アリゾナクリスチャン大学の調査によるとアメリカのZ世代の若者の39%が自分のことをLGBTQであると自認しているそうだ。Z世代とは18歳から24歳の若者だそうで、だいたい大学生くらいの世代だ。調査担当者は彼らにとってLGBTQは「無難でクール」なのだと説明する。クールはわかるのだが無難という表現がよくわからない。
この話題を読んでいかにも最近のトレンドだと感じた。これについてQuoraに投稿したところ性的志向ではなく知的な人に惹かれるとか様々な人が含まれているのではないかというレスポンスがあった。当事者ほど「LGBTというのは特殊である」という気持ちになる人が多いようだ。中にはLGBTであるということがその人のアイデンティティになるのも珍しくはない。
だがハフィントンポストを読むと2015年にイギリスでも同様な調査があったようである。必ずしも最近のトレンドとは言えないことがわかる。むしろ、成長過程で揺れるのはある程度これまでもあったことなのだろうがキリスト教的な価値観があまりにも支配的だったために言い出せないという人が多かったのかもしれない。
2015年8月13~14日に行われたある調査によると、英国の若者の半分は「自分は100%のストレートではない」と回答したという。彼らは、「自分のセクシュアリティを”完全ゲイ”と”完全ストレート”の間のどこに存在すると思いますか」と質問されたとき、18〜24歳の若者のうち49%が「自分は完全なストレートではない」と回答した。母数は1,632人だ。
【最新調査】英国の若者の半分が「自分にもゲイ要素ある」
つまり、同性愛傾向があるといっても実はそれほど珍しいことではないのかもしれない。
更に言えば人生のある時期に同性愛傾向があったからといって生涯ずっとそうであるかどうかもわからないことになる。特に手術で体の性を変えたいと考える人たちはそれ以外の選択肢も検討してみたほうがいいのかもしれない。それくらいよくわかっていないことが多い問題なのだ。
同性愛には神話が多い。そのためそれを特別だと感じてしまう人もいれば、深刻な秘密だと感じる人もいる。中には自分の同性愛志向を他人にバラされた(アウティング)で自殺してしまう人もいるくらいである。「世界の中には自分のような人はほとんどいない」と思い込んでいるから「異常で恥ずかしいことだ」感じてしまうのだろう。
日本のテレビにも頻繁に同性愛者の芸能人が出てくるようになった。それほど珍しいことではないがまだ特殊な人扱いだ。一方、アメリカでは「LGBTQと答えておくと無難なんだな」という人が現れている。異性から付け狙われることを脅威と感じる「モテすぎる」人にとって切実な問題なのかもしれない。
LGBTQはクールであるという風潮になると異性しか愛せないということがなんだか普通でつまらないことであるという逆転現象も起こるかもしれない。同性愛傾向が「ありきたりでない特別な自分」という称号にもなり得る。
例えば「LGBTQ」は美意識が高くファッションデザイナーにはゲイの人が多いというイメージがある。こうした業界で働くためには自分もその傾向がなければいけないのではないかと感じる人もいるだろう。
政治の世界では腫れ物に触るように同性婚の議論をやっている。だがアメリカの若い世代ではではそれがありふれていて無難であるというところまで来ている。さらにそれが特別でかっこいいことだと思う人たちも出てくるだろう。逆に性で自分を規定されたくないという人もいて性の欄にXと記載されたパスポートも発給されている。最初にこのパスポートを受けた人は「インターセックス」という身体の特徴を持った人だったという。自己の選択ではなく最初からそういう特徴を持っていたということになる。
日本でも男性同士の恋愛について扱ったドラマが増えている。かつては「背徳の恋に堕ちる」として不倫ドラマと同じような扱いだった同性愛も、よしながふみの「きのう何食べた?」では社会問題風に扱われるだけで特に反倫理性は感じられなくなった。さらに「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」では単に恋愛小説になっている。「消えた初恋」ではついに男性と女性が入り混じった恋愛が描かれるという具合である。
将来にわたって「男性・女性」という区別が確かではないとなると社会制度を全て一から作り直さなければならない。両性の合意に基づいて作られるという家族や世帯という仕組みは崩壊する。そうなると男性中心の終身雇用も意味がなくなる。
最近では「男性でも女性でもない」という人まで現れているのだが、そういう人たちが当たり前になると男女機会均等法もパリテ(政党が候補者を男女均等に割り当てること)なども意味を失ってしまう。
我々の想像を超える「多様化の波」が押し寄せているのだということがわかる。