというわけではないがアメリカは民主主義を魅力的なものであり続けるための努力はしていない。根底にあるのは格差の拡大なのだが国内ですら格差拡大が民主主義を混乱させている。特にこの格差問題が深刻なアフリカではテロの脅威が増し情勢が混乱し各国でクーデーターが起きている。
だがバイデン大統領はそれでも成果を求めている。大型予算案もウクライナ情勢は行き詰っているのに中間選挙が迫ってきているからである。
アメリカはNATOに軍隊を送ったがおそらくウクライナのうち一部はロシア側につくことになるだろう。ウクライナもNATOやアメリカの軍隊を要請していない。ロシア側の介入の口実になってしまうことをよく知っている。さらにウクライナはNATO加盟国ではないのでアメリカやNATOが直接介入できる状況にない。それでもアメリカがウクライナに関与し続けるのはクリミア情勢に中途半端に首を突っ込んでしまったせいだ。
おそらく、アフガニスタンに続いてウクライナも「バイデンの失敗」とみなされることになるのだろうが、実は人道保護を名目に安易に関与した多くの大統領たちの後始末をしているだけだ。つまりバイデン大統領は「大掃除」に自分の政治資源を消尽する運命を選択してしまったことになる。
アメリカ合衆国は自らの手を汚さないためにドローンによる空襲を常套手段として使っていた。ところがドローン攻撃は必ず民間人を巻き添えにする。さらにドローン攻撃はアラブ周辺で模倣されるようになった。最近はアラブ首長国連邦の首都がドローン攻撃されている。
そこで今回バイデン大統領は「急襲部隊」を作ってアメリカ人兵士の犠牲が出る可能性がある作戦を遂行した。だが、この作戦でも民間人の犠牲を防ぎきることはできなかった。フランスのAFPなどは現地に特派員がいて状況を備に報告している。イギリスの人権団体にもエージェントがいて報告が上がってくるようだ。アメリカの強引な作戦はすでにヨーロッパ諸国の監視対象になっている。
AFPによると当初アメリカは「作戦の詳細を明らかにせず」に「とにかくアメリカの犠牲はなかった」と強調したそうだ。後になって疑念に応えるべきだと考えたようでバイデン大統領は次のように説明した。
クラシ容疑者が滞在していた家を単に空爆するのではなく、特殊部隊を投入したことで「自国民へのはるかに大きなリスク」があったものの、民間人の犠牲を最小限に抑えるためには必要だったと説明。標的となった家には子どもを含む家族がいたが、クラシ容疑者は特殊部隊が接近した際、「自分の家族や建物内の他人の命を顧みず、捨て身の臆病な最後の行動として、自爆を選んだ」とした。自爆は爆弾を装着したベストによるものではなく、建物の3階部分全体を爆破するもので、「複数の家族が道連れ」になったという。
IS最高指導者、家族と共に自爆 米軍がシリアで急襲作戦
ポイントは二つある。
- アメリカは自国の犠牲も顧みず民間人の犠牲を最小限に抑えようとした。
- だが臆病な敵があまりにも卑劣だったため民間人の犠牲を防ぎきることができなかった。
「アブイブラヒム・ハシミ容疑者」とか「クラシ容疑者」など呼び名もバラバラだが、とにかくこの人が生きていれば将来はるかに大きな犠牲が出た可能性があるのだからこの作戦は正当だったと主張した。かつてのようにアメリカが強大であればこの理屈は通った可能性がある。同じような説明は広島でも行われている。
- 原子力爆弾は確かに多くの市民の犠牲を伴ったが、仮に広島と長崎に原爆を落とさなければもっと多くの犠牲が出ていただろう。
日本は過去にこの理屈を受け入れた。戦争に負けたのだからそれ以外の選択肢はなかった。当時の戦勝国は同盟国(のちの国連)を名乗りその見解は一致していた。つまり誰かがそういえばそれが正義になったのである。だが現在のアメリカにはそのような力はない。さらにISは分散組織なので敵の首領を倒しても組織全体が壊滅することはない。欧米との格差に腹を立てた貧困国からいくらでも兵士を集めてくることができるからである。
「どうせこんな作戦は無駄」という分析がある一方「やらないよりはマシなのではないか」とか「人道的に配慮し始めているので一歩前進なのではないか」という意見もありそうだ。ここでは視点を変えて日本にどんな影響があるのかを考えて見たい。
日本は戦後「独自の世界平和」を捨てて「アメリカのサブシステムとしてアメリカの認証する正義」を継承する道を選んだ。前回の石原慎太郎のエントリーで「夢想主義」について書いたのだが石原慎太郎やそれを継承した安倍元総理の夢想的改憲論が破綻しないのは日本が「サブシステム」だからである。日本がどのような安全保障議論を積み重ねようとも世界の情勢にはあまり影響を与えない。このため日本人は心ゆくまで内向き議論に耽溺できる。
ではアメリカというメインシステムは万全なのか?ということになる。おそらくこれまでも経年劣化してきていたのだろうが、最近それがさらに顕著になりつつある。つまり「この認証形式」が成り立たなくなっているのだ。
どんな不具合が起きているのかはわからないのだが、格差の拡大によってアメリカの民主主義が揺らぎ、それをカバーするために外交での得点稼ぎに走り、その整合性が崩れ、収拾がつかなくなっているように思える。
バイデン政権の議論は実はオバマ政権時代の議論の続きなのだがそうは見えない。オバマ大統領というきれいな表紙がなくなってしまったからだ。さらにバイデン大統領はトランプ大統領と競うことに夢中になっておりその醜悪さがさらに増してしまった。
こうした状況を踏まえると、日本が置かれている状況は我々が思っているよりは深刻である。新しい認証局を探すという選択肢があるが「国連」のようなグローバルスタンダードはもはやない。専制的共産主義の中国も認証局としては使えない。おそらく「欧米」という選択肢も溶解しかけている。ヨーロッパがアメリカのやり方を疑い始めているからだ。
では自分たちで何か探そうかということになる。だが、日本は東洋的な伝統を捨て去ってしまった。今更家父長制に戻りたいといってもイエに支配されたいと考える女性は多くないはずだ。
さらに深刻なことに日本人はそもそもこの状況を知らない。ISのリーダーが殺されたというニュースがそもそも扱われていない。扱われてたとしても読売新聞のように「アメリカがISに勝利した」というニュースにしかならない。ただ大本営発表だけを信じていれば不安にはならずに済む。
多くの日本人はそもそも世界情勢が変化しているということを知らないままで無意味な安全保障議論に挑まなければならない。現在の主な戦いは「リモート会議を認めるためには憲法改正をしなければならないが立憲民主党がそれを拒否している」という類の舌戦のようだ。
いつまでこんな状態が続けられるのだろうかと思う。