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アメリカ軍の空爆隠蔽疑惑

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米軍、シリア民間人空爆は「正当」 隠蔽報道に反論という記事を読んだ。AFPの小さな記事である。「法的に正当な戦争というものが有り得るか」というかなり難しい問題を突きつけている。アメリカ人は法廷で正当性が立証できるかあるいは不当性が証明されなればそれでいいと考えているようだがこれはアメリカ合衆国の中でしか成り立たない論理だ。

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まずAFPの記事を要約する。

2019年にシリアで行われた空爆で民間人が約70名殺された。軍と政府はこれを隠蔽していた。NYTの調査によって問題の全容が明らかになったが、取材に対して依然中央軍は「爆撃は正当だった」と主張している。問題になっているのはバグズという町の空爆だ。軍隊の法務担当者は「戦争犯罪の恐れがある」と指摘していたが軍隊はこれを隠蔽するように動いた。

人権団体やNYTの調査によって問題が明らかになった後も軍は「作戦は正当なものであった」と主張した。作戦を実行する前に入念な準備を行っていたからだというのがその理由だ。また、民間人であると確認されたのは4人だけでその他の人たちは自分の意思で参加したのかそうでなかったのかわからないと説明した。

いつもであればヘッドラインしか見ないので「ふうんそんなものか」としか思わないのだが、今回は一応NYTの元記事を読んで見た。ただ、この記事はどんな問題意識で読むかによって受け取りかたが変わってくると思う。

まず、問題に入る前にこの空爆の位置付けについておさらいする。トランプ政権下のアメリカ軍はイスラム国掃討作戦をやっていた。バグズはNYTの言葉を借りればバグズは「アラモ砦」だったそうである。つまりここを潰せばイスラム国が壊滅できるという拠点だった。そしておそらくイスラム国の戦闘員や幹部たちは攻撃を避けるために民間人を盾に使っていた。民間人を無差別攻撃すれば「人道的に非難される」上に「国際法上も戦争犯罪になる」ことを知っていたのかもしれないし単に経験上蓄積した知識なのかもしれない。

実際にこの後トランプ政権は自分たちがIS掃討作戦を完了したことを政権の成果として大々的に宣伝に利用した。戦争にうんざりしていたアメリカ市民は早くこうした厄介ごとから解放されることを望んでいたのだろう。政権にとって唯一正しい選択肢は勝利で作戦が終了することである。ハリウッド映画ではハッピーエンディングしか許容されない。

それを踏まえてNYTの記事を読む。そもそも米軍は作戦実行時に、後々これが戦争犯罪と捉えられかねないことを知っていた。このための法律顧問のような人たちに相談などもしてたようだ。つまり、アメリカ人は戦争も弁護士と相談しながらやっているということになる。いかにも訴訟社会のアメリカらしいやり方である。

入念な準備にも関わらず蓋を開けてみると主に殺されたのは民間人だった。ドローン攻撃であるため現地の詳しい状況がよくわからかったのだろう。そして直後に法務に相談したところ「これは戦争犯罪に当たる可能性があるからすぐに政権トップに相談したほうがいい」ということになった。

レポートには当時の軍部がトランプ政権をどの程度信頼していたのか(あるいはいなかったのか)ということは書かれていない。その後の議会襲撃事件あたりのやり取りを見るとおそらくそれほどの信頼関係は醸成されていなかったのだろう。そこで彼らはこの件をトップに報告しなかった。

だが、ドローン攻撃を行ったといっても現地が密室であるということにはならない。空爆地は証拠隠滅のためにブルドーザーで破壊されたそうだ。旧IS支配地域には人権保護団体などが入り「どうやら民間人が多数殺されたようだ」という噂にはなっていた。リモート攻撃では技術的に民間人とテロリストを区別しながらテロリストだけを排除することはできない。

トランプ政権はこの空爆の成功を政権の宣伝のために最大限に利用した。おそらく政権にとって成果を急ぐあまり民間人が多数殺されたというのは不都合な真実である。同じようなことはアフガニスタンでも起こったが、バイデン政権は大いに叩かれたが少なくとも「隠蔽はしていなかった」ことになる。

だが、結果的に人権を保護する自由の守護者アメリカという国際的なイメージは大いに失墜した。今回の件も知っている人は知っていたが、知らない人にとっては「新たな失墜」ということになるのだろう。

のちに独立調査官による調査もされたのだがまともな調査は行われなかった。民間人が殺されたことは広く知られていたのだから、今回わかったのは「政府が自分たちは戦争犯罪に当たることをやっていたという自覚があったのに長い間この件を隠蔽していた」という点だけである。

こんな調子ではアメリカは中国を非難できない。人道上の犯罪が疑われる場合に西側先進国は「独立した調査団を送り込み徹底的な調査を」と要求する。国際世論とよばれるものを西側が支配しているという自信の表れだ。だがそれがいつまでも続くかはわからない。欧米とロシア・中国・トルコなどが対立していることを考えると、統一された世論はなくなり従って「国際法」の権威は揺らぐだろう。国際法の権威が揺らげば大国と大国の間ではいくつもの新しい争いが起こることになる。

いくつもの疑問が湧く。第一の問題は文民統制の是非である。アメリカでは何重ものセーフティネットがあり軍隊が情報を隠蔽することはできない。つまり文民統制はそれなりに機能している。だが政権にやる気がなければ文民統制はうまく機能しないということがわかる。

次の問題は「国際法に則った」とされる戦争根拠の脆弱さである。今回の問題は国家対テロリストという構図なので国際法廷でアメリカや有志連合軍が裁かれることはないだろう。つまり米軍は法律に基づいて合法的な戦争をやっているといえる。だが欧米に非欧米諸国を含めた新しい国際世論がそれをどう判断するかはわからない。

米軍は「あとあと裁判で不利にならないように」戦争をやっているだけだ。いわばそれは法廷での正義に過ぎない。アフガニスタンではこれがアメリカ国内世論で「ほぼ有罪」ということになったので賠償金で解決するという選択肢が提示された。これもアメリカ流の問題解決策であり現地の納得が得られるとは思えない。

集団的自衛権の問題が検討されていた2017年に感じていたことがある。どうやら日本人は国際社会というきちんとした枠組みがあり何が正しいかということが保証されていると考えているようなのだ。

実際の国際法も国際世論も極めてふわっとしている。特にアメリカとヨーロッパの正義が唯一の正解でもなくなっている現代においてはあるいは中国やロシアの正義が正解だと認定されることもあるだろうし決着がつかないということも増えてきそうだ。

つまり「確実な正義」を求めていくら法的根拠を国内的に整備しても実際には大した意味は持たない。状況が刻一刻と変化しているからである。

2017年あたりの集団的自衛権の話ではこうしたふわっとした国際法の下にさらに「日本流の集団的自衛・限定的集団的自衛・個別自衛」という枠組みを作ってしまった。砂の上に立派なビルを作っても崩れる時は一瞬だろう。

アメリカは「裁判にさえ勝てばそれは正義なのだ」という独自の感覚を持っているようだ。この法廷第一主義が国際的にどう理解されるのかどうかはよくわからない。法廷第一主義では「裁判に不利だから」というだけの理由で事実を歪めることは「戦略的に正しいことだ」ということになる。

いずれにせよ日本はこの曖昧でふわっとした状況に対応してゆく必要がある。政治的に議論が膠着しているので日本が直ちに日米同盟を脱却して独自の軍隊を作ったりすることなどできないからだ。

仮に改憲勢力が改憲に成功したとしても「盤石な米軍がリードする国際世論」への依存を深めるだけだろう。一方、憲法第9条護憲派が主張するような国連中心の平和も実現していない。

我々は少なくともしらばくは、このあやふやな現実を受け止めて何とかやってゆくしかない。

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