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新型コロナウイルスは政治的にはただの風邪になりつつある

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今回は小池百合子東京都知事について考える。決して責任を取らず「やっているフリ」に徹する政治家である。今回は「なぜこのような人が長年都知事でいられるのか?」という分析をする。いろいろ調べてゆくと小池さんのように責任を取らない人が長年リーダーでいられるのには納得できる理由があることがわかる。要するに小池都知事はみんなが聞きたいことを言っているだけなのだ。

これをコメンテータ型の政治と呼ぶことにする。一億総他人事社会にふさわしい政治的リーダーだ。

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新型コロナウイルスが政治的にただの風邪になりつつある。

これは新型コロナウイルスがただの風邪にになったという意味ではない。政治的にただの風邪として扱われるようになったという意味である。

厳密にいうと「ある条件のもとでは症状がそれほど重くならない」というべきかもしれない。テレビ朝日が次のように伝える。糖尿病などの基礎疾患がなく肥満体質でもなく50歳以下なら肺炎にならないだろうと言っている。

これは朗報か?ということになる。50歳以下で基礎疾患のない人にとっては朗報だろうが50歳以上で基礎疾患のある人や若くても肥満体質の人には悪夢でしかない。気がつかないうちに市中でコロナに罹り重篤な症状に陥る可能性がある。つまりオミクロン株は「健康格差」を作り出している。

加えて新型コロナウイルスにはこれまでの刷り込みがある。思い込みに支配されている人はそこから脱却しないばかりか思い込みを否定されると怒り出す傾向にある。

つまり格差を意識させず思い込みに支配されている人を刺激しないことが求められるようになってしまうのである。おそらく二類相当から五類に変更されることはないだろうが、二類相当扱いは形骸化してゆくはずだ。形式ではなく実質が変わってしまうのである。

つまり形式上は厳しい扱いが残るが運用はなし崩しになる。さらにこれまで政治と専門家が作り出してきたルールが今でも生きている。専門家は理由があって主張してきたのだろうが実行する市民はただ訳も分からずに従っているだけだった。ルールが無意味化されたまま残るだろう。

例えば当初は接触感染もあるとされていたため「72時間ルール」が徹底されているところがある。公立図書館では本は72時間寝かせることになっている。図書館の中央団体がそういうガイドラインを出しているからである。おそらくもはや意味がないルールなのだが地方の一存ではこれが変えられない。もし何かあった時に責任が取れるのか?と言われて「私が責任を取ります」などという人はいないからだ。

同じようにアクリル板にも予防効果はないかもしれない。あるいはオミクロン株に対しての効果は限定的かもしれない。だが「それをやめましょう」という人は誰もいないだろう。「何かあった時に責任が取れるか?」と言われても誰も責任は取りたくない。

さらにマスク着用もしばらくはそのままだろう。怖いのはウイルスではなく世間の目だ。

新型コロナをめぐっては様々な格差が生まれている。

  • 今まで通り新型コロナウイルスで影響を受けるであろう人がいる。この人たちは政府に対して厳重な新型コロナウイルス対策を求めるだろう。だからこの人たちはルールを変えると嫌がる。
  • 実は軽症で済むのだがこれまでの思い込みを持っているために「新型コロナウイルスは怖い」と感じている人。彼らは自分たちの思い込みを否定されるとおそらく怒り出すだろう。
  • 今までとは違って軽症で済む人。この人は政府に対して経済活動の再開を望んでいる。彼らは徐々に政府や自治体のいうことを聞かなくなるだろう。
  • ワクチン接種を早々と終えて「自分は安心だ」と思う人。

民主主義は共通の基盤がある場合にはうまく機能する。だが、いったん格差が生まれてしまうとうまく機能しなくなる。それぞれが自分たちの都合に従って利得を最大にしようと考えるようになるからである。この場合「ただの風邪である」と考える人と「怖い病気である」と考える人はどちらも正しいことを言っている。だから「議論をして誰が正しいか」を決めようとしてもうまく議論はまとまらない。加えて常識の壁があり思い込みを否定するようなことも言いにくい。

報道機関には真面目な人がいて変わらない常識と変わりゆく現状の間で悩んでいる人がいるようだ。だが小池さんは違う。それに順応してしまうのである。小池百合子東京都知事の談話を見てみよう。

  • 新規感染者が1万人を超えた。大変なことだ。
  • なんとしてでも抑え込む。
  • 都民は自分がいつ感染してもおかしくないと覚悟しておくこと。
  • 都民や事業者にいろいろなお願いをする。
  • コールセンターやフォローアップセンターは作った。
  • ここは頑張っていただきたい。

小池さんが実際にやっていることは「コールセンターを作って都民や事業者にお願いをすること」だけである。あとは「これは大変な事態なのでぜひ頑張って欲しい」とだけ言っている。つまりもはや他人事なのである。

小池さんがやらなかったことに意味がある。古い思い込みを持っている人に逆らうようなことは一切言っていない。これが次回も呼ばれるコメンテータとして重要な資質である。

おそらく、当事者になり「電話がつながらない」となった人は慌てるのだろうが性質上そういう人はごく僅かだろう。感染したことに気がつかない人も大勢いるはずだからだ。さらに高齢者のワクチン接種はある程度スムーズに進みそうだ。すでに第3回目の接種券が配られている。そうなるとかかりつけ医がいる高齢者層はさほど騒がなくなるだろう。そしてそうこうしているうちにオミクロン株の流行が終わる。有権者は総括しない。

同じような手段を取っているのが岸田総理だ。岸田総理がやっていることは基本的に「視聴者から指摘された通りに方針を変えてあとは地方に任せる」ということだけだ。つまり何もやっていない。だがこの何もやらないことが支持される原因になっている。オミクロン株の流行で4ポイント支持率が下がったそうだが菅政権ほどの下がり方ではなさそうだ。

これはある意味新しい民主主義である。有権者はテレビでドラマを見るようにして政治を見ており「こうなったらいいな」というような願望を持っている。そして願望通りに物事が進むと好ましいと感じて支持率が上がる。

これがコメンテーター型政治である。

万事うまく言っているように見えるコメンテーター民主主義だがもちろん弊害もある。これまでも政治的な発言を繰り返していた尾身茂会長が今回はトラブルに遭遇した。これまでは強い姿勢を貫く菅義偉総理の裏で「話のわかる専門家」で通っていた。ところが今回は政治家や経済界に忖度し「人流制限なんてものはやらなくていい」というようなことを発言したために知事会から批判された。知事たちは岸田総理に対応を丸投げされて混乱しているので最終的に尾身茂会長は知事たちに謝り「説明の機会が必要だ」と訴えた。だが、おそらく岸田総理が説明することはしばらくはないだろう。面倒だからだ。

さらに知事たちも「何か対策を講じている」ということをアピールしなければならない。そのためには、科学的に意味があるかどうかはよくわからないが飲食店の営業を制限することになる。思い込みを改めて「新しい対策をとろう」などと言ってはいけない。心配性の市民たちに反対されてしまうからである。

飲食店も「基礎疾患のある高齢者の命なんかどうでもいいから営業させろ」とは言えない。気が弱い人たちほど黙って議席を引き受けることになるだろう。結局、損をするのは声が小さな飲食店の人たちということになる。これまで政治的に声を上げてこなかった飲食店は知事たちのアリバイ作りに利用されている。

民主主義とはかくあるべきだという意見を全て放り出して今起こっていることを冷静に判断すると次のようなことがわかる。

  • 責任を取らず「視聴者が聞きたい発言」だけに徹して責任を取らない人がリーダーとして支持されてしまう。
  • 実際に行動する人や意識を変えようと試みた人は抵抗に遭い苦労する。
  • 我慢している人ほど損を押し付けられることになる。実質的な意味はない。単なるアリバイ作りに利用されている。
  • 無意味な対策が横行し人々が政治に従わなくなると、結局健康弱者が被害を受ける。

つまり、物事を動かすと損を引き受ける人が出てくる場合「何もしないでやっているフリをする人が一番トクをする」ということになってしまう。民主主義は利益配分には向いているが不利益配分はできないということがわかる。

日本人は予てから「強いリーダーシップを持った力強い政治家が必要だ」と言ってきた。これは今でも全く変わっていないのだろう。だが実際には最も無責任な人たちを自ら進んで支持している。政治が他人事だという認識があるので、コメンテーター型で自分たちの思い込みに逆らわない政治家の方を好ましいと感じてしまうのである。

その陰で最も被害を受けるのは真面目に対策を実行している人たちと弱い立場に置かれた人たちだということになる。

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