よく「日本を貶めるマスコミ」という表現を聞く。ネトウヨのたわごとだろうとは思うのだがふと思い立ってなぜそういう表現が生まれたのかについて考えてみた。まず、例によってQuoraで「いつから日本を貶めるマスコミ」と言う表現が生まれたのかを聞いた。
いくつかの異なるパターンの回答があった。一つ目の回答は「インターネットが生まれ誰でも政治言論ができるようになったからだろう」と言う筋のものである。このあとすぐに「朝日新聞の慰安婦報道」を挙げてこれが日本を貶めていると指摘してきた人がいた。最後にこれまでの言論をまとめたうえで「だがこれでは全てが日本を貶めると言う印象になる理由がわからない」と総括していた。
おそらく「言論分析」で使えるのはこの最後の回答一本だけだろうと思う。歴史関係でいつも読ませる分析を書いている人だ。つまり、分析的な記事を書ける人というのは10人に一人くらい(今回の質問には15の回答がついた)しかいないのである。Quoraはライターを評価する仕組みがあるのでまだ埋もれないのだが、こうした仕組みが一切整備されていないヤフコメが荒れるのもやむを得ない。
ただ、全体的に役に立たないながらも大体のタッチはわかった。おそらく「日本を貶めるマスコミ」は朝日新聞などを指していて主に対韓関係の「自虐報道」について言っている。これを印象論として全体に広げたのが「日本を貶めるマスコミ」なのだろう。具体的にはYouTubeが人を集めたり政治家がマスコミの批判など無意味だと主張するために漠然と使われる。つまりマスコミは全体として日本を貶めているだけなのだからそんな奴らの言うことは聞かなくていいといっている。これはトランプ大統領時代にCNNやワシントンタイムズなどによく使われたやり方である。そして最近ではマスコミが日本を貶めていると本気で心配する人も出てきた。
この源流はどこにあるのか。それはおそらく高度経済成長期が終わったバブルの時代にあるのではないかと思う。ただ最初の題材は韓国だけだった。
日本が成長しなくなるのと同時期に韓国が成長を始めた。原因は韓国の民主化(1988年)とバブルの崩壊(1991〜1992)であり実際には少しずれている。この因果関係のない二つを比べて「日本の成長を韓国が盗んでいる」と感じた人がいたのだろう。
これは相対的剥奪感(Relative Deprivation)として広く知られている現象である。privareが剥ぎ取ると言う意味のラテン語でde privationは完全に奪い去られるという意味だそうだ。マジョリティが持っていたものが完全に誰かに盗まれてしまうということなのだがrelativeという言葉からわかるように「比較の結果」そう感じられていると言うような意味合いがある。
相対的剥奪感に囚われた人たちは「どうしたら成功できるか?」とは考えない代わりに盗まれたことは明らかと思い込む。そして誰が盗んだのかを探し始める。アメリカでは中国・メキシコ・日本などが名指しされ政権批判を繰り返すマスコミがターゲットになった。「メジャーなメディアは信頼できないから」といって次第にalternative factを流すalternative mediaが生まれた。
日本の場合はまず台頭してきた韓国が念頭にあったのだろう。そして「おそらく朝日新聞の中には韓国系の人がいて」日本が成長するのを妨害しているのだろうと考えられた。まだインターネットはこの層の人たちには浸透していなかったので初期のalternative mediaはサラリーマン向けの雑誌だった。
だから、しばらくの間これがメインストリームの政治評論としてとして語られることはなかった。その意味ではネットの登場でalternative mediaが目立つようになったという指摘は当たっている。
この言論が表舞台に出てきたのは民主党政権が誕生した頃からである。だが一夜にして変わったわけではなかった。その時々の「犯人探し」が累積し一つの堆積物を作ってゆく。
- 民主党政権は「日本はここがダメだった」というダメ出し型の政権だった。この批判に耐えられない人たちがいたのだろう。
- さらに自民党はこの間に憲法草案をまとめている。天賦人権が日本人を甘やかし自民党を政権から追いやったと言う被害者意識に彩られた憲法草案だった。つまり天賦人権やリベラルな思想が自分たちから政権を盗んだのだからそれを抑制すればいいという発想が生まれた。
- さらに政権を維持できなかった安倍晋三が雑誌を売りたい人たちと結びついて盛んに民主党を攻撃した。
- 民主党が政権から脱落すると安倍晋三は再び総理大臣になり「悪夢の民主党政権」と民主党を揶揄し始めた。
最後の「悪夢の民主党政権」について調べると面白いことがわかった。実は安倍元総理がこの言葉を使ったのはつい最近のことである。最初はalternative media系の出版社が「政権交代の悪夢」と使っていた。最初は本のタイトルだったようだ。この頃に韓国に代わるライバルとして登場したのが中国だった。
尖閣諸島中国漁船衝突事件で公務執行妨害で逮捕された中国人漁船乗組員が当時の菅直人総理・仙谷由人官房長官のもとで処分保留のままで釈放され中国に帰還した。この頃すでに中国は成長が著しくこのままでは日本は中国に飲み込まれるという焦燥感を持った人たちがいたのだろう。
実は民主党というのは中国や韓国の影響を受けていて日本を弱体化しようとしているのだという言説が生まれる。sengoku38と名乗る人物が海上保安庁と中国漁船がぶつかる映像をYouTubeで流し騒ぎが「炎上状態」になった。最初は組織化されない個人の焦燥感だったのである。
安倍元総理大臣自身が「悪夢の民主党政権」という言葉を最初に使ったのは2019年2月の自民党大会でのことだそうだ。前回の亥年選挙で自民党が大敗したことを引き合いに出し「あの頃から悪夢が始まったから今回は頑張ろう」という趣旨の発言をした。これが大いに受けた。
「悪夢」は自分が選挙に負けたことだったのだがこの頃までにalternative media系の出版社が「悪夢の民主党政権」という表現を多く使っていた。ここで選挙に負けたのが悪夢ではなくその結果生まれた政権が悪夢だったと因果関係を変えてしまったのだ。これで論理的な通りが良くなり盛んに流通するようになった。
人々は自分たちの考えに合わせて論理の方を変えてしまうのだ。
自分に至らない点があったから政権から脱落したのではなく民主党が悪いというのは相対的剥奪感そのものである。ただこれが大いに受けたことに気を良くしたのだろう。この発言を国会などでも連発するようになりすっかり表現として定着した。
日本を貶めるという発言は相対的剥奪感という被害者意識を持った人たちが韓国や中国との比較の中で発する発言である。おそらくインターネットで政治を見ている人たちの中には全ての政策を日・中・韓の比較で見ている人たちがいる。このため例えば、安倍晋三に推された高市早苗と競合する河野太郎は中国と結託して「日本を貶めている」というような分析が生まれた。宏池会系の岸田政権はこれはまずいと思っているはずだ。最近では安倍系の政策を抑えめになっている。だが安倍系も負けてはいない。萩生田経産大臣は「所得倍増など単なる例えでしかない」と嘯(うそぶ)き岸田総理を閣内から牽制する。
岸田政権は安倍系からも牽制され麻生系からも牽制されている。矢野康治財務事務次官が岸田政権の分配政策は単なるバラマキであるという文章を掲載した。麻生財務大臣(当時)に了解は取ってあったそうだ。鈴木財務大臣(麻生全財務大臣の義弟)は上司の了解を取っているから問題はないと静観の構えである。
内部からの政権批判をしてもこの日・中・韓軸に触れない限り「日本を貶める」と言われることはない。さらに日本を貶める人たちを世の中から無くしたとしても日本が再び輝くことはない。なぜならば日本が成長しなくなった原因は「日本を貶める人たち」にはないからである。