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小室眞子さんとプリンセスの亡命劇

小室圭さんと小室眞子さんの記者会見が行われた。記者会見といっても小室夫妻の主張を流すだけで記者たちの質問には書面で答えたようである。ここで不思議な現象があった。ヤフコメが荒れるであろうことは事前に予想できていた。だが「眞子内親王」が「民間人の金銭トラブルに介入したことがいけないことである」という前提が出来上がっていたのである。

おそらく皇室を守るためにも小室眞子さんに習って「正しいアサーティブさ」を身につける必要があることがわかる。

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まず、こうした非難をする人が憲法を読んでいないことは明らかである。確かに憲法には天皇の国事行為介入を禁止する条項があるが皇室メンバーが自分の意見を持つべきではないと禁じる規定はない。

一方で今回の会見を受けて小室夫妻の態度に好感を持つ文章も多く書かれた。こちらはこれまで可視化されてこなかった国民の声だ。つまり、国民の中には様々な意見があることがわかる。

人権侵害とも言われるような苛烈なバッシングは「皇室はお人形であるべきだ」という前提のもとに横行している。一足飛びに訴訟を起こすべきだという人もいるが、まずは、皇族の人権制限は憲法の範囲内に限定されるという点は広報しておくべきである。

まず「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、日本国民の至高の総意に基く。」という規定がある。国民の合意がなければ退位しなければならないという規定ではない。つまり国民の承認が必要という意味ではない。だが「総意」という言葉の持つ意味は重く将来天皇になる可能性がある人の政治的発言は全て党派性を持って受け止められる可能性があるのだから表現の自由は天皇と男子皇族には限定的にしか認められないことになる。

次に「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」という規定がある。また「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。」ともされている。

あとは何が国事行為に当たるのかということが具体的に規定されている。

つまり天皇は一切の独裁はできない。全て内閣の承認が必要だからだ。それどころか助言が必要なのだから自らの思いつきを政策化することもできない。つまり天皇になった時点で更に政治的には厳しい制限が課される。これもことの良し悪しは置いておいて現行の規定である。

最後に財産についての制限が設けられている。これも一般人と比較すると人権の制限になる。

ただ、天皇、将来の天皇候補、皇室の人権制約についての規定はここまでである。もちろん一般市民としての権利も保障されていない(皇族の人権について書かれた項目はない)がそれ以上の人権の制約についての規定はない。

にも関わらずなぜネットでは眞子さんの発言が問題視されたのか。それはおそらく「皇室メンバーはただ手を振るだけのお人形であってほしい」と期待する人が増えているからだろう。少なくともヤフコメでは「お手振り人形であるべき人が自分の意見を持っている」ことに関する反感が渦巻いていた。そしてこの国民感情に乗って商売をする自由はかなりおおっぴらに認められている。

もともと皇室は崇敬の対象だった。だが「自分たちに役に立つものは持ち上げ役に立たないものは落とす」という自己責任型社会の価値観が蔓延するにつれて、崇敬から「権威の利用」に堕落して言ったのだろう。「当然得られるべきもの」が得られないという相対的剥奪の感情がヤフコメには渦巻いている。

ネットには今でも「小室夫妻がそれを盗んだ」といういわれのない怒りが今でも渦巻いているのだが、実は大衆は最初から「それ」を持っていなかった。ないものをよこせと言っているのだ。

だが皇室や宮内庁が自分たちの権利を主張しないでいると次の皇族たちが同じような状態に甘んじることになる。眞子内親王殿下が4年間置かれていたのは「逃げるか戦うか」という二者択一だった。さらに重要なことに同様の期待に押しつぶされそうな女性も多い。つまり「周囲の期待によって自由意志を奪われた人」というのは日本ではそれほど特殊な状態でもない。

小室眞子さんの会見内容を見ると、相手への非難を避けつつ、自分たちの意見を臆せず・ブレずに・堂々とゆっくりした口調で語っていたことがわかる。いわゆる「アサーティブさ」とされる特質だ。おそらく欧米で教育を受けた人なら誰でも自然に身につく態度だろう。ICU(国際基督教大学)の教育やおそらく帰国子女も多い学友の影響があるのだろうなという気がする。今回は宮内庁が明らかにこの「アサーティブさ」という価値観について行けていなかった。

そもそも日本は欧米のスタンダードから見るとかなり遅れた社会だ。その日本で最も不自由な家庭に育った眞子内親王が西洋の自由な教育を受けて「海外に拠点を作るように」と将来の夫に依頼していたという話が本当であったとしても全く驚きはない。毎日新聞では北原みのりさんが「眞子さん結婚会見は「プリンセスの亡命宣言」」と命名していた。日本に詳しいイギリス人のコリン・ジョイスさんも「亡命のように国を出るようだが」と表現している。

結局のところ眞子内親王殿下は小室眞子さんになって環境を変えるという選択をしたことになる。それしかないというところまで追い詰められていたのだろうが、結果的に秋篠宮夫妻から娘を距離的に遠ざけることになってしまった。

同じような理由で日本を逃げ出したいと考えていてもかなわない女性は多いのだろうなと思う。憲法の規定ではなく周囲の期待で「良い妻」とか「良い母」を期待されている人は多いだろう。

日本では周囲の期待に沿わない人は全て逃げるように社会を追われるという社会になっていることは小室さん夫妻を見れば明らかだからである。だが多くの女性にはその自由はない。であれば戦うかということになるのだが小室眞子さんは最後に逃げるでも戦うでもない選択肢を日本に残した。

前を見てゆっくりした口調で堂々と権利を主張すればよかったのだ。

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