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池田勇人の所得倍増計画と岸田政権

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第100代の内閣総理大臣に岸田文雄総理大臣が就任した。10月21日に衆議院議員として任期切れになるので、その前に解散する。つまり第100代内閣総理大臣としての任期は一ヶ月弱ということになる。

この岸田内閣が掲げるのが新時代共創内閣と令和版所得倍増計画である。またナンバーツーの席次には野田聖子少子化相が座ることになったことから自民党としてはリベラルな再配分型の内閣が誕生したことがわかる。

実は新自由主義純化の河野政権と再配分型の岸田政権の選択選挙が国民不在のままで終わったことになる。不採算セクターを切り捨てて成長できるところだけで成長しようとする新自由主義型の戦略は取られなかった。

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初日から岸田カラーが鮮明に出てきた。それが宏池会路線の復活である。宏池会は吉田茂一派のうちで池田勇人が立ち上げた派閥であるとされている。池田勇人といえば「所得倍増計画」が有名だ。

では実際の所得倍増計画はどう形作られたのか?ということが気になるのだが改めて聞かれるとよくわからない。Wikipediaの記述を元に再確認してゆこうと思う。

最初は自民党内の閣外勢力の勉強会の構想に過ぎなかった。岸政権で閣外にいた池田勇人がブレーンの下村治らに作らせた「日本の潜在成長力の試算」がもとになっている。構想が練られ始めたのは1957年であり岸政権の始まりと一致する。岸政権に対抗する政策を作り政権を狙おうとしていたのだろう。

派閥が次の総理を狙うためにはまず研究からというわけで派閥としては正しいやり方である。

実は「思っているよりも潜在成長力は高い」ということがわかると、ことをどう表現しようかということになった。まず「月給が二倍になる」というキャッチーな説明が採用されたがサラリーマンだけが対象になる。「所得二倍」に変えられた。

このキャッチーなフレーズは岸総理の目にも留まり「池田勇人をそのまま閣外においておいてはいけないのではないか」ということになったようだ。こうして池田勇人は岸政権で通産大臣になる。福田赳夫は池田勇人の提唱ではなく「岸総理の着想である」と印象付けようとしたと書かれている。福田赳夫は岸の側近でありこの頃からライバル関係にあったことがわかる。最終的に岸信介は池田勇人を後継に指名した。選ばれなかった福田は清和会の元になる派閥を作り森喜朗以降総理大臣を量産する名門派閥へと成長した。

  • 池田勇人はまず所得を増やして消費を拡大させようとした。つまり民間活力を利用した急拡大路線だった。この急拡大路線には急激な物価上昇であるインフレの懸念があった。
  • 福田赳夫はまずこれを生産力増強に振り向けて企業主導の成長を目指そうとした。国が企業を主導してある程度成長をコントロールすることができる。「経済10カ年計画」という社会主義国で多く取られていた計画経済が提唱された。
  • 岸総理は安全保障に力を入れていて経済政策にはあまり興味がなかった。

岸総理は日米安保と改憲にかかりきりになっており経済政策にはあまり興味がなかった。つまりこの頃までの政治は戦後復興と日本の国際社会への復帰が主な懸案だったことになる。だが、すでに朝鮮戦争を経験していた国民は「再びアメリカ主導の戦争に巻き込まれるのではないか」と警戒する。結果的に岸は政権を維持できなくなり次の総理大臣は池田勇人になった。岸は経済政策にはあまり興味がなかったために池田は所得倍増計画を岸や福田に盗まれずにすんだ。そして安保闘争は国を経済重視へと向かわせた。ある種の政策選択が行われたのだ。

池田の追い風は二つあった。まずは安保が中心だった政治を「経済主導」に向けることができた。このために池田政権下で経済成長が始まった。だから所得倍増計画が実際に所得を上昇させたのだと理解されるようになった。

さらに東京オリンピックがあった。世界銀行からの融資を日本のインフラ構築に当てた。こうして日本は高度経済成長の波に乗り1966年に借り入れを卒業することができた。こうして産業構造も転換され重化学工業への労働者の移転も起こった。

池田勇人の時代に戦後復興の流れが一段落し日本は重化学工業国に生まれ変わる基盤整備の時代に入った。さらに次の佐藤内閣時代には借り入れを卒業し自前で国家整備ができるようになった。さらに強い産業を育てるための貿易自由化も行われた。一旦好景気が実感されると家庭にはテレビや洗濯機などの「三種の神器」が取り入れられた。疑心暗鬼だった人たちまでもが高度経済成長神話を信じるようになりあとは加速度的に成長が実現した。

池田内閣の終わりは東京オリンピックと重なる。咽頭がんが見つかりオリンピック閉会式翌日に退陣したそうだ。池田は後継として岸信介の弟の佐藤栄作を総理大臣に指名した。佐藤内閣は随分長い内閣だった。「次は福田赳夫」と言われていたようだがそこに割って入ったのが田中角栄だった。こうして国家管理のインフラ整備は徐々に地方へのバラマキに変質してゆく。これが行き着いたのが竹下登内閣のふるさと創生事業である。国民の政権選択がないままで日本は次々と政策転換が実現したことがわかる。国際的な地位の回復から民間活力を使った経済重視、経済重視からバラマキといった具合だ。

おそらく岸田総理はこの流れを意識し「経済に強い宏池会」というイメージを定着させようとしているのだろう。結果的に新自由主義ではなく再配分政策が選択された。

だが、所得倍増計画は「すでに成長の目・芽」が見つかっており、それをどう管理するかという政策に過ぎなかった。岸田内閣は「安倍政権で成長が実現した」という前提をおいている。もしこれが嘘であれば早晩岸田政権は行き詰まるだろう。そもそも不良セクターを切り捨てて先に進みたい人たちは岸田の政策に異議を唱え続けるものと思われる。

安倍・菅内閣が統計を偽装して虚偽の説明をしていたのかあるいは誰かがアベノミクスの果実を溜め込んでいるのかが問われるのが岸田政権なのだが実際のエコノミストはどう思っているのか。

加谷珪一さんが「岸田新首相が提唱する「令和版所得倍増計画」の落とし穴」という文章をまとめている。加谷さんが言っているのは次のようなことであるが要するに「果実はない」といっている。

  • アメリカ型の格差拡大(一部の富裕層が儲けを独占している)場合はこの一部を持って来れば成長の原資を調達することができる。だが日本はそうではない。全体がシュリンクしていて貧困層が生まれているだけだ。
  • そもそも池田勇人の所得倍増計画は成長の管理手法であり成長の芽についての記述はない。
  • 実際の政策は「農業近代化、中小企業近代化、後進地域の開発促進、公共事業の地域別分配の再検討」であり要は政府が再配分をやっているだけだ。
  • 成長の芽がないのに分配をやろうとすれば国債発行か増税の必要が出てくるだろう。
  • 増税という選択肢はなさそうなので国債発行だけが選択肢になるが党内の意見は必ずしもまとまっていない。
  • だから分配も小規模なものになるだろう。

実際に令和版所得倍増計画についての記事を読むと「どうせ日本は成長しないんだろうからばらまくなら増税するしかない」と警戒する記事が多く見つかった。また「令和版所得倍増」と鉤括弧で括られているものが多い。バブル崩壊以降成長から取り残された日本経済において「再成長を目指す」という言葉自体が真夏の幽霊のように思われていることがわかる。

これまでアベノミクスを礼賛していた経済学者やエコノミスト達が一斉に増税を警戒し始めたところからおそらく彼らは「成長などしていない」と考えていたんだろうなということがわかる。日経新聞までがこう書いている。

一方、岸田氏が令和版所得倍増をめざす現代は、すでにキャッチアップの過程が終わった。自分たちでイノベーションを起こし、新たな成長の芽を育てなければならない。人口減少も成長には向かい風だ。

岸田首相の「新しい資本主義」とは何か

つまり、安倍・菅政権はこうした欺瞞に支えられてきたのだなということが実感できる。

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