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不満を持ったマジョリティが保守を変質させる

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小室圭さんへのバッシングが止まない。眞子内親王の複雑性PTSDで騒動が収まるかに見えたのだがヤフーコメントでは引き続きバッシングが続いている。「おもちゃが取り上げられる」のが嬉しくないのだろう。

「逃げるのか」という論調が多い。眞子内親王が単なる私人になってしまえば叩くネタにできないのが面白くないようだ。かなり身勝手な話なのだが叩いている人たちは「保守の伝統」などと言う言葉を振りかざす。ヤフーコメントはAIを使って抑制に乗り出したが全く効果が出ていない。炎上の勢いが強すぎるのである。今回は背景に何があるのかを考えたい。

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これを外から眺めることができるネタをアメリカで見つけた。それが中絶をめぐる動きである。日本ではそれほど問題にならない人工妊娠中絶だがアメリカでは政策のホットスポットになっている。保守派の人たちは自分たちの正当性を取り戻すために女性から権利を奪おうとしているのだ。つまり保守という言葉が単なる盗みの正当化に利用されているというのがアメリカの政治状況なのである。

女性の権利が拡大する中人工妊娠中絶は容認される傾向にあった。元になったのは1973年の「ロー対ウェイド事件」だ。つまり女性が人工妊娠中絶は1970年代に女性が新しく獲得した権利だった。

人権重視とみられているアメリカでこれを抑制する動きが広がっている。確かにキリスト教の教義では人工妊娠中絶は殺人であり忌避されるべきだ。だが、女性から見れば「かつて獲得した権利」が剥奪されようとしているとも言える。かつて獲得した権利を奪われてはいけないとしてテキサス州の動きに反対するデモが全米に広がった。首都ワシントンでは1万人のデモが行われたそうだ。

保守派は「キリスト教の倫理観に反するからだ」と説明する。だがこれには違和感がある。この政策を推し進めてきたトランプ大統領はそれほど熱心に教会には通っていなかった。またCNNはテキサス州の例を挙げて「近親相姦でもレイプでも中絶ができなくなる」と書いている。つまり倫理的に配慮した動きとは言えないのである。

なぜこんなことになったのか。背景には共和党対民主党という対立があるものと思われる。トランプ政権になって保守系の最高裁判事たちが相次いで任命された。最高裁判事は終身制なのでいったん保守系の判事が任命されると空きが出るまでリベラルな判事は任命されない。現在は保守派の判事たちに「支配」されている。トランプ大統領は避妊や中絶をサポートする国際NGOへの資金を削減しバイデン大統領の時代になってこれが再開された。

共和党が強い州では人工妊娠中絶禁止の厳格化を唄ったハートビート法を成立させるところも増えてきた。

アラバマ、ジョージア、インディアナ、ミシシッピを含むいくつかの州が、胎児の初めての心音(妊娠6週目前後)を確認させて命を神格化させ、中絶を行った医師を罰するハートビート法案を通過させた。

全米で相次いで成立する人工中絶禁止法、産む権利と産まない権利をめぐる現在

例えばジョージア州は州議会や知事は共和党だが大統領選や上院選では負けている。つまり接戦地域になっているためにこうした過激な運動が起こりやすいのだろう。反対に最高裁が前例を覆すことになってもそれに影響されないという予防的措置を取る州も増えているそうだ。

ネバダやニューヨーク、バーモント、ロードアイランドなど13の州は、たとえロー判決が覆されても中絶の権利を保護できるよう州法を改定した。

全米で相次いで成立する人工中絶禁止法、産む権利と産まない権利をめぐる現在

おそらくアメリカ人に「どうしてこうなったのか」と聞いても単に当惑するのではないかと思う。つまり一旦始まった対立はそれ自体で燃え広がり続けるからだ。

ではなぜこうした分断が加速しているのか。アメリカのトランプ支持者について心理学的に分析した人がいる。アメリカではこうした分断がどうして加速したのかの研究が進んでいるのだ。このなかに相対的剥奪感(Relative Deprivation )という言葉が出てくる。自分がもらえるべきものがもらえなかったという被害者感情を持っている人たちのことだ。彼らは彼らは自分たちが得られるべきものを得られなかったという怒りを持っている。そしてその怒りを他者に向けるのだ。

特に白人男性層は「優遇されるべき自分たちが良い暮らしを送れないのはおそらく誰かが邪魔をしているからだ」と感じている。彼らはそれを証明するための証拠を集めるのだが自分たちに有利な証拠ばかりを採用し不利な証拠は見て見ぬ振りをする。

同じように女性の権利を認めないという動きは日本にもある。かつて男女雇用機会均等法が施行された。だが女性は単なる補助労働者としてしか認知されなかった。最近では新しい権利である「夫婦別姓問題」に保守派からの厳しい目が向けられる。

本音は競争相手になる女性は家庭で男性に尽くしてくれればいいのだという身勝手な願望なおだろうが表立って語られることはない。代わりに日本の伝統だという言い方がされる。家族の姓がバラバラになると家庭が崩壊するから男女別姓は認められないという曖昧な言い方で正当化されるのである。

おそらく保守派は日本の伝統そのものには大した興味がない。夫婦同姓は明治時代に作られた新しい伝統でしかない。また伝統的な家庭を保持するためにはおそらく家業や家計を保証しなければならない。そのためにはおそらく終身雇用体制を守り男性にある程度の賃金を渡す必要があるだろう。ところがいわゆる保守派はこうした問題には無関心だ。彼らの狙いは女性の要求を叶えないことにある。つまりこれもいじめなのである。

最初の小室問題に戻るとこのことがもっと露骨にわかる。皇室問題でターゲットになるのは上昇志向が強い人たちである。皇太子妃雅子さま(現皇后)がそうだったし、小室圭さんも母子家庭から抜け出してニューヨークで弁護士を目指すという極めて上昇志向が強い人だ。こういう人たちを認めてしまうと普通の庶民であることが惨めに思えてしまう。だから保守の伝統や品位という言葉を使って妨害しようとするのである。皇族には品位が必要だというのだが彼らのいじめには品位は感じられない。

日本もアメリカも過度な競争社会だ。相手が勝つということは自分が負けるということなので過激な足の引っ張り合いが起こる。不満を蓄積させたマジョリティが支配する社会において保守や伝統という言葉は単なるいじめの根拠へと変質してしまっている。

ただ上昇志向をが強い人やライバルをいじめても自分たちが豊かになれるわけではない。本来なら協力しあって社会全体をよくしてゆこうという動きが出ても良さそうなものだ。

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