偉大な政治家よりも偉大な俳優が求められることがある。ウクライナはそういう国だ。ウクライナ東部はそもそも準内戦状態だった。ウクライナ国民は「いつロシアに飲み込まれるかわからない」という恐怖心を抱えている。
アメリカ合衆国が状況をエスカレートさせ自国民の国外退去などを呼びかけたことでウクライナ国内の緊張度合いは一気に高まったようだ。ついに日本の自衛隊にあたる組織の若い隊員が5人を殺害する事態になっている。AFPは国民防衛隊と書いている。ウクライナには軍隊とは別に内務省に所属する軍事組織があるそうだ現場ではプレッシャーが高まっていてウクライナ政府が抑制を図っているのだろう。
これが気に入らないバイデン大統領は「軍事衝突の危機があるがウクライナは緊張が足りない」とゼレンスキー大統領を煽ったようだ。ホワイトハウスはこれを否定している。
ゼレンスキー大統領が窮地に立たされていることは間違いがないのだが、そもそもこのゼレンスキー大統領というのはどんな人なのだろうか。
ゼレンスキー大統領はウクライナの脱ロシア化・ヨーロッパ化を意図して動いて来た。ヨーロッパは口では歓迎の意思を示すものの仲間にはしてくれない。「断固ウクライナを守る」などと言っているが支援は限定的だ。今回もNATO各国は武器を送っているそうだが要するに自分たちで国を守れということだ。ドイツなどはヘルメットを送ったきりだった。
だがそれでもヨーロッパに接近して後ろ盾になってもらわなければ困る。あとは「万事うまく言っている」と振る舞うことしかできない。
ゼレンスキー大統領の前職は俳優だった。ドラマの中で大統領を演じドラマの中で使った政党名で立候補した。つまりウクライナでは実際の政治とドラマの中の出来事がごっちゃになっている。
当初、ゼレンスキー大統領は早晩に行き詰まるだろうと予想されていたもののそうはならなかった。ロシア系という出自が有利に働きロシアとの和平交渉をまとめたからだ。つまりここでも大統領のパフォーマンスは成功した。
ゼレンスキー大統領に失敗があったとすれば「ヨーロッパもアメリカも口で言うほどはウクライナに優しくない」ということを見破れなかったことだろう。単にロシアに接近されては困るくらいの意味合いしかないのである。あとはヨーロッパのパンかごとして安定的に安い小麦を供給してくれればいいくらいに思われているのではないだろうか。
きっかけはあるテレビ番組だったそうだ。ゼレンスキー氏はポロシェンコ大統領と対立していた大富豪のコロモイスキー氏が主催するテレビ局で「善良な大統領」を演じ国民的な人気を博した。BBCが当時のテレビ番組を紹介している。アメリカ合衆国のポピュリズムは大統領選挙をショーアップしていたわけだが、ウクライナでは虚構と現実の区別がつかなくなっていたことがわかる。BBCの別の記事には「ドラマの中に出てくる政党名」で政治活動を始めたと書かれている。
2019年の4月に行われた大統領選挙には39名の候補者がいた。決選投票はゼレンスキー氏優位のまま現職との間に行わて地滑り的に勝利を収めたそうだ。ドラマが現実になった瞬間だ。
背景にあるのはポロシェンコ大統領への失望だった。大統領は腐敗の払拭を約束していたがついに果たされなかった。結局政治家は自分たちのことだけしか考えていないのではないか?という疑念が高まり非政治家であるゼレンスキー氏に期待が集まった。国民が期待する政策の二番目は政治家の不逮捕特権剥奪だったのだというからその政治不振ぶりがうかがえる。
もちろん政治専門家のゼレンスキー評は芳しくなかった。「すぐにメッキが剥がれるだろう」と言われていたようだ。ただウクライナが必要としていたのは政治力ではなく演技力だったようだ。
まず就任当初、挑発するウクライナ民族主義者に反論して見せたという。ゼレンスキー氏はロシア語が母語であり必ずしも反ロシア・親ウクライナというわけではない。これまでウクライナ系・ロシア系という対立があったわけだがこれを「政治家・民衆」という別の図式に塗り替えた。
ロシアにも近くウクライナ人からも支持されているという経歴はロシアとの停戦合意には有利に働いた。ゼンレンスキー大統領の支持が高かったのはとりあえずロシアとの緊張をほぐしてくれたという点にあったのだろう。
次にゼレンスキー氏の名前が出てきたのはトランプ大統領との関係においてだった。バイデン大統領の長男はウクライナでビジネスをやっていた。2020年の大統領選挙を有利に進めたいトランプ大統領が軍事支援を延期して捜査協力をほのめかしたため、当時のアメリカでは大問題になった。
ゼレンスキー大統領もアメリカの援助や後ろ盾を期待していてトランプ大統領との関係を維持していたことがわかる。ゼレンスキー大統領は普通の通話だったとトランプ大統領を擁護した。
ゼレンスキー大統領は極めてパフォーマンス色の強い大統領だった。このパフォーマンスが人気の秘訣だったと言って良い。これまでの政治に失望していたウクライナ国民は政治家よりも政治家らしく見えるゼレンスキー大統領への支持を維持して来た。
この状態を劇的に変えたのがバイデン大統領だ。バイデン大統領がゼレンスキー大統領とどのようなコミュニケーションを取っていたのかはよくわかっていないが実務派のバイデン大統領との関係はあまり良くなかったようだ。
バイデン大統領が「小規模混乱ならNATOはまとまらないかもしれない」と失言したことにゼレンスキー大統領は反発した。これが失言だったのかあるいは状況をほのめかす計算だったのかということはいまだにわかっていない。いずれにせよアメリカ合衆国は自国民を退避させ始めロシアに対しては「いかなる取引にも応じない」という姿勢だけを明確にした。アメリカはウクライナを見捨てようとしている。というよりおそらく実利を重んじるバイデン大統領は「自分たちに役に立たない国」には興味がないのだろう。
こうした実務的な対応がパフォーマンスだけで維持されて来た表向きの平和をぶち壊しにした。ウクライナ側からの情報によるとバイデン大統領はかなり直裁な言葉でウクライナを脅したそうだ。首都キエフはロシアの標的になっていてほぼ確実に収奪されるだろうと言っている。これが堂々とすっぱ抜かれ英語で記事になるのが今の米・ウクライナ情勢だ。
An unnamed official with Mr Zelensky’s government told CNN that a planned call on Thursday between the two leaders involved Mr Biden warning that Ukraine’s capital of Kiev could be targeted by Russian forces and “sacked” in an invasion that he reportedly portrayed as imminent and a near-certain possibility.
Biden warned Ukraine’s president Kiev could be ‘sacked’ by imminent Russian invasion
もちろんこれが本当にアメリカが言っていることかどうかはわからない。つまりウクライナ側がさらなる国際社会からの支援を求めてアメリカやヨーロッパに圧力をかけようとしているのかもしれない。CNNは危機認識に違いがありアメリカとウクライナの会談はうまくいかなかったと言っている。
アメリカは表向きはウクライナを支援していると思わせたい。だがウクライナから出てくる情報はほとんど「アメリカはあてにならない」と言っている。こうしてアメリカの国際社会に対するプレゼンスは低下し続けている。
ゼレンスキー大統領はロシアと欧米の間をうまく立ち回り持ち前の演技力でロシア系・ウクライナ系を一つにまとめてきた。つまり偉大なコミュニケーターであったことはわかる。だがその一方でやはり軍事と国際政治には素人だった。最終的には欧米は自分たちを仲間として迎えることはないしいざとなったら蓋をして見捨てるだろうというところまでは読みきれなかったということだろう。
ゼレンスキー大統領は国民に「まだ危機は来ていないから慌てるな」という演説を行ったそうである。もはや彼にできることは呼びかけることだけなのだ。