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組織の将来より自分という安倍派の誕生

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清和政策研究会が正式に安倍派になった。周りからの強い希望により会長就任を要請されたらしい。安倍政権は教育を弄び未来への投資に冷たいところがあると思っていた。安倍派が誕生した経緯を見てこれは安倍晋三さんという個人の資質によるところが大きかったんだなと感じた。

ただ周囲の状況がこれまでとは全く違っている。積極的に支持する人がそれほど多くないのだ。

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Quoraで安倍はの誕生について否定的なやり方で質問して見た。かつてなら熱狂的に安倍総理を擁護する意見がついていたと思うのだが冷笑的なコメントが目立つ。おそらく安倍政権は「野党支持者が困る顔が見たい」という消去的不支持層に支持されていたのではないかと思う。

清和会の原点は岸政権を支えた福田赳夫にある。岸政権の重鎮だったが勉強会をやり日本経済を高度経済成長に導いた池田勇人に政権を奪われた。成長はあらかじめ予想されていたのだがその成長の成果を市場に戻すことで経済成長を加速させようというのが池田勇人らの手法だった。これに「所得倍増」というキャッチコピーをつけて宣伝したのが池田勇人だ。

この積極的成長促進策はやがて田中角栄に受け継がれるが経済が加熱しインフレが懸念されるようになった。この時、大蔵大臣として経済を抑制したのが福田赳夫である。

派閥には色々な側面があるのだが「政策と将来の総理大臣候補」の育成という側面がある。自民党が成功した理由の一つは将来に備えて複数のバックアップを「飼っておく」余裕があったからだと言える。

福田派は党内では一貫して「反吉田の非主流派」だったのだが森喜朗が総理大臣になった頃から主流化する。いよいよ主流になったのは小泉純一郎の時である。その後、安倍晋三・福田康夫と総理大臣を2人輩出し民主党政権時代を挟んで長期政権を作り出した。

だがその間に派閥の機能は大きく変わってしまったようだ。

福田康夫以来の「反吉田茂・親米・自立」という防衛政策は引き継いだものの経済政策は管理成長から自由主義に変わった。基調は成長についてゆけない人たちは置いて行くという新自由主義でありながら縁故主義が加わりさらに救いのないお友達優遇型・放任経済に変わってしまったのである。

だが「なんとなく未来に投資しない政権だなあ」という印象はあったがその姿勢が表に出ることはなかった。

安倍元総理の姿勢を見ると、将来投資よりも自分の欲望を優先させるという極めて快楽主義の強い姿勢が貫かれている。「岸田政権を支える」といいつつ関与を深め李登輝元総統の墓参りがしたいとも言っている。おそらく党内実力者として「中米対立」という歴史の表舞台に関与したいのだろう。議会対策やコロナ対策のような面倒は政権に押し付け自らは歴史に名を残したいという姿勢が鮮明だ。

さらに「綺羅星のようにたくさんの総裁候補がいる」といい期待を持たせつつも具体的な名前は出さなかった。派閥外の高市早苗総裁候補を応援したことから派閥内で後継を育てるつもりなどないことは明白だがそれでも「俺が綺羅星かもしれないぞ」と忠誠を尽くす人は多いのかもしれない。

さて、これについてQuoraで聞いたところ複数の回答がついた。「安倍派という新しい組織ができたのであって古くからの実力者が居座っているのというのは事実誤認である」との主張があった。これまでも実質的に安倍前総理がオーナーのように振舞っていたのだがおそらくそれがよくわかっていないのだろうと思う。

このような積極的支持層(応援団)はまだ少数ながら存在する。もともとは民主党の積極不支持層だった人たちの一部が心理的なコミットを強めたのではないかと思う。だが、おそらくこの人たちはマイノリティだったのだろう。野党と野党支持者の困る顔が拝みたいと思っていた人はすっかり消えてしまった。こうした人たちはそれほど熱心に岸田総理の政策を応援しているわけでもなさそうだ。

安倍総理の成功要因の一つは「民主党」という叩きやすいおもちゃを非積極不支持層に提供していたことなのかもしれないと思った。岸田総理は「相手の意見を聞く人」で敵を作らない。こういう人は非積極不支持層には退屈なのだろう。

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