それはあっけない幕切れだったそうだ。
赤木さんらによると、大阪地裁で午後2時から非公開の進行協議が始まって3分後、国側の代理人が立ち上がり「認諾します」と宣言。原告側は「信義則に反する」と反発し、地裁側も「想定外」として、民事訴訟法の手続き確認などのため協議を一時中断した。
「悔しい」遺族涙 真相解明できず幕―森友訴訟
一番のポイントは、お友達の体裁を守るために1億円強という金がポンと使われてしまったというところにあるのだろう。おそらく政府はそれを自分たちのお金だと思っているのだろうが、実際には国民から預かって使い道を決めているだけである。
だが補正予算で盛大に国債が発行されていることもあり国民は「まあ1億円くらいどうとでもなるんだろうな」と感じているのかもしれない。
ポイントになる点はいくつかある。第一に裁判はすでに進行中だった。つまり裁判所も原告側も「国は責任を認めない」という線で全てを準備してきた。ところが国は一旦始めた裁判を非公開の整理の場で突然放棄してしまった。途中で何があったのかということは公式には語られない。
これについてQuoraに書いたところ、法律の専門家から「途中で降りられないようにするために高めの金額を設定していたのかもしれない」との指摘を受けた。つまり裁判戦術としては「裁判の経過がわかったら途中で降りる」のはありだということだ。一旦裁判をやって見て途中までやってみて「ダメそうだったら降りる」ということである。
こんなことをすればお金を持っている人たちに有利になってしまう。何か打開策があれば徹底抗戦するがダメだったらお金で解決しようとするのは極めて卑怯なやり方だからである。だからこそ原告側は「卑怯だ」と言っているのだろう。だが、国は「自分たちの金」をいくらでも持っている。
そもそも無理のある裁判でこれ以上進めても国に不利な証言が出てくるだけだということは最初からわかっていたのだろう。これ以上争っても国が傷つくだけでメリットはなさそうだ。だったらお金で解決しようということになったわけだ。
「自分たちの金」とはいうものの実際には国民から預かっているだけの話である。お友達をかばうために無駄に使われては困る。
タイミングについて疑われていることはいくつかある。
- 年が切り替わるタイミングなので、新年になればどうせ忘れてしまうだろうと考えられた。
- 予算案が衆議院を通過したので国会には影響がないことがわかった。
- 衆議院選挙が終わって夏の参議院選挙まで間があった。つまり選挙の争点にならない絶好のタイミングだった。
- 当事者の一人であった麻生財務大臣がやめてしまった。つまり「影の実力者」である麻生財務大臣に無理やり謝罪させる必要もなくなった。
政府が真相究明を恐れたのではないかという人がいるが、おそらく「タイミング」を図って幕引きをしただけが現実的なのではないかと思う。
この事件はもともと安倍総理大臣の不規則な「妻が関わっていたら私もやめる」から始まった。この不規則発言を隠蔽するために組織的な力が働き書類の改竄が急遽決まる。そうして赤木俊夫さんは徐々に追い詰められていった。
この裁判は国民の貴重な1億円あまりを無駄に使ったしただけでなくもっと大切なものを国から奪い去った。それは「国のために尽くそう」という一人ひとりの職員の気持ちである。これをお金で買い戻すことはできない。上司たちはそれぞれの自己保身のために赤木さんを追い詰め、さらにその墓標を踏みにじり、最後に遺族の真相究明を訴える気持ちを踏みにじった。
実際にキャリア官僚に限って言えば国家公務員志望者は減っているそうだ。現在の若者は冷静に自分たちの将来を見極めようとしている。
これだけのコストをかけてまで国は一体何を守ろうとしたのか。それは気位の高い安倍元総理のプライドや絶対に謝りたくない麻生前財務大臣の気位だ。彼らは国の主人であってそれ以外の人間は全て使用人である。主人のために必死になって何かを取り繕おうとした佐川さんの裁判は継続するそうだ。これが国に一生を捧げようとした人の末路である。公に身を捧げるつもりが単にわたくしに踏みにじられた。
安倍政権というのは自信のなさに裏打ちされた嘘と欺瞞の内閣だった。安倍総理が戦後最長の経済成長を自慢する一方でGDPの計測方法は改定されていた。
つい最近「実は建設関係の統計にも二重計上があった」とわかったばかりである。そんな安倍政権で決まったルールに「黒だと証明できなければ全てシロである」というものがある。国土交通省の官僚は今回の統計偽装問題で「原票は捨ててしまったのでどれくらいの影響があるのか」はもうわからないという。
おそらく安倍政権繁栄の裏にあったのは有権者の気位やプライドだろう。国が成長できないという姿を認めたくないばかりに数々の隠蔽や改竄を見逃してきた人が多かった。
おそらく国土交通省と政権は「統計で隠したかったものがある」というよりは経済を動かすことができないという自分たちの無力さを見たくなかったのではないかと思う。統計の誤差がどれくらいのインパクトになるのかはわからないが、おそらく真に話し合うべきはこの無力さだろう。
その一方でこうした醜い姿を直視させようとする立憲民主党は支持を失ってゆく。もう見たくないから見ないという人が多かったのだ。
だが、過去を嘆いてももう仕方がない。動かない現実を忘れようとして憲法改正議論がスタートした。松井大阪市長は大阪市役所から「2022年の参議院選挙は憲法改正国民投票と同時に行うべきである」と主張しているそうだ。安倍元総理はそれに賛同し「国民が準備ができていないというならそれで結構、毎日でも議論すればいい」と意気軒昂である。
自らの国の姿を省みることを放棄した人たちが、明日の日本について語りたがるという悪夢のような光景が目の前に展開し始めている。