韓国で3月に大統領選挙が行われる。これに引き続き4月にはフランス大統領選挙がある。韓国と同じようにフランスも状況が読めない。かなり混乱しているといえるのだがどうも韓国とは様子が違う。フランスはある意味「混乱なれ」している。ある意味これが民主主義の本来の姿と言えるかもしれない。
大統領選挙の結果は3つに分かれるようだ。田中理第一生命経済研究所主席エコノミストは次のように分析する。
- マクロン大統領再選:もともと左派の流れをくむマクロン大統領は2017年の議会選挙で過半数を獲得したのだが政策はうまく機能せず離反者が相次いだ。左派が嫌う改革をいくつも実行したからである。最初のシナリオはマクロン大統領がかろうじて逃げ切ることができるものの議会の過半数を得られず政権が弱体化するというものである。
- 共和党の政権奪還:シラク大統領の与党だった国民運動連合はサルコジ大統領のもとで低迷した。サルコジ大統領は大統領退任後に捜査を妨害しようとして有罪判決を受け、さらに汚職などの罪でも実刑判決を受けている。フランスでは前代未聞だったそうだ。このため、ライバルの社会党のオランド大統領に破れて下野した。今回「共和党」に名前を変えてペクレスという女性候補が出てきている。彼女が勝てば伝統的な保守政権が復活することになる。マクロン大統領とペクレス候補の政策にはそれほど違いがないそうである。
- 極右大統領誕生:オランド大統領の改革が失敗したフランスでは右傾化が進んでいる。マクロン大統領が社会党を割って「右でも左でもない」という共和国前進を立ち上げたのもこの右傾化の流れを受けている。これが極端なところまで来ると極右の政権ができる可能性がある。ルペン氏は若者の支持を得るためにマイルド路線に転じた。これに不満を持った一部の人たちがゼムール氏に乗り換えた。なんらかの理由でこの二つの勢力が一本化できればマクロン大統領の再選を脅かすかもしれないと考えられている。
つまり総論としてはマクロン大統領が優位なのだが、極右が一本化し共和党の支持が伸びればマクロン大統領が勝てない可能性が出てきているのである。ここで極右が伸びないと従来型の右派政党が誕生することも考えられるというわけだ。フランスは決定的な候補が出ないと選挙をやり直す二回投票制度がある。このため情勢が極めて読みにくい。
マクロン大統領の右とも左とも言えない立ち位置の原因は左派のオランド大統領にある。ハフィントンポストの記事が「オランド大統領の前代未聞の投げ出し」と書いている。この記事を読むとオランド大統領が党内のあらゆる勢力に色々な約束をしていたことがわかる。
左派政権が様々な約束をして身動きが取れなくなるというのはよくある話である。アメリカ民主党のバイデン政権や日本の民主党の鳩山・菅・野田政権などが真っ先に思い浮かぶ。こうした政権は手厚い福祉や大きな政府による産業の牽引と財政再建が両立できない。
最近では「日本の自由主義政策は終わりだ」と宣言した岸田政権もこれに当てはまる。具体策がなくどこにゆきたいのかがよくわからない。だがおそらく岸田政権が「自分たちはこれをやりたい」と言った瞬間に自民党政権は瓦解するだろう。明らかに意見が異なる人たちをまとめるために「曖昧戦略」を取っているからである。
マクロン大統領は別の戦略をとった。社会党を捨てて自身の政党である共和国前進を立ち上げた。だがオランド大統領が再選を目指さないと決めた直後のマクロン候補はまだ主流の候補ではなかった。BBCによればこの時ライバルとみなされていたのは共和党のフィヨン候補と国民戦線のルペン候補だったそうだ。
マクロン大統領の経済政策は「右でも左でもない」とされている。つまり社会党政権の失敗を受けて「自分は社会党の政策を引き継がない」と宣言したわけだ。ただその源流のオランド大統領もサルコジ大統領の失敗を受けて誕生している。つまり、政権が全ての人を満足させられないとカウンター勢力が躍進する。だが今度は別の人たちが満足できないことになりまたカウンター勢力が躍進する。こうしてシーソーのように揺れているのがフランスのあり方である。誰も完全に満足する人がいないという体制なのである。
シラクが失敗するとオランドがで出てくる。だがオランドも成果を上げられず、それを否定するような否定しないようなマクロンがでてくる。だがマクロンが気に入らないという人がいて右派に適当な候補がいないかと探している。
フランスは右に行ったり左に行ったりを繰り返している。その結果として二大政党制は崩れ去ってしまった。2017年の国民議会選挙の結果を見ると小選挙区制度なのに二大政党になることはなく諸派が乱立していることがわかる。フランス人はまとまれないこと・まとまらないことに慣れている。
オランド大統領は政権の末期に「左派はまとまらない」と内幕を暴露した。この内情を知っていたマクロン大統領は強力な改革を実施して労働者を中心に反発された。これがイエローベスト運動である。燃料税引き上げがきっかけだった。一時政権支持率は急落したのだがイエローベスト運動があまりにも過激だったために国民から支持されずマクロン大統領の支持率は回復した。
次に離反を招いたのが年金改革だった。これも従来の社会党の支持者たちを怒らせたに違いない。ここでまた支持率が下がるのだが、コロナの流行が始まり「年金どころ」ではなくなり支持率が回復した。
その後、上下動は繰り返しているがだいたい40%程度で推移している。フランスの政治はこうして常に動揺してまとまりがない。まとまりがないなかなぜかフランスという塊が分裂することはなく右に揺れたり左に揺れたりしながら政権交代を繰り返すにとどまっている。
ある意味「自由」がどんなものなのかがよくわかる。マクロン大統領は誰にも発表することなく国旗の色を変えたそうなのだが国民はしばらくそれに気がつかなかったという逸話もある。最近では凱旋門の旗をEU旗に変えて右派から反発されている。権力を握ったんだから好きにさせてもらうというある種の潔ささえ感じられる。