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何故、我々は総裁選報道に夢中になるのか

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総裁選報道が盛んに行われている。よく考えてみれば自民党の中の権力争いだ。つまり「誰の発言権が強まるのか」と言う話をしているだけである。総裁選を見てもそれが政党全体の政策に影響を与えるかはわからない。例えば河野行革担当大臣が総理大臣になったとしても河野さんの意見がそのまま次の政策になるわけではない。結局河野さんに近いのが誰なのかということがわかるだけである。

しかも今回の総裁選挙は宏池会を除いては派閥隠しが進行している。派閥は有権者への受けが悪いからという理由で地下に潜ってしまった。選対本部長が岸田派を除いて全て無派閥なのだそうだ。

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そもそもなぜ我々は自民党の総裁選挙に夢中になるのかを考えて見た。

まず日本人は政策論争型の民主主義を受け入れることができなかったと認めたくないのだろうと思った。繰り返しになるが今行われていることは政策論争ではない。次の政権で誰の声が優先されるのかが決まる過程を延々と見せられているだけである。単純に言えば「安倍さんの声が勝つのか二階さんの声が勝つのか」と言うその程度のことだ。だが、マスコミはこれをどうにかして「政策ベースの議論」に見せたい。つまり添え物の政策論争議論を本筋に見せたがっている。民主主義は日本ではファッションの一種であり「民主主義風の何か」が行われていればそれでよいのである。

次にコロナについて忘れたい。総裁選の話題と大谷翔平選手のホームラン争いの話の時だけは今後も続くであろうコロナについて考えなくてもすむ。結局はコロナ禍と付き合わざるを得ないと言うことを認めてゆくのだろうが、せめて菅政権が終わったらコロナも収束するのだと思いたい。政治は問題解決の道具なのだが皮肉なことに政治のことを考えている時だけは問題を直視しなくて済む。このお祭りが終わればまたコロナざんまいの報道に戻ってしまうだろう。

最後に実は有権者は決めたくない。コロナのようにどんな判断をしても誰かが痛むような問題については意思決定をしたくない。むしろ誰かの政策を「うまくいかなかった」とか「失敗している」とだけ言っていた方が気持ち的に楽だ。

こうした事情があり総裁選報道には人気がある。さらに自民党はやり方が上手だ。今回の人選は党内利害を優先していたために、子育て・女性活躍が穴になっていた。

岸田候補は「青年局と女性局の代表を役員会に加える」と表明したがこれはあまり受けない。有権者・視聴者は直接的な映像として同じ女性が活躍している画を欲しがっている。そこで二階派・竹下派が支援して野田聖子候補が出馬を決めた。自民党には女性や子供のことを考えている人もいるんだなあという印象が生まれる。テレビがおそらくはお子さんのことにも触れつつそういう画を流し続けるのだろう。

立憲民主党はこれが面白くない。もともとTBSと八代英輝弁護士の問題だった「共産党暴力革命問題」が明後日の方向に転がり始めている。政策論争のためには問題の社会化が必要だ。だが日本人にはもはや問題の社会化はできない。だから誰かをやり込めて社会問題を解決したと思い込みたい。

キユーピーがひるおびへの提供を一時取りやめたそうだ。ほとぼりが冷めればまた復帰するのだろうが、誰かをぶちのめしたという快楽を求めて電凸に走る人も出てくるのかもしれない。これは民主主義ではないが、そもそも意思決定には加われないのだからこうやってうさを晴らすしかない。

おそらく立憲民主党に注目が集まらないのは日本人が深い部分では民主主義に伴って発生する責任を背負いたくないからなのだろう。だが当の立憲民主党はこれをテレビ局のせいだと考え「各番組に対しても監視する」と言い出した。例えば高市早苗候補が総務大臣だった時に「テレビ局の報道をいちいち精査しようと思っている」などと言い出したらおそらく彼らは反発しただろうが自分たちはやってもいいと思っているのである。とても政権は任せられそうにない。

安住淳国会対策委員長は「個別の番組についてチェックさせてもらうと発言したそうだ。公平性を盾に国会議員が放送局を脅しているとみられなかねない発言である。つまり安住さんは小海議員が持っている権力に無自覚だ。こ自分たちが政権を取ったら「自分たちに都合が悪い報道がないか監視する」などと言いかねない。

おそらく立憲民主党が活躍するのは参議院議員選挙である。政権選択ではなく「運転手の腕が悪い」といってドライバーを非難していればいいだけの選挙である。日本人は政権選択を通じて政治に責任を取ろうとは思っていない。牽制の意味でお灸を据えたいという理由で野党に一定の投票をしているだけである。権力者を野放しにしているということを聞かなくなるということを本能的にわかっているからだろう。

日本人は民主主義を理解しなかった。だが自分たちが民主主義の充実した社会を生きていると感じていたい。そのためにちょっとした違和感があっても気がつかないふりをしながら壮大なお芝居を続けているのだろう。この状態が9月29日まで続く。

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