立憲民主党のステルスマーケティング騒ぎ

Choose Life Projectというプロジェクトが一時期立憲民主党から1,000万円のサポートを受けていたという話が出てきた。出演者は説明を受けていなかったと騒いでいる。共同通信の記事が本当ならこれはステルスマーケティングである。Buzz Feedの記事がヤフーニュースに載っているのだが「Dappiを非難していた立憲民主党へのブーメランだ」などという指摘が見られた。

一応、約束通り当事者からは説明があったが大した説明にはなっていなかった。制作費は1500万円だったそうだ。立憲民主党が忘れられてゆくのは仕方がないと思う。こうやってネットの市民運動が単なるおままごととして忘れられてゆくのだろうと思うと残念でならない。

福山幹事長(当時)は番組制作には関与していないと言っている。この理屈だと資金提供が本当だったとしてもDappiも自発的な発言であれば問題がないということになりかねない。




Buzz Feedの記事を読んでゆく。Choose Life Projectは当初クラウドファンディングでやっていたようだが途中から広告代理店を経由して立憲民主党からの支援を受けていたようだ。だがそのことを出演者たちに伝えなかった。

だが、待てよと思う。津田大介さんや小島慶子さんは出演料をもらっていたのだろうか。もしもらっていたとしたら「どこからのお金だったのか」ということを全く気にしていなかったのかという疑問が湧く。これについては彼らの有料チャンネルあたりで説明が聞けるのかもしれないが、そこまでしてフォローするつもりにもなれない。

お金をもらうというのは意外と大変だ。

このブログも以前「投げ銭」機能を導入していたことがある。誰も投げ銭などしないだろうと思っていたのだが一ヶ月くらいの間に複数回500円くらいを投資してくれる人がいた。ありがたいとは思ったものの負担感もあった。500円を投げてくる人が何を期待しているのかわからないからだ。変に期待をかけられてあとで方針を変えた時「そんなつもりではなかった」と言われる可能性もあるのではないかと感じた。

ただ同時に500円を大金と思わない人もいるのだろうなと感じた。人の気持ちを金額で計測することはできない。金額の価値も期待も人それぞれである。

クラウドファンディングとはもともとそういう性格のものだ。投げ銭をした人は一定の期待はするかもしれないがかといって未来永劫続く契約を交わしたわけではない。投げる金額の価値も人によって異なる。

だがそれも過度なつながりがあると感じるならそもそも投げ銭型のマネタイズではない別のマネタイズ方法を探すべきである。

立憲民主党(具体的には福山哲郎さん)は1,500万円投げただけなのかもしれないとも思った。だが、だったら福山さんが私費を投じればよかった。立憲民主党の金は党員・サポーター・政党助成金(国民の税金)だ。預かっているだけなのだから、それぞれの関係者に有益な使い方だったのかを説明する必要がある。

党の金を曖昧に扱う人に政権など任せられない。ハフィントンポストは福山さんのコメントを全文載せているが、当然ヤフコメには厳しい声しか寄せられていない。ただ彼らの目的もリベラル叩きであり、一般の関心は高くない。一般市民が完全に立憲民主党に興味を持たなくなり単に叩きたい人のサンドバッグに成り下がっているのが枝野・福山体制の成果なのだろう。

だが福山さんに期待しても仕方がない。そもそもそういうことをきちんと考える執行部ならもう少し支持率は高かっただろう。この辺りは新しい執行部に期待するしかない。

今回、津田大介さんの名前が出ていて「ああやっぱりな」と思った。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が記憶に新しい。ご本人はおそらく意義を感じてやっておられるのだろうが結局は国や地方自治体の補助によって支えられている。いいことをしているのだから社会に支持されて当然だと考えているためにその社会から反抗されると対抗の手段がない。

このように考えてゆくと、関係者たちのお金の使い方が極めてずさんであるということがわかる。それもそのはずだ。自分たちで稼ぐ手段を見つけてコツコツ積み上げてゆくというようなことを誰一人やっていないのである。

これが一般庶民との間に意識の乖離を生むのだろう。

純粋な報道活動は成り立ちにくい。誰も問題解決には興味を持たないからだ。代わりに日本人は他罰感情だったり他人の噂話などを求めている。問題解決の代わりに「この問題は誰それのせいだ」などと決めたがる。だからこうしたメディアを成り立たせるためにはワイドショー的な演出が必要だ。

本来、人権問題に関わる人たちはこうした事情を織り込んだ上で平均的な人口に対する浸透戦略を考えるべきだ。だが、そこまでの真剣味はないのだろう。人権問題の改善は広報手段に過ぎず彼らにとっては目的ではないのだ。

最後に新執行部に期待することを書いておきたい。

例えば様々な署名活動の裏に共産党が潜んでいることが多い。運動自体が悪いものではなくても共産党の支援を受けているんですよねというと下を向く活動員も多いのだ。彼ら自身に「自分たちは支持されていない」という後ろ暗い気持ちがある。だから資金源を隠しさらにそれが不信を生むというサイクルが生まれている。寒空の駅前でご高齢の闘士たちが世間の無関心と戦っているところを見ると胸が痛むが、話を聞いても要領を得ない回答しか帰ってこない。大抵認識が戦後すぐの状態で止まっている。彼らは情報のアップデートはされておらず古い情報を繰り返し教えられ活動を支えるためだけに街頭に立っている。

おそらく立憲民主党はこの話をきれいにまとめようとしない方がいい。むしろなぜ表に出られなかったのかを真剣に捉えるべきだ。自分の意見を表立って言えないとはすでに情報発信する時点で「負けている」のだと思う。ここでこの問題をそのままにすればこの先ずっと支援者たちに日陰を歩かせることになる。

それでは熱心な支持者たちがかわいそうである。

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