Quoraで政治について書いていると「民主主義がふさわしくない国もある」ということを執拗に書いてくる人がいる。中国びいきのひとだ。アメリカ合衆国は上から目線で中国を「劣った国である」と非難してきた。日本でもインテリを中心にして民主主義の方が優れた制度であるという主張が根強い。これに対してぬぐいきれない劣等感を感じていて躍起になっているのであろう。
確かに民主主義には問題が多い。実はこの問題こそが民主主義の最大のメリットなのだがそれに気がついていない人が多いのではないかと思う。これは日本だけでなく本家のアメリカにも見られる現象だ。
確かに効率という意味では専制主義の方が優れている。実際に中華人民共和国のコロナ対策はうまくいってきた。強権的に市民生活を抑えつけることが可能だったからである。だがこれは強権が伴う。強権とは末端に考えさせないということである。専制主義は常に100点を取りたがる。中央の方針は常に正しい。つまりいつも100点なのである。これを実現するためには末端組織もつねに100点を取り続けなければならない。これが末端組織に強いプレッシャーを生む。
これがうまくゆかなくなるとどうなるか。西安市のスタッフたちは市民を取り囲んで殴る蹴るの暴行を加えた。自分たちの受け持ち地域から感染者が出ればきっと処分されるという恐怖心がよくわかる映像である。さらに天津市でも感染が拡大し「今度は自分たちが西安のようになるのでは?」と怯えている人たちがいる。
習近平国家主席が常に100点を取れる政治家であればこの体制は未来永劫持続するのだろう。だが、習近平国家主席が人間である限りそんな体制は作りようがない。おそらく周囲は習近平国家主席が100点のリーダーであるという演出を続けるはずだ。おきまりの転落ルートだ。
そもそも天津市民には「習近平国家主席のために自分たちは犠牲になるであろう」という恐怖心がある。よその地域で少数者が蹂躙されている分には他人事だが、それはやがてマジョリティにも降りかかる。
トルコは中国の一足先を行っている。エルドアン大統領は「利子率が低ければインフレが収まる」というエルドアン経済学を掲げて国の経済を混乱させている。困窮するのはや走り民生活だ。イスタンブールでは市が提供する安いパンに行列ができ、薬も不足している。エルドアン大統領の取り巻きたちは都合の悪い情報を大統領にあげなくなったという。国は全てうまく行ってていてエルドアン大統領の政治は100点であるというわけである。
イスタンブール市民たちは今までAKPに投票し続けてきたがこれは間違いだったかもしれないと思い始めているそうである。だがこれが政府への抗議運動につながれば「外国から扇動された」ということになりかねない。自分たちは常に国民から信頼されていて、抵抗勢力はすべて外国人にそそのかされているという言い分はもはや宗教である。外国勢力という悪魔が常に我々を混乱に陥れているというわけである。
中国がこの先どうなるかはわからない。これまでは共産党の中でリーダー選定が行われており世襲も制限されていた。毛沢東の死後にその妻らが専制政治を行っていたという反省に基づいたものと思われる。だが、習近平はこの文化大革命の記憶を乗り越えようとしている。おそらく習近平独裁が成立したほうが日本には都合がいい。誰も習近平国家主席に逆らえなくなればおそらく中国はそのほかの独裁国家と同じ運命をたどることになるだろう。
100点満点であることを理由に永続的権力者になった人は最後までそれを続けなければならないのである。
民主主義で100点を取り続けることは難しい。常に異なる意見がぶつかり合っており先に進むのが難しい。常にコロナ対策で100点を取り続け経済も躍進する中国を傍目に見ながら「隣の芝生は青い」と羨む人が多かった。だが、実際には日本は成功ではなく失敗から様々なことを学んだ。
政府の保証が十分ではなく自分たちで暮らしを成り立たせてゆく必要がありそうだということ、うまく行っているから全て政府に任せておけば大丈夫だという安倍総理の言葉が嘘であったことなどなど挙げればきりがない。新型コロナ対策も自分たちで国内外から情報を集めて自己防衛に励んできた。
民主主義とは一人ひとりが失敗から学び考え続けることであり、何も選挙制度や議会制度だけを指すわけではない。政府の能力は限定的であり全てを政府に依存することなどできない。
ただ、誰でも等しく民主主義の恩恵を受けられるわけでもなさそうだ。
格差が広がり民主主義が破綻しつつあるのではないかと言われるアメリカでは働き方や生き方を考え直す人が増えている。Great Resignation(大退職)と呼ばれる。
- リモートワークが既成事実化している。在宅勤務に補助金を出す会社が賞賛され、オフィス勤務に戻そうとした企業が非難されるという動きが出ている。
- Great Resignation(大退職)という動きが出ている。30歳から45歳は家庭でも職場でも多くの責任を抱える立場だが、彼らが生活の優先順位を見直し始めた。こうした動きはヘルスケアやテック産業で顕著である。おそらく人材の淘汰も進むのだろうが同時に職場の淘汰が始まっている。
この記事からわかるように、アメリカで大退職の恩恵を受ける企業は一部にとどまっている。
ハイテク産業はおそらく恩恵を受けることができる人が多いのだろう。企業は選別される立場にあり雇用者の方が優位だからだ。だが、それがすべての産業で成り立つわけでもない。比較的低所得の人たちは単に仕事環境が厳しくなる。こうした比較的低所得の人たちや中所得でも旧来型の産業に属している人は共和党やトランプ前大統領などの掲げる独裁志向の方に惹きつけられる傾向がある。
民主主義は変化に強く生き残る可能性が高い優れた制度であるということがいえるのだが、残念ながらこのことがよくわかっていない人が多い。このため専制主義の効率的な社会運営が過剰に警戒されたりする。
アメリカ合衆国では苦境に立たされたバイデン大統領が「民主主義のほうが優れた制度であるべきだから」という理由で専制主義を攻撃している。手っ取り早くトランプ大統領支持者たちを惹きつけるためにはトランプ流を真似したほうがいいと考えているのだろう。だがこれは必ずしも効果を上げていない。むしろ名指しされたすべての人々から反発されている。バイデン大統領にはオバマ大統領のような理想を語る才能はなかった。さらにトランプ大統領のような生まれながらの扇動者でもなかった。
おそらくバイデン 大統領は「なぜ民主主義の方が優れた制度なのか」ということが説明できないために「恐怖」による説得しかできなくなっているのだろう。
民主主義の良さはむしろ失敗の中にあるのだが、おそらく万人がそれを理解できるというわけでもないのだ。民主主義社会に生きる我々一人ひとりはには二つの選択肢がある。一つは独裁的な国家が困窮してゆく様を眺めながら自らも独裁を志向するようになるという道である。もう一つは民主主義の「変化に強い」という強みを享受できるようになる道だ。