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根のない巨大な樹石原慎太郎と猪瀬直樹

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石原慎太郎が亡くなった。Twitterではアンチコメントが飛び交いワイドショーでは追悼特集をやっていた。恵俊彰が司会をやっている番組では猪瀬直樹が石原慎太郎について語っていた。猪瀬は石原を芸術家と位置付けた上で環境擁護からオリンピック招致までを一つの線で結ぼうとしている。そして猪瀬がそのようなプロットを語ろうとすればするほど別の絵が浮かび上がってくる。それが根のない巨大な樹である。Twitterの人々はこの巨大な木が作り出す影に怯え影と戦っているのだと思った。

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無残な番組だった。

この番組の最初の無残さは恵俊彰にある。恵はさらっと流すようにして猪瀬の言葉を切り取ってゆく。猪瀬が作ろうとする絵を理解するつもりはさらさらなさそうだ。さらにそこに田崎史郎を振りかけてインスタントの料理にしあげてゆくのである。まるでラーメン丼に指を突っ込んで無造作に目の前に置かれたような感じになる。途中で猪瀬直樹がドンと机を叩いて席を立つのではないかと思ったのだが無料の地上波でそんな面白い見世物が見られるはずもない。ショーは淡々と続いてゆく。

猪瀬はフリップを準備して来たらしい。これが二番目の無残さだった。つまりこの人は生来の作家であり番組を構成しよう企てたのだ。ただ、それが番組の全体を構成することにはならなかった。恵俊彰はこの辺りの捌きが非常に上手だ。話は聞いている。聞いた上でスルーするのだが理解するつもりがないのか能力がないのかがよくわからない。もしかしたら相当勉強した上で臨んだのかもしれない。

猪瀬にとって石原慎太郎は常に理想を追求する求道者のような存在だったのだろう。石原の前の世代は旧来の倫理観に基づいた家族像・国家像を持っているのだがアメリカに敗戦したという体験を持っている。だが石原の世代にはそのようなくびきはなかった。

石原の最初の成功は無軌道な若者たちの群像を描いて見せることだった。これが芥川賞を獲得し弟の石原裕次郎らの肉体を通じて映画としても表現された。これが多くの人を惹きつける。Wikipediaに芥川賞の選者のコメントが残っているのだがあまり評判は良くなかったようだ。新鮮だが荒削りだと考える人がいる一方で、単に世相を切り取っているだけであると断じる人や、自分にはよくわからないと言って匙を投げる人もいた。全体的には「当時の世相を反映し様々な文学作品を寄せ集めた上に投影した」という評価だったようである。

修行をすればいい作家になるかもしれないと感じた選者もいたようだ。様々な文学作品に触れていることは間違いがないからだ。だが、石原がその期待に応えることはなかった。政治家に転身してしまうのである。ところが政治家としての石原慎太郎にも見るべき遺産がない。

国民的人気を当てこまれて全国区でトップ当選する。その後理想の国家作りを目指し1973年に青嵐会を立ち上げる。寒冷前線という意味だそうで会員は血判状を押して入会したそうだ。日本の自主独立を掲げるという高い意欲に満ちた試みだったと言って良い。

Twitterで怒っている人たちは彼の「嵐を呼ぶ発言」に反応している。最後の石原慎太郎の功績は「大年増の厚化粧」で小池百合子支持者を団結させ小池都知事を誕生させたことだろう。おそらく本人は嵐を呼ぶ青年政治家という自己認識を最後まで持ち続けた。人々はそうは思わなかった。背の高い老人が居丈高に女性の容姿をいたぶっている姿を見て夫や職場の上司を想定した女性も多かったはずである。

確かに既存の政治に波紋を広げたというエピソードはいくつか残っている。だが、石原が本気で政界に人脈構築をする努力をした形跡は見られない。1989年には総裁選に打って出るのだが各得票数は48票だったそうだ。1995年に25年表彰されると「日本は去勢された宦官のような国家に成り果てた」と言い放ち国会議員を辞めてしまう。国会では彼の意思を理解する人は多くなかったし、彼もそのような努力はしなかった。

ところが大衆に支えられて彼の人気は衰えなかった。1999年には東京都知事に立候補し当選する。4期14年務めたそうだ。猪瀬直樹は中央防波堤の「海の森構想」からオリンピックにつながるまでの流れを紹介しようとしていた。東京を世界に誇る環境都市にしてオリンピックで世界にお披露目をするという壮大な構想だったそうだ。芸術的政治家石原慎太郎という像である。

猪瀬はタカ派として認識されることが多く今回も海外のメディアでは「Japanese right winger」として紹介された。猪瀬はそれを「実は理想を追い求めそれを実現しようとする真の政治家であった」と再定義しようとしたのかもしれない。

だが猪瀬のこの石原像が理解されることはさそうだ。おそらく恵俊彰がこれをさらっと流したのは正解だったのだろう。石原が都政でやったことといえば全て投げ出しだったからだ。最後は都知事を猪瀬に投げ出して国政に戻った。4期14年という中途半端な任期はそのためである。

東京都は中小企業を救う存在でなければならないという高い理想を掲げて新銀行東京を作った。わずか3年で1000億円近い累積赤字を抱えたそうだ。貸し出しの審査があまりにもずさんだったからだ。公的資金を注入したが救いきれなかった。つまり最後は税金で助けてもらった。

築地市場の移転も失敗した。ガス会社の跡地を見つけるのだが実は汚染されていた。また土地転売や移転費用をめぐる疑惑が噴出し住民訴訟が起こるなど泥沼してゆく。最初は「都税は使いません」という触れ込みだったようだが、東京都は高い金を払って土地を浄化した。都民は税金を使って公害の後始末をさせられたことになる。

では石原はこの問題に責任を感じているのだろうか。猪瀬からそれがうかがえる発言があった。オリンピック招致は高邁な理想から始まったがそれはあまり知られていない。あとで色々なゴタゴタがあったがそれは全て森喜朗らの問題であって石原の問題ではないというのである。芸術家らしい総括だと思った。

豊洲の移転問題も石原は理想を語り事業を始めただけで具体的なことは全て代理の浜渦武生さんに任せていた。浜渦さんは「いろいろやっていた」のだろう。百条委員会で喚問され「水面下なら答えてやるよ」とつぶやいたそうだ。

猪瀬直樹はテレビに呼ばれて来ている。自分はフリップまで用意して準備万端だ。だがテレビは安易にそれを料理して見せるだけで我々の高邁な理想を理解しようとしない。だがそれに腹をたてることはない。芸術家とはそういうものなのだ。

諸問題はすべて「実施した側」の問題であり元々の発想は良かったと考えているのかもしれない。それは森喜朗らが無茶苦茶にしたオリンピックもしかり浜渦さんらが関わった築地の豊洲移転問題もしかりだ。

考えてみればそれは当然のことである。インタラクティブ性のあるメディアがなかった時代の作家は自分の着想を世に問うことが仕事だった。だが、それがどう解釈されるのかということまでは考えない。仮にそれが無残な結果に終われば「それは実施した人が悪い」ことになる。

石原はまだテレビというものが世の中に出回る以前に作家になっている。

おそらくこれが石原の人気の秘密なのだろう。石原は改憲論者として知られるが、改憲の中身には興味がなかったそうだ。彼が具体的に指摘したのはせいぜい「てにをは」の問題だけである。それよりもむしろ「自分たちの頭で憲法を考えるべきだ」という気持ちだけが改憲の理由になっている。猪瀬によると態度や姿勢の方が中身より重要なのだ。

石原には寄って立つものがない。前の世代のように東洋的な倫理観に基づいた家族観・社会観はすでに否定されている。さらに今の世代のように西洋的な民主主義もよく理解できていない。庶民と生活実感を共有しているわけではない。ただ「野放図に振る舞う」ことが自由なのだと感じているのだろう。この時代性が石原の人気の理由になっている。つまり終戦後の日本にはこうしたイデオロギーや価値観の空白があったということになる。石原はそこに見事に嵌った。永遠に理想を追い求めているので決して地上の泥をかぶらないのだ。

大衆は影を求めている。それがよく表れている事件が尖閣諸島問題に対する対応だ。去勢された日本は中国に堂々と立ち向かえない腰抜けになっている。どうすれば戦略的に立ち向かえるかはわからないがまずは動いてみようと石原は考えた。金が出せないなら有志から寄付を募ればいい。

この基金には全国から14億円もの寄付が集まった。結局使い道が見つからない金である。

世襲にまみれた現世の政治家は官僚の書いた文章を読むだけで現状を打破する力がないと感じた人たちが石原ならなんとかしてくれるのではないかと考えてそれだけの金を出したわけである。2018年に小池百合子東京都知事が「新しい使い道を考えようと思っている」と表明したところでニュースは終わっている。つまりそもそも最初から使い道のない金だったのだ。

今風に言えば「理想の家電」を作るためにクラファンで金を集めたものの誰も製品化しなかったというような感じである。だが寄付をした人は誰も文句は言わなかった。極めて異常な事態と言って良い。「市場に買いたい製品がない」と言っているのだ。

こうして石原の生涯を辿ってゆくと根っこのない巨大な樹がそびえているように見える。根がないからこそ地上の汚れとは無関係だが決して身を結ぶこともない。ただ、巨大な樹には大きな影ができる。現実の政治に疲れた人たちは全てその陰で憩う。だがその陰は多くの人を怒らせもする。つまりTwitterで石原と戦っている人たちはこの陰に怒っていることになる。

見込みはないがとにかく走り出せという荒々しい青年性が多くの人を惹きつける。現実が惨めであればあるほど「宙に浮かんだ芸術的な政治家」である石原の魅力が増してゆく。根がないからこその人気である。だが彼に怒っている人は彼のことを背の高い乱暴な老人だと思っている。

最後に果たしてこれがいいことなのか悪いことなのかを考えた。ま作家・芸術家」という側面ではあまり心配はいらないのだろう。現在はSNS時代である。つまりクリエーターは着想して流しっぱなしというわけにはゆかない。常に受け手からのフィードバックがありそれを無視できないからだ。

クリエーターたちも自分たちの価値を高めるために「コラボ」をする。つまり社会協力を通じて自分たちの価値を相互的に高めてゆく。常に実践があり実践から学び社会と関わりながらあたらしい価値を作ってゆく。おそらく「僕たちの高邁な理想を誰も理解してくれない」などと言っている人はクリエーターとしては成功できないだろう。

ところが、石原慎太郎という巨大な樹は政治の世界ではかなり深刻な影響を与えている。

例えば安倍元総理の支持者たちは「具体的にはなんだかわからないがとにかく理想の国家像がどこかにあるはずだ」という幻想にいまだに取り憑かれている。彼らは高い理想を掲げては見せるが具体的な道筋は示さない。そしてその理想像は何処か場当たり的で曖昧模糊としている。

ところがその曖昧な理想像を否定する動きも起こる。曖昧とした理想像に対するアンチなのでさらに曖昧である。理想の政治が情けなければ情けないほど陰が大きくなりその陰に怯える人が増えてゆく。そしてその影と戦うことを日本では政治論争と言っている。

憲法改正議論はすでにこうした曖昧な議論に消尽されていて前に進む気配が全くない。

さらに現実に対する視点を一切持たないため彼らの夢想主義は付け入る隙を与える。新銀行東京は貸し倒れの問題を起こしそれを埋めるために多額の公的資金が投入された。さらに東京オリンピックも単にゼネコン・広告代理店・人材派遣業などを太らせただけだった。理想に燃える「かつての若者たち」の裏にはこういう人たちがいたのだと思う。

猪瀬直樹の5,000万円のカバンについてのエピソードを思いだした。

優れた作家として評価されたこともあった猪瀬直樹だが政治家として現実的な問題には全く対処できない人だった。「金が準備されているのだから、きっと周りが処理してくれているのだろう」と考えたのだろう。最後はよくわからないカバンのパフォーマンスを披露してよくわからないままに退場した。芸術家らしいといえば芸術家らしいやんちゃなエピソードだが都知事としての猪瀬直樹の記憶はこれしか思い浮かばない。

明治維新以来の伝統的な保守の価値観にも戻れず西洋的な民主主義も受け入れられない。資本主義の恩恵も受けていないという人たちがとりあえず行き着いたのが「誰でも好きな未来を夢想できる」という夢想主義だった。多くの人がその陰で憩い多くの人がその陰で蠢く何かに怯えている。石原はそんな陰を作った「芸術家」だった。

日本は核になる確固たる思想を持つべきだと主張し続けた石原慎太郎は皮肉なことに夢想主義の依代とし利用されている。おそらく石原の人気を当て込んで「彼の保守思想を受け継ぐ」と参議院選挙で訴える政党や候補者が多数出てくるはずだ。すでに石原の意思を継いで憲法改正を成し遂げるべきだと主張する改憲論者の発言が飛び交っている。

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