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魅力的な輸出品としてのモードが作られたイタリアと作られなかった日本

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クラシコ・イタリアと局所的なサルトブームからイタリアン・ファッションについて考察している。現在のサルトブームはイタリアンモーダの流行を引き継いだものであるというような分析をした。今回はその続きとして「なぜ日本のアパレル産業が衰退したのか」について考えてみる。このテーマは以前書いたことがあり途中になっていたテーマだ。日本で繊維産業が衰退した理由はわかっている。これは中間工程が日本から出て行ってしまったせいである。ところが「ではどうすればよかったのか」ということはわからなかった。

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よく「成長のためにはイノベーションが必要だ」といわれる。これは日本人の中に根強い「職人気質」の現れである。モードはイノベーションとはあまり関係がない。つまり「イノベーションがないと経済が成長しない」というのは単なる思い込みであるということがわかる。日本の成長戦略が行き詰っているのは成長=イノベーションだと思い込んでいるからである。

前回はイタリアでモードができた経緯を調べた。まずテキスタイルの伝統があり、情報(海外の流行)をもとに服を作る技術を持ったサルトという職人がいた。フランスとの対抗上国策でモードが作られ地場産業の集積体が発展した。最後にそれがアメリカマーケット結びついてモードが最終的に形作られた。モードが作られるためには「憧れられるものと憧れるもの」という二者が必要でそれが情報で結びつけられる必要がある。

もちろん、現在のサルトたちも絶え間ない品質改良を行っているのでイノベーションも必要だ。だが必要なイノベーションは顧客との会話の中から生まれる。こちらが思い込みで相手に押し付けるものではない。

ボロ布を再生する工業集積地だったプラートは中国人依存に陥り衰退した。イタリアの伝統産地を変貌させる中国企業  プラートにおける地場の繊維産業の衰退と中国人アパレル企業の興隆に詳細な経緯が書かれている。日本は全体が「プラート化」していると言えるだろう。中間工程が第三国に流れているからだ。プラートの場合中間工程を流出させたのは外からやってきた中国人だが日本では日本人がわざわざ外に流したという違いはある。

だがイタリア全体で見るとアパレル産業は衰退していない。

服ではなく「生地」が売れる 世界における国内ブランドの勝ち筋とは

日本のアパレル輸出は壊滅的に縮小している。現在の主な輸出品は生地である。つまり日本のアパレル産業は最終製品である衣料品を輸出できなかったところに敗因があるということになる。

ただこの手の分析が実際の業績回復に役立つことはない。今回の出典元となったForbesにも「解決策」として職人と技術伝承について細かく書いている。また新しい政権も当然のように「成長にはイノベーションが必要であります」などと言い、我々もつい「そうだそうだ」と思い込んでいる。

日本は伝統的に職人に対しての評価が高い国だ。現在のイタリアンファッションもどちらかといえばモード系より職人系の方がウケがいい。ふわふわしたライフスタイルではなくしっかりした「職人的技術」に着目したクラシコ・イタリアの人気が高まった。

だがおそらく背景にあるのは日本人のヨーロッパに対する憧れだろう。もともと伝統的な職人に対する理解があるにしても日本の伝統素材で作った洋服にそれほどの愛着はない。また高級紳士服を買いたがる中高年男性が高価な大島紬にうんちくを傾けるという話もあまり聞いたことはない。やはり憧れが背景にあるのだということがわかる。

日本にはファブリック・テキスタイルの集積はある。またオリエンタリズムには憧れられる価値がある。つまりイタリアと同じ素地はあった。

日本人自身が「日本の良さ」について気がついていないのかもしれない。もう一つ足りないものが外貨獲得の必要性だ。日本で絹産業が発展したのは明治維新以降外貨の獲得が必要だったからだ。現在でも皇后が養蚕に取り組み群馬県富岡市に官営の製糸工場が作られことから当初の重要性がわかる。

ただ足りないものもある。

日本の製糸業が発展したのはアメリカで女性用の靴下の原材料として使われたからである。これがナイロンやレーヨンといった化学繊維に押されて衰退してゆく。だが不思議なことに日本人は自分たちで製品を作ってそれを売り込もうと考えなかった。

例えていえば農家が「コメは主食だから売れる」として一生懸命にコメを作り続けているのと同じ感じである。コメに代わる代用食品が作られても一生懸命により良いコメを作ろうとしてしまうのである。

GHQは日本の絹が原材料としてはナイロンやレーヨンに劣るということはわかっていて製品化を進めようとしたようだ。産業を育てて投資を回収しようとしたイタリアと同じ事情である。イタリアはここで貴族出身でアメリカ留学経験のあるエミリオ・プッチの斬新なデザインが受ける。貴族的な生活といういかにもアメリカ人が好みそうな要素は追求されたが製品を見るとイタリアの伝統的なものとは言えない。ただこういう柄を追求するためには高い技術力は必要だろうなとは感じる。

ところが日本でこれをやると「自分たちが考える日本の伝統的図柄」にこだわりを見せてしまう。アメリカの市場で何が好まれるのかということを研究せず「自分たちが考える伝統」を押し付けてしまうわけだ。こうして日本の絹産業は相対的に衰退してゆく。

イタリアとの比較で見るとおそらく日本人は製品や品質というものに自信を持ちすぎているのだろう。伝統産業になればなるほどこの傾向が強く顧客の要望を聞こうという気持ちになれないのだろうと思う。

イタリアモーダの変革を見ていると、伝統を売り込むというのは自らカリフォルニア・ロールを作ってアメリカ人に見せて歩くというようなことかもしれないと思う。つまり海外に何かを売り込むためには徹底的な自己改革が必要だ。おそらく本来の「伝統的良きもの」が売り込めるのはその後である。日本に必要なのはおそらくイノベーションではなくこの自己変革のプロセスだと感じる。

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