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「中国共産党のガラスの心」を風刺した歌が中華圏で爆発的にヒットしている

AFPで面白いニュースを見つけた。あるポップソングが批判に弱いガラスの心を持った中国共産党を風刺しているものと捉えられているそうだ。我々が知らない中華圏について色々なことがわかる記事だと感じた。

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曲の名前は黃明志と陳芳語 が歌っている【Fragile 玻璃心】である。フラジャイルは脆い・壊れやすいという意味だろう。執筆現在で3千3百万回再生されているからかなりのヒットだと言える。リリース時には中国共産党を批判しているとは気が付かれず中国でも見ることができたそうだが今では禁止されているそうだ。中国共産党はコメント欄の指摘で批判に気がついたらしい。

記事を読んでいるからこれが中国の体制批判らしいということはわかるのだがおそらく曲を知らない外国人がこれだけを見ても何のことだかわからないと思う。共産党が当初気が付かなかったのも当然だ。

象徴的・記号的なほのめかしが出てくるだけで共産党に対する直接的な批判はない。つまりこれは体制転覆を意図したものではない。

それだけに中国人の中にも共産党にうんざりしている人たちが多いことがわかる。外国にいる華僑たちは中国批判を浴び続けている。二世・三世は民主主義的な教育を受け政府に対する批判報道も当然のことだと知っている。だが同時に中国の国内で教育を受けた「純真な」同胞たちとも接している。まだ紅に染まりきっていない純真なピンク色の心を持った人たちに対して複雑な気持ちを持っていたとしても不思議ではない。

アメリカ合衆国やヨーロッパの批判との差異は明らかである。アメリカの中国批判は「人道」など概念的なものが多い。つまり考え方が受け入れられないと言っている。批判は直接的でわかりやすい。アメリカはローコンテクスト(低文脈依存)なので「考え方」で他者を批判するということがわかる。だが中国人はこれを考え方の批判だとは考えない。中国に悪い意味づけをしようとしていると考えるのだ。だから中国人と欧米人は理解し合えない。

中国人の批判は極めてハイコンテクストで外からはわかりにくい。この曲の中にもパンダや蝙蝠など象徴的なものがでてくる。全てに何らかの意味合いが込められている。ピンクという色にさえ中国共産党のシンパ(小粉紅)であるというメッセージが込められているし「リンゴをのみ込み、パイナップルは切り落とす」というのも過去の香港のメディア弾圧の故事を意味している。こうした過去の出来事を記号として埋め込んでしまうのが中国式なのだろう。そのうちリンゴとパイナップルで新しい四文字熟語が生まれるかもしれない。

これを読んで遠藤誉さんの記事を思い出した。習近平国家主席が先導した歴史的決議について書いている。遠藤さんは鄧小平国家主席と習近平の父親の間の確執があったのだろうと指摘をしている。遠藤さんの言い方を借りれば父親を破滅に追い込んだ鄧小平に対する習近平の復讐の形ということになる。

この記事を読んだ時は「なんか大袈裟だな」と感じた。いくら父親の恨みがあったからと言ってわざわざそこまでするか?と感じたのである。だが中国のようなハイコンテクストな社会では「すべてのものに象徴的な意味合いを持たせる」というのは割とよくあることなのかもしれないと思い直した。

日本もかなりハイコンテクストな社会だが政治報道はハイコンテクストとローコンテクストが入り混じっている。人間関係(政局報道)は極めてハイコンテクストだが政策報道は文脈に依存しない。日本のジャーナリズムは政策においては西洋的な価値観を受け入れているからだろう。

ガチガチにコンテクストを決めてしまうとそれ以外のものを一切受け入れることができなくなってしまう。さらに皮肉なことに一旦くまのプーさんを規制してしまうと却って「くまのプーさん=習近平国家主席である」という関係を規定することになる。くまのプーさんを放任することが習近平国家主席を否定するメッセージになってしまうのだ。中国独特の政治言論事情だと言える。

Quoraには英語版でも日本語版でも多くの中国人が「自主パトロール」を実施している。彼らは中国共産党の見解と異なる意見を監視していて彼らの満足がゆく歴史観に置き換えようとする。これもコンテクスト付け合戦だ。この「歴史戦」に参戦する日本人もいる。どちらかというと政治リテラシーが低い彼らもまた政治をハイコンテクストなものだと捉えている。

例えば、中華人民共和国と共産党政府は清が支配している領域を後継していると主張している。その領域にチベットや新疆(ウイグル自治区)は清の領域であったのだから中華人民共和国の正当な支配地域でありその領域に含まれる人たちは全て中華民族であると主張するわけだ。日本人も文脈依存文化なのでこうしたことが起こるわけだが異なる文脈の人たちがそれぞれの「文脈」を主張しているだけなので永遠に決着しない。

中国人は絶対に自分たちの歴史観が間違っているとは認めない。その頑なさの理由がわからなかったのだがおそらくはコンテクストが全てを決めてしまうために「間違ったコンテクストが定着してしまう」ことに強い恐怖心を持っているのだろう。

中国人華僑の中にも欧米文化に馴染んだ人たちは多くいる。「彼らはガラスのように脆い心を持っているから批判に耐えられないんだ」「かわいそうに」と同情しているということがわかる。それがこの曲の再生回数に現れているのだろう。

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