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中国を名指しできない岸田政権の弱腰外交と決議の意味するもの

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岸田政権下で「ウイグル・チベットなどの人権状況に懸念を表明する」決議が出された。だが結局中国は名指しできなかった。NHKも「中国を念頭に」としか書けていないのだが実質的に中国を非難する動きとして扱っている。つくづく情けない国になったなあと思った。

やるならきちんと中国の名前を出したほうがいいし、忠吾半端になるなら最初からやらないほうがよかった。アジアの大国の地位を日本が自ら明け渡してしまったことがわかってしまうからだ。

情けなさを感じる理由をつらつらと考えて見たい。

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例えて言えば近所にクレームをつけにいったもののビビってしまい「オタクが悪いってわけでもないけどさ」などとぐちぐち言っているという状態である。アメリカという大きな後ろ盾があるときには勇ましいことを言っているのだが、一人になると怖くなってしまうのだろう。気持ちの上では中国を大国と認識しており「とてもかなわない」と感じているのだろう。

日本は国際社会においてついに精神的な強さを持ち得なかったということになる。なぜそんなことになってしまったのかは考えるに値する。日本で中国に強い姿勢を取りたい人たちは実は中国を羨んでいる。これが屈折した気持ちになり「嫌がらせ」の気持ちを生じさせる。決して大国になれないという卑屈さがにじむ。

中国は専制国家なので思う存分国威発揚ができる。日本は民主主義国なので色々な意見を持っている人がいてまとまれない。保守からみると「ゴタゴタしている」ということになる。自分たちができなかったことが中国にはできるのが羨ましい。そのうらやましさの裏返しで「嫌味でも言ってやろう」ということになってしまうのだ。

中国側は「日本自身が、人権問題において悪行が多く、他国の人権状況に口出しする資格は全くない」と反論したそうだ。

ウイグル・チベットや香港などが人権問題を抱えているのは明らかだ。だから、やるなら自分たちの襟を正した上できちんと抗議をしたほうがよかったと思う。

だが、社会としての日本が他者の人権にさほど興味がないことは明らかである。技能実習生の問題を見るとそれがよくわかる。経済的に弱い立場の人たちを連れてきて職場選択の自由を与えずに安い給料で働かせる。中にはそれだけに飽き足らずパスポートを取り上げたり暴力を振るったりする人もいるそうだ。弱いものを弱い立場に留め置いていたぶりたい人が多い。

戦前の朝鮮半島出身者に対して同じようなことをやっていたが、「保守」は戦前の日本人がやっていたことを否定したがる。だが人生の大切な時期を虐げられて過ごした人たちはその恨みを忘れることはない。今でも徴用工や慰安婦問題は日韓関係の魚のトゲになっている。「歴史戦」でいくらこれを否定しても我々がやったことや今やったことが消え去ることはないだろう。

弱いものを虐げ強いものには諛(へつら)う。そして隣にいる成功しつつある隣人が羨ましい。こうしたアンビバレンツな心象が「名前こそ出さないが相手のイベントに合わせてケチをつけてやろう」というような行動につながる。これで日本人の誇りやメンツが守られたと感じている人が一体どれくらいいるのだろうかと思う。

さらに、他国の文化にも興味がないこともわかってしまった。オリンピックで頭がいっぱいになっていると思うのだが2月1日は春節である。元旦に乗り込んできて「オタクが悪いと言っているわけではないんだが……」とぐちぐちと嫌味を言って帰ってゆく隣人がどんな印象を与えるのかということは考えなかったのだろう。

情けなさの連鎖はまだ続く。読売新聞は「広く賛同者を募るために中国を名指しすることを避けた」と提案した自民党や賛同した立憲民主党を擁護して見せた。物は言いようという気がする。だがそれでも維新と国民民主党は「不満を文書で表明」したそうだ。参加はしたが「もっと強く抗議してもよかったがやらないよりはマシだった」と誰かに言えるようにアリバイを作ったのだろう。

おそらくどの政党も「無党派に興味を持ってもらうためには中国への憎悪を煽るしかない」ということをうっすらと理解している。立憲民主党らのリベラル政策「人に優しく」は全く国民に響かなかった。それよりも国民の嫉妬心に訴えかけたほうが手っ取り早いのだ。とはいえアメリカ人のように拳を振り上げたりはしない。嫌味を言って裏でこっそりと溜飲を下げるのだ。これも実に情けない。

だがここまでの情けなさ以上に情けないものがある。それは我々が羨んでいるものだ。

中国政府は新型コロナウイルスが怖い。だからオリンピックは完全なバブルの中で行われる。広い家にはゴミが溢れているがリビングだけをきれいにして近所の人を羨ましがらせようという中国お得意の「特区戦略」である。スタジオでセットを作ってテレビ用のイベントをやっているような感じといってもいい。あまりにも見え透いているので西側の国でこれを羨ましがるところは日本を除いてはどこもないだろう。

その中で行われていることも実はかなり滑稽である。例えば、国中に高速鉄道を張り巡らせたり(バブルの中でオリンピックをやるので結局オリンピック用ではないのだが)製造業の工場にありそうなロボットを作って自動で料理を作らせたりしている。

要するに製造業的な「未来像」があって「中国はここまできた!」とやっている。一生懸命働いてここまできたというのは立派なのだがようやく到達した未来というのは「製造業大国」である。

彼らの未来像がどこから来たのだろうかと考えたのだがおそらくそれは1964年の東京オリンピックや1970年の万博なのだろう。実は我々が羨んでいる中国の成功というのは我々の昔の姿に過ぎない。中国もまた未来に対する想像力を欠いておりおそらくそれ以降の国家像というのは描ききれていないことがわかる。せいぜいスタジオを作って「成功した国家」を演出して見せるくらいのことしかできていない。

我々日本人は美しい思い出に変わったかつての自分たちを見て「ああ眩しい羨ましい」と言っていることになる。かつての栄光を外国に盗まれた気分なのかもしれない。これがこの決議の最大の情けなさであり滑稽さなのではないかと思った。

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