SNSで関わってはいけない自己肯定感が低い人

今回はSNSで関わってはいけない人の見分け方を書く。二種類の関わってはいけない人がいる。最初の類型は「やってもらって当然だ」と考える人である。だが二種類目が難しい。彼らは一見慎み深く面倒見も良かったりする。だがあるきっかけで怒りを募らせて関心を持ってくれている人に攻撃性を向ける。

先日は北新地のクリニックの放火事件について調べた。拡大自殺の可能性が高そうだ。仕事ができるという評判は高かったがすぐカッとなる傾向にあるのだという。生活に行き詰まり死にたいと考えるようになったが自分一人では死にきれず家族を巻き添えにしようとした。のちにクリニックにかかるのだがおそらくそこでもこの傾向は収まらなかったようだ。最終的にはクリニックの院長と患者を巻き添えにした。院長はおそらく彼を助けようとしたのだろうが、その善意は彼には届かなかった。






北新地の件を調べていて「日本型成果主義」が蔓延しており生産性の低い人間は生きていても仕方がないと考える人が増えたのだろうと思った。散々社会に尽くして真面目にやっているのに報われない。そこで「カッと来て」職場や家族との関係が壊れてしまう。これを繰り返すうちに攻撃性を溜め込み最終的に大勢の命を巻き込んだ。

いわば善意を擦り切れさせてしまった人である。

この人は極端なケースという気がするのだがよく考えてみると普段SNSでこの手の人に接することは少なくない。いろいろ考えているうちに「どういう人に関わってはいけないのか」に興味が出てきた。

面白いことに検索すると関わってはいけない人についての研究はネットで豊富に出てくる。孤立する個人がどう社会と向き合うかという心理学の基礎はドイツやオーストリアで形成された。また、ディビッド・リースマンの「孤独な群衆」は1950年代にアメリカで書かれている。欧米でずっと前に問題になったことが今日本で起きている。

東洋経済が「自己肯定感が低い人」についての対応方法を書いている。書いたのはドイツのシュテファニー・シュタールという心理療法士だ。

世の中には自己肯定感が低くその防御反応としての外形的な自己肯定感の高さを演出する人がいる。これを自己愛性性格という。ナルシシストとして知られている。

  • ナルシシストは自分の弱いところを許容できないために並外れた努力をする。成功に執着するためいっけんとても成功した人に見えることがある。
  • ナルシシストは相手を過小評価する
  • ナルシシストは他人の弱みに注目し自分の許せないところに注意が向かないようにする

つまりナルシシストは惜しみなく奪う人である。彼らが何かを与えることがあったとしてもそれは奪うための撒き餌に過ぎない。

記事はナルシシストが自己肯定感が低い人と結びつく共依存の関係に注目する。依存傾向がある自己肯定感の低い人は高い理想を持つナルシシストの期待に応えようとする。つまり奪う人には与える人がくっつくのである。無視されるよりも期待をかけられた方がいいと感じてしまうからである。自己肯定感が低い人は無視されるくらいなら虐待される方を選ぶ。つまり人間にとって無視されることほど自分の無力感を痛感させられることはないからだ。だが、ナルシシストもまた自分の自信のなさを隠蔽するために相手が完璧でなければならないと考えているのだから自己肯定感が低い人が認められることは決してない。

決して報われないのだから奪う傾向があるナルシシストには近づいてはいけない。ただこれは「見分けるのが簡単な」方の人たちである。実はそれよりも厄介なのが「与える人」なのである。

精神科医が教える「関わらないほうがいい人」の特徴とは?という別の文章を見つけた。これはおそらく日本の精神科医が書いた記事である。アメリカの研究者が人を三つに分類したと書いている。

  • ギバー(与える人) 25%
  • テイカー(得る人) 19%
  • マッチャー(バランスをとる人) 56%

バランスを取る人が半数ということだが、中にはテイカーという「もらってばかり」の人がいる。彼らは何かをしてもらうことが当然だと考えている。

ただこの記事だけではよくわからない。

TEDにはアダム・グラントの講演会があるので聞いてみた。テイカーは最初は成功するがそのうちに行き詰まる。つまりテイカーが成功するのは短期的な成功にだけ注目する社会だといえる。つまりテイカーは簡単に見破られてしまうので長期的な成功を収めることが難しい。

他人に善意を吸い取られ疲弊する人はギバーに多い。だが実は他人に施すことで成功を収めることが多いのもギバーなのだそうだ。つまりギバーは両極端なのだ。テイカーが一人混じるとギバーは協力を出し惜しみするようになり社会は非協力的になる。テイカーは社会全体に与える悪影響が非常に大きくギバーは疲弊しやすい。

日々政治のニュースを見ていると日本はテイカーが成功しやすい社会になっている。つまり相手の善意を吸い取り短期的な成功を積み重ね失敗からは逃げ切るという人が成功しやすい社会になっていると考えられる。これが日本型成果主義社会だ。だからギバーは日本では疲弊しやすい。なんらかの自己防衛が必要である。

中には一人で疲弊する人もいるのだろうが怒りを溜め込んでしまい却って助けてやろうとしている人に攻撃の矛先を向けることがあるというのが「拡大自殺」から見えてくる教訓だ。

アダム・グラント曰く、協力型の社会を作るにはギバーが許容される文化づくりが重要なのだがギバーばかりを集めるのではなくテイカーを排除すると良いのだという。マッチャーは周りに合わせて行動を変えるので「テイカーがいない組織」は相互に与え合う社会になるからだそうだ。

だが、現実はなかなかそうはゆかない。自己肯定感が低く相手からしてもらっても当然だと考える攻撃性が高めなテイカーから絡まれたらSNSでは逃げたほうが得策なのだろうと思う。彼らは最初から認知が歪んでおりいくら合理的に説得しても彼らの認識を変えることはできない。

さらに、助けを求めて近づいてくるギバーも実は危険なのかもしれない。では助けを求めてくる「ギバー」は全部危険なのだろうか。これを確かめるためにはまず与えてみればいいと思う。

普通の精神状態にあるギバーはおそらく善意を素直に受け取るだろう。自己肯定感が高ければ「時には誰かから受け取ることもある」と認めることができるからだ。

だが中には「自分は誰かに何かをやってもらうに値しない人間だ」と頑なに主張したりいくら与えても全く満足しない人がいる。この手のギバーの中にはやたらに与えたがる人もいるが、相手の歓心を買おうとしているだけなのでどこか行動がちぐはぐである。また与えても与えても「見返りがもらえていない」と感じてしまうので満足することがない。

おそらく認知に問題があり与えることに対しても受け取ることに対しても満足感が得にくくなっているのだろう。

こういう人は避けたほうが無難だと思う。時々面倒を起こして気を引こうとするようになるか激しい怒りを「話を聞いてくれる人」にぶつけてくるようになるからだ。

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